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 北斗軒での昼食を食べ終えたので、そろそろ北斗星号の車内に入りましょう。茂辺地にある北斗星号の客車には、ホームのようなウッドデッキがあるものの、そこは車内からしか行けないため、車両内への出入りは、妻面にある貫通扉からとなります[①]

 車内は土足厳禁となっているので、”玄関”でスリッパに履き替えてから中に入ります[②]。半室ロビーに繋がる通路の壁に、何やら人名が大量に掲出されていますが、これは、北斗星号の客車がクラウドファンディングによる募金によって保存されたため、一定金額以上の募金をした人たちの名前をここに記録しているもののようです。

 スハネ25-500は、2室のシャワー室も備えていました[③]。ここはほぼ手つかずのままにされているようで、ドライヤーはおろか、衣服を入れる籠すらもが残っていました[④]。半透明の窓がついた折り戸、丸みを帯びた天井、2色構成の滑り止めマット、手すり・・・[⑤]。ああ、懐かしい。お世辞にも、快適にシャワーができる環境とは言えませんでしたが、いかにも「豪華寝台特急に乗っている」と思わせてくれる設備でした。

 そして半室ロビーの様子がこちら[⑥]。家庭用のエアコンやストーブがあったり(昼間とはいえ、車両の各種の照明が一切灯っていなかったので、「電気は引いていないのか」と思ったのですが、電源はあるようです)、壁に注意書きがあったり、写真集や募金箱が置いてあったりと、「引退直後の状態そのまま」とはなっていません。が、この程度なら、特段気にすることはありません。

 それらとは別のところで、どこか違和感があったのですが、そういえば、現役時代にはあったビデオ放送用の液晶テレビがないですね[⑦]。元々テレビがあった場所に、今はストーブが置かれています。ここはひとつ、あの場所にテレビとデッキを置き、そこで往時の映像や写真を流すようにすれば、”現役時代に近い状態の再現”と”北斗星号についての紹介・解説”が両立することでしょう。

 何度か繰り返し記述しているように、スハネ25-501にあるロビーは、あくまでも「半室」であり、決して広いとは言えません[⑧]。誰もいない深夜帯にひとりでまったりとするのには悪くありませんでしたが、定期運転の終了が近づき、ここで食堂車のパブタイムやモーニングタイムの順番待ちをする人が大量に集ったときの息苦しさと狭苦しさたるや、思い出したくもない(北斗星号における悪い思い出のひとつですね)。

 ちなみに、半室ロビーとソロの合造車・スハネ25-500(JR北海道)は、北斗星号が臨時化された2015年3月のダイヤ改正で引退し、末期の臨時列車時代には運用されていません。では、そのときのロビーはどうしていたのかというと、2008年3月の改正で定期運用を失った全室ロビーカー・オハ25-503(JR東日本)が起用されていました。「全室」ということで、半室ロビーとは比べ物にならないゆとりがありました。

 スハネ25-500の半分はロビーですが、もう半分はB寝台個室ソロです。車両空間の半分しか割り当てられていないため、その部屋数は8室と少なめで(オールソロは17室)、廊下部分も短くなっています[⑨]

 まずは上段室を覗いてみましょう[⑩]。A個室と比べるとさすがに見劣りしてしまいますが、一晩を快適に過ごすには十分なものであったはずです。天井は、一見すると低く見えますが、階段は個室内にあり、そこならば天井の高さにも余裕が持て、室内でも問題なく立てます[⑪]。また、廊下側の壁には荷物入れが掘り込まれ、例え大きな荷物があっても安心でした[⑫]

 今や懐かしの知識ですが、一般的に、「ソロはJR北海道車を選べ」とされていました。同じソロでも、北と東では構造が異なり、特に上段室は差が顕著でした。JR北海道の場合、上段室は、階段は内部にあり、そこで立てましたが、JR東日本の場合、階段は室外にありました。それは「階段を上がりきったところの高さから床が始まる」ことを意味し、おかげで驚異的な狭さでした。室内では絶対に立てません。



















 下段室は階段を持たないため、部屋全体で天井が高く、階段の上り下りも不要です[①] [②]。一方、車窓という点では、視点が高く、かつ湾曲した窓を持つことで、夜には満天の星空も満喫できた上段室と比べると、視点が低く、窓が垂直となる下段室は、眺めはイマイチでした。「景色を取るか、それとも開放感を取るか」。それで上段・下段のどちらにするかを迷った方もいることでしょう。

 隣の車両へと歩いていると、スハネ25-501のデッキに、江差線時代の茂辺地駅の駅名標がありました[③]。江差線は、元々は五稜郭〜江差間を結んでいましたが、木古内〜江差間が2014年5月に廃線となり、残る五稜郭〜木古内間も、北海道新幹線の開業によって道南いさりび鉄道へと引き継がれました。今、江差線という路線は、実は完全に消滅しているわけです。

 北斗星号は豪華寝台特急と称され、ロイヤルや食堂車は、特に力を入れて整備されました。しかし一方で、所詮はボロの24系であり、”24系らしい”古めかしさは、最後まで随所に残りました。その要素とは、小汚い和式便所だったり[④]、金属部品が目立つ無機質な内装だったり[⑤]するわけですが、それらは”(一般客が)幻滅する要素”でもあり、”ブルートレインとしてのクラシカルさを放つ要素”でもありました。

 スハネ25-501の隣の車両は、簡易個室「Bコンパートメント」として活躍していた、オハネフ25-2です[⑥]。設備としては、普通の開放式B寝台そのものですが、「1区画を4人で利用する場合に限り、扉を閉めて鍵をかけることができる」という仕様であり、各区画には扉が備わっています[⑦]。見ての通り、扉には透明な窓があり、個室とは言ったものの、プライバシーを保つことはできません(ゆえに”簡易”と)。

 上述のように、扉がついているという点を除けば、「普通の開放式B寝台そのもの」であるため、各区画内は、上下2段・幅70cmの寝台、窓辺にある固定式のテーブル、否が応でも存在を認知する折り畳み式の梯子・・・など、まさにお馴染みのあの空間となっています[⑧]。寝台側から通路側を見ると、やや見慣れない「扉」が目立ちますが、やはり基本的には普通の開放式B寝台です[⑨]

 デッキにやってきました[⑩]。電源車ではない普通の緩急車が最後尾になる区間(下りなら上野〜青森・函館〜札幌、上りなら函館〜青森)では、ここデッキから、貫通扉の窓越しに、後ろに流れゆく車窓を楽しむことができました。特に冬場だと、巻き上げられる雪煙はとりわけ印象的な眺めであり、最終的に付着した雪で窓が見えなくなってしまうのは、冬の風物詩でもありました。

 小坂のブルートレインあけぼのでは、車内放送用の設備等がまだ実際に使われている(おはよう・おやすみ放送や体験乗車時の放送など)ことなどもあってか、車掌室への立ち入りはできませんでしたが、茂辺地の北斗星号は、左右両方にあるどちらにも立ち入れます[⑪] [⑫]。ふと方向幕の一覧表を見てみると、「それは14系のものでは」と思うようなものも入っていて驚きました[⑬]

 窓から顔を出して車掌気分[⑭]。あ、ちなみに、私は「大きくなったら(北斗星号の)車掌/運転士になるんだ」なんて夢は持たない子供でした。やけにドライな職業観は子供のころからあって、かねてより「好きなことを仕事にするのはまずい」と考えていました。










 というわけで、これで北斗星号との再会を無事に果たすことができました[①]。1日の晩に、私は、北斗星号で使われていた部品を再利用した簡易宿泊施設「トレインホステル北斗星」に宿泊しましたが、改めて「やはり本物は素晴らしい」と思った次第。実際、茂辺地の北斗星号を、ブルートレインあけぼのや岩泉の日本海と同様の「列車ホテルにする」なんていう話があるとかないとか・・・。

 線路の前に整備された花壇では、黄色の花と橙色の花が交互に咲き、「北斗星号がある風景」に彩りを加えていますが・・・[②]、その花壇が綺麗であるばかりに、対照的に、やはり北斗星号の客車の劣化が目についてしまいます。

 常時直射日光を食らい、雨にも風にも雪にも打たれているからか、塗装はだいぶ色褪せ、水の滴りが跡になって残ってしまっています[③]。また、他の写真で既にお分かりかと思いますが、塗装が剥がれ落ち、錆が露出している部分もあります。現役時代も、末期はどの車両も相当にくたびれていましたが、引退して茂辺地の地にやってきたはいいものの、まだ再塗装はされていないのでしょう。

 JR北海道所属の北斗星用客車では、個室寝台車や食堂車など、北斗星を代表する設備を有する車両に、真鍮製のエンブレムがありました。スハネ25-500は、ロビーとソロを持つ車両ということで、車端部にはそのエンブレムがあったのですが・・・、アレ?[④] 何ですか、これは。本来なら輝くエンブレムがあるべき場所には、「それっぽい」レプリカのものが・・・(どうも、盗難を危惧しての措置とのことです)。

 「特急北斗星 札幌」[⑤]。客車は2両あるわけですから、片方は札幌で、もう片方は上野の表示にでもしておけば、それが一番良いのではないかと考えるのですが、なぜか2両とも札幌行きでした(と言いつつ、”反対側”の幕は確認しませんでした。もし反対側は上野であるならば申し訳ございません)。道民(北斗市民)の方々は、上野行きと札幌行きのどちらの方に、より馴染みや懐かしさがあるのでしょうか。

 北斗星号の車両の保存が実現したこと自体は、実に喜ばしいことですが、一方で、屋根や壁といった、車両を太陽や風雨から守るための設備がなかったり、まだ再塗装がされておらず、車体の劣化が顕著であったり、企業等の後ろ盾がなく、必要資金が募金に依存する面が強かったりする(カネが尽きてしまえば、その先は・・・)ことなど、更なる検討が必要な要素があるように思われます。

 では、茂辺地の北斗星号を少しでも長く守るために、茨城という遠地に住んでいる私には、いま何ができるか・・・? 答えは簡単です、それは「黙って資金援助でもすること」。というわけで、まずは気持ちからと、募金箱にいくらかのお金を入れておきました。


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