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※各画像はクリックすると拡大します。

















 開放式B寝台車の方にも行けるのであれば、まだまだ車内に見るべきところがたくさんありますが、A寝台車の車内しかうろつきまわることができないので、さすがに見るべきものもなくなってきました。そこで、今度は「外観」をしっかり撮ろうと思い、外に出てきてみると、2日に大館で見たような素晴らしい満月が夜空に浮かんでいました[①]

 今回は、無事にブルートレイン日本海に泊まれましたが、ブルートレイン日本海とふれあいらんど岩泉には、ある危機がありました[②]。それは、2016年夏の台風10号による被害です。この台風で付近を通る小本川が氾濫し、溢れ出た水はふれあいらんど岩泉の陸上競技場とパークゴルフ場を飲み込み、ブルートレイン日本海の近くにまで迫りました

 幸い、ブルートレイン日本海は、やや小高い丘の上にあったので、車両が流失するような被害にはまでは至りませんでした。しかし、ふれあいらんど岩泉は、全施設が8月30日頃〜翌17年3月13日まで休業し、3月14日になってようやく営業再開となったほか、前述の陸上競技場とパークゴルフ場は、河川改修工事に支障をきたすこともあり、放棄されました。

 そう考えると、今日、この快晴で満天の星空に恵まれたという素晴らしい条件下でブルートレイン日本海への宿泊を果たせたことは、実にありがたいことです[③]。夜空のあちこちで小さな光を放つ無数の星々の下で、3両の客車は澄んだ夜空に負けないくらいに麗しい青を湛え、その脇では、楓が晩秋の一夜に時折吹くそよ風でかすかに揺れます[④]。 ※原寸大画像をご用意しました※

 こちらは2両目のオハネ25-151[⑤]。利用者がいない場合、その車両は完全に消灯されてしまうようで、車内は真っ暗です。せめて深夜帯の減灯状態くらいに点灯させておいてくれれば、外から見たときの「現役の寝台列車感」がより一層増すと思うのですが、さすがに電気代の無駄というところでしょうか(営業運転時は、車内を真っ暗にはしませんからね)。

 1両目はオハネフ25-121[⑥]。この写真を見るとお分かりになるかと思いますが、「使われていない車両は消灯する」とは言ったものの、方向幕や寝台種別表示といった「車外にある明かり」は、例え車内が真っ暗でも電気が点きます(2ページ前でも、光る愛称幕や尾灯をご覧いただきましたね)。この車両の脇に、1本の楓と「ふれあいらんど岩泉」の架空の駅名標があります[⑦]

 小高い丘の上で3両”編成”を組んだブルートレイン日本海は、やはり1両単体での保存車よりも、ずっと現役時代を思い起こさせるような懐かしさがあります[⑧]。幸か不幸かかなり辺鄙なところにあり、また宿泊の難易度が高い(あの値段ですから・・・)ブルートレイン日本海では、車外も車内も、博物館などよりも静かな環境でじっくりと見ていられます。

 快晴が続いていた岩泉でしたが、ちょっと雲が出てきてしまいました[⑨]。しかし、雲が比較的速い速度で流れ、それが長秒露光によって明確に動体として写り込むことによって、「時が止まったかのような懐かしさに浸ったものの、夢見る一夜はたしかに時を刻んでいて、感動的な刹那は結局現実であった」という時の流れを感じる、なかなか神秘的な写真が生まれました[⑩]

 浴衣はもちろんのこと、バスタオルの提供すらもありませんが、ふれあいらんど岩泉には、ブルートレイン日本海の利用者専用のシャワー室が用意されています[⑪]。さて、そろそろシャワーを浴びましょうか(タオル類は持参していた)。「〜の利用者”専用”」とのことで、何か特別な装飾等があるのかと期待していましたが、普通のシャワー室でした[⑫]












 時刻は0時ちょうど。貫通扉車掌が管理するブルートレイン日本海は、減灯の時間を迎えました[①]。演出上「減灯の時間を迎えた」と書きましたが、さすがにある特定の時刻になったら勝手に暗くなるということはなく、照明の管理権はこちらに任されています(設定の仕方によっては、22:00頃に自動的に減灯させることもできます)。

 個室寝台車にはない「減灯」という概念。A・Bに関わらず、開放式寝台車に乗車していると、おやすみ放送が流れ、車内全体がいくらか暗くなることによって、本格的に「寝台列車で夜を過ごしている」という実感が湧いてきたものでした[②]。減灯が実施されると、物音を立てるのは一層憚られるようになり、ひとり、そしてまた一人と眠りに落ちていきました。

 減灯後の下段寝台の様子[③]。かつて実際に日本海号のA寝台に乗車したときに撮った同じような写真と比較してみても、これが現役を退いた保存車で撮影したものだと一目で判断することは難しいでしょう。それほどにリアルです。ちなみに、減灯した後の上段寝台はこんな感じであり[④]、下段寝台ともども、減灯後は、それぞれの区画にある寝台灯が頼りになります。

 赤く光る火災報知器の存在がどうにも惜しいですが、それに目を瞑りさえすれば、まさに「寝台特急日本海号:深夜帯の開放式A寝台の様子」そのものです[⑤]。惜しむらくは、いくつかの足元灯が「球切れ」を起こしていて、通路の照らされ方に「(ごく若干の)違和感」を覚えてしまいました。ただ、同じ型の電球を調達するのは、もう今更無理があるのでしょうね。

 開放式寝台はオープンだと言っても、通路側にあるカーテンを閉めさえすれば、そこはもはや「自分だけの空間」です[⑥]。鍵のかかる扉と完全なプライバシーはありませんが、今この区画にいるのは自分だけであり、誰に干渉されることもありませんでした。そして、このようにすれば、大きな窓は完全に独り占めであり、これは開放式A寝台の下段利用者の特権でした。

 枕元にある寝台灯を消せば、窓側と通路側の2つのカーテンも相まって、いよいよそこは真っ暗になります[⑦]。本物の走る寝台列車なら、移り変わる夜景、子守唄のような走行音、夜が深まれば深まるほど”らしさ”が増してくる雰囲気・・・など、このまま起き続けたいと思える動機がありますが、残念ながらそこまでは再現されません。

 約6年ぶりの日本海号のA寝台。きっかけというきっかけがなければ、6年前の乗車のことを普段の生活の中で思い出すことはまずありませんが、今日はかつての思い出がいくつも揺さぶられ、そして思い起こされました。「あのときにA寝台、それも下段に乗れて良かったな」という良い思い出も、「臨時列車時代に1度くらい乗れなかったのか?」という悪い思い出も・・・。

 ここは仮想「下りの日本海号」。青森に向かって走る列車が、寝静まった夜の街に軽快な足音を残して・・・。


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