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 宮古に向かって車を走らせていると、途中から私の前を復興事業に従事していると思われるダンプカーが走るようになりました。しかし、何か違和感がある・・・と思いながら観察していると、それは帯広ナンバーをつけた車両でした。大量のダンプカーが必要で車両不足であるのは分かりますが、だからといって北海道の車両を航送して呼ばねばならないとは・・・[①]

 国道45号線を走っている道中では、ところどころで「過去の津波浸水区間」なる標識が現れます[②]。これは文字通り、これまでの津波(おおむね東日本大震災のときのものということでしょうが)の中で最も浸水したときのその範囲を示すための標識で、この写真のように、「海沿いという海沿いではないところ」にも設置があり、その規模がうかがわれます。

 先ほどの展望台に続く休憩地点として、道の駅たろうにやってきました[③]。せっかく被災地のこのような施設に立ち寄ったのなら、何か食べたり買ったりして行きたいところですが、各施設の営業開始時刻は早くとも9:00であり、どうにもなりません(現在時刻は8:43)[④]。また、道の駅たろうは現在仮オープン状態であり、まだ全面開業には至っていません[⑤]

 防潮堤兼歩道兼展望台(?)に上ってみると、防潮堤の向こう側の様子がよく分かりました[⑥]。当たり前といえば当たり前ですが、防潮堤は非常に高いため、地上からでは向こうの様子を見通せません。防潮堤を挟んだ”こちら側”も壊滅していますが、防潮堤を挟んだ”あちら側”は海に面している側であるため、向こうの被害は間違いなく甚大なものでした。

 津波に耐えたたろう観光ホテルは、各種の保全作業を行って、現在は震災遺構としてその地に残存しています[⑦]。なお、この写真だと、嵩上げした高台の上にホテルを移設したか、あるいは高台にあるホテルを残して周りを切り崩したかのように見えますが、実際にはこの盛り土の向こう側の地上にあります(私も勘違いしてしまいました)。


















 宮古駅のすぐ近くにあるニッポンレンタカーの店舗でレンタカーを返却し、宮古駅に到着しました[①]。宮古には2016年3月にも来ているので、約1年8か月ぶりということになりますが、その程度の間隔では、さすがに「懐かしい」とまでは思いません。

 久慈駅の場合は、訪問間隔が4年10か月ほど空いたため、その間に駅舎が改装されていたといった変化がありましたが、宮古駅においては、特にそのようなものはありませんでした[②]。しかし、駅舎そのものに変化はなくとも、その背景に変化が・・・[③]。何やら大きな建物が建設されていますが、以前はそのようなものは見当たりませんでした

 さて、ようやく”真打ち”の登場です[④]。そもそも、今回の旅の全ての発端は「山田線の宮古〜盛岡間を通しで乗ること」であり、それを基礎として今回の旅が築き上げられましたが、11月1日から始まっているこの旅の6日目になって、ようやく山田線の登場です。宮古9:30発の盛岡行きの快速リアス号に乗って、一気に盛岡を目指して行くこととしましょう。

 盛岡〜宮古間は通しで繋がった山田線ですが、本来、山田線とは、盛岡〜宮古〜釜石間を結ぶ路線です。しかし、知っての通り、そのうちの宮古〜釜石間は、東日本大震災によって甚大な被害を受けたため、現在も不通となっています[⑤]。「釜石・花巻方面」の発車標は今も消えたままですが、2018年度末に三陸鉄道の路線となってついに復活する予定です。

 宮古駅の謎。それは、早朝4:45という、恐らく全てのJR駅の中でもトップクラスに早いみどりの窓口の営業開始時刻です[⑥]。初発列車が4:17発で日本一早いとされる柳ヶ浦駅が6:30、新宿駅や大阪駅でさえ5:30という営業開始時刻となっている中、4時台を誇ります。ちなみに、北海道の深川駅は、開始は5:30ですが、終了は0:10と、日付を超えた営業を行う珍しい駅です。

 今日は6日ですが、盛岡〜宮古間を通した運転の再開は、昨日から始まっています[⑦]。ちなみに、今回かなり悩まされたのは、「宮古何時発の列車に乗るか」という問題でした。そもそも、盛岡まで通す列車自体、5:05発・9:30発・15:55発・18:10発の4本しかありません。

 5:05発はブルートレイン日本海を何時に出ろということになるのか、というわけで却下。18:10発はあまりにも遅すぎて、時間の潰しようがないこともあり却下。残るは9:30発と15:55発ですが、前者はブルートレイン日本海を出る時刻がやや早いという欠点があり、後者はせっかく復旧した区間(川内〜上米内)の車窓を明るい時間帯に見られないという欠点がありました。

 最終的に、両者を天秤にかけた結果、「『日没後であるせいで復旧した区間が何が何だか分からない』とならず、また1本しかない貴重な上りの快速リアス号に乗れる」という利点により、9:30発を選びました。

 今、駅の裏手で建設されているのは、宮古市役所の新しい庁舎です[⑧]。だいぶ建物らしくなってきました。前回訪れた2016年3月の時点では、いくつかの資材は運び込まれていましたが、建物自体はまだ現れていませんでした。

 折り返し盛岡行きのリアス号となる列車がやや遅れてやってきました[⑨]。そばにいた駅員曰く、「茂市付近で落ち葉による空転が発生していた」とのこと。到着後、リアス号の乗客が乗り始めましたが、結構多くの人が乗り込んでいきます[⑩]

 盛岡〜宮古間を通しで走る列車が1日に4往復しかない山田線に対して、そのライバルとされる106急行バスは、30分〜1時間間隔で、1日に20往復も走っています。先ほどの駅員に「失礼ながら、山田線に乗る人なんているんですね」と話したところ、「(乗り物酔いなどの都合で)どうにもバスは駄目という人が少なからずいる」との回答が返ってきました。なるほどねぇ・・・。

 ついに宮古駅に復活した「盛岡行き」の表示[⑫]。それと交互に出るのは、「茂市経由」の表示です[⑬]。内心、「茂市経由以外の何があるよ?」と思いましたが、震災前には、釜石へ下り、釜石線と東北本線経由で盛岡に至る快速はまゆり号が実際に設定されていたようです。それゆえに「釜石経由ではない」ことを明確にする必要があったのでしょう。



















 そういうわけで、進行方向向きのクロスシートは確保できなかったため、ロングシートに座ることにしました[①]。いくら「結構多くの人が乗り込んでいった」とはいっても、さすがに満席になるほどではありません。そのため、私が陣取ったのは右側のロングシートでしたが、左側に閉伊川が現れたときなどには、適宜左側に移動することもできました[②]

 閉伊川と山田線の間に挟まれている道路がありますが、これが国道106号線です[③]。盛岡市と宮古市を結ぶ国道106号線は、上の方で前述した、両市を結ぶ路線バスである106急行バスのその名前の由来となっています。宮古駅を出発した後は、山田線と国道106号線はほぼつかず離れずで並行し、区界駅付近までずっと同じ経路を辿っています。

 蟇目を通過します[④]。前回、宮古〜川内間で山田線に乗車したときは普通列車であったため、山田線の駅を通過するというのは初めてのことです。以前は急行列車が走っていたこともあるようですが、もし現代に急行を設定していたら、例え宮古〜盛岡間をノンストップで2時間未満程度で結んでいたとしても、より一層山田線は利用客から相手にされないことでしょう。

 概して紅葉というものは、やはり街中に近いものよりも、どことなく辺鄙なところにあるものこそが美しく色づきます[⑤]。また、紅葉が綺麗なだけではなく、眼下を通過する閉伊川の水も澄んでいて、夏ではないのに、どこか爽やかな車窓が展開されます[⑥]。街らしい街は宮古の次の千徳で終わり、盛岡の3つ手前の上米内までは、このような自然との付き合いが続きます[⑦]

 最初の停車駅は茂市です[⑧]。ご存知のように、茂市は、かつては岩泉線との接続駅でした。もし岩泉線があれば、JR線を全て乗るにあたっては、同線は当然乗車の対象となりますが、廃線となったことによって、私の中における対象から外れました(バス等でのトレースもやりません)。

 頭上に限りなく広がる青空と、その青空に彩りを添えるかのように漂う白雲。青と白の2色しか表せない空に代わって、この眺めをよりカラフルにしてくれるのは、最後の輝きを放つ紅葉たち。その眺めについ見とれてしまいますが、右下に覗く、草も苔も生えそうにない岩肌が、ここが大自然の一部であり、山田線が過酷な路線環境にあることを暗示します[⑨]

 2両編成の列車は、盛岡に向けて快調に走ります[⑩]。途中、どこかの駅で乗客が入れ替わり、進行方向向きのクロスシートにありつける機会が巡ってこないだろうかと期待しましたが、最終的に、そのようなことは起こりませんでした。まあ、山田線の途中駅の規模と、主要駅にしか停まらないリアス号であることを考えれば、皆盛岡志向であるのは当たり前ですね。

 茂市に次に停まるのは陸中川井です[⑪]。快速リアス号を含めた全ての列車が停車するため、山田線においては主要な駅として取り扱われます。たしかに何人かの乗り降りがあったことは確認しています。

 川内〜上米内間が不通になっていた期間に、一時的に宮古側の終点駅を務めていた川内駅は、快速リアス号では全列車が通過します[⑫]。明らかにローカル線でありながらも、合理化があまり進んでいない山田線は、ワンマン運転をしていないほか、茂市・川内・区界・上米内の各途中駅が有人駅となっていて、川内・区界では、列車通過時には駅員がホームに監視に出てきます。

 以前は川内で”打ち切り”でしたが、いよいよお待ちかねの復旧区間に入ります。そして、川内を通過してから18分ほどが経過したときの地点で、盛り土の脇に重機や資材が置かれ、作業員がこちらを見守っているという光景を見かけましたが、ここが事故現場だったのでしょうか?[⑬] しかし、列車は徐行をすることもなく、あっさりと通過してしまいました。

 松草を通過します[⑭]。土砂崩れは平津戸〜松草間で起こったため、宮古〜平津戸、松草〜盛岡は健全だったわけですが、折り返し設備等の都合もあり、平津戸〜松草よりも広い、川内〜上米内での運転見合わせとなりました。


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