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 というわけで列車がやってきました[①]。冗談ではなく、本当にサンライズ出雲号に横浜〜東京間で乗車します。いくら「今回のテーマに関連して、かつての寝台列車だけでなく、現役の寝台列車にも乗ってやれ」という”ネタ作り”のための乗車とはいっても、高額な寝台料金を払わねばらなぬというのなら、それはさすがに無理な挑戦です。指定席特急料金で乗れるノビノビ座席があるからこそのお遊びと言えます。

 ノビノビ座席はカーペット敷きの雑魚寝空間で、区画間には仕切りがなく、頭のところにだけ多少の壁が設けられています[②] [③]。掛け布団は用意されていますが、枕はなく、持参物を枕代わりにするときのための「布きれ」があります。ヒルネ程度でお遊び乗車をする分には、この上なく快適で面白い設備だとは思いますが、一晩を過ごすとなると、いくらかの忍耐が要求されそうです。快適性では個室寝台には敵いません。

 切符で指定されていたのは「4番D席」でしたが、これは2階席に相当する部分の区画です[④]。写真左側に凹んでいるところがありますが、そこには通路から上がるための階段があります。前回に乗車したときも2階席で、また今回は「宿に泊まっているときの外出」ではなく、チェックアウト後で、全ての荷物を持っての乗車であるため、「1階席だといいんだけど」と思っていましたが、その願いは叶いませんでした。

 川崎〜品川間で多摩川を渡るとき、すっかり高く昇った太陽が車窓に現れました[⑤]。「サンライズ」と言うにはもう遅いですが、夜行列車で迎える夜明けというのは、夜行列車に乗車するときの大きな醍醐味のひとつであると言えます。そのような点では、やはり横浜〜東京間でチョイ乗りをしたところで、サンライズ出雲号の真の魅力は味わえないわけです。

 23分しか乗車時間がなく、またノビノビ座席でもあるため、「3号車のミニラウンジで時間を潰していようか」とも考えていましたが、結局自分の区画で全23分を過ごすことにしました。そしてせっかく横になれる設備を使っているのだからと、カーペットの上にゴロリと寝てみましたが、もうすっかり明るくなっているうえに23分しか乗らないとなっては、仮眠すらもできません[⑥]

 そして列車は7:08に終点の東京に到着しました[⑦]。2日発の便であれば、連休前ということもありますから、多くの乗車があるのだろうと予想できますが、東京で降車した人の数を見るにつけ、1日発の平日→平日の便にも関わらず、今回はかなりの人が乗っていたようでした。やはり「唯一の定期夜行列車」となったことも効いているのでしょう。現にノビノビ座席は、事前の空席照会では満席でした。

 今となっては、夜行列車に関する明るい話題はほとんど耳にすることがありませんが、2014年度の年末年始に初登場となった「サンライズ出雲91号・92号」は、その存在が定着し、年末年始・ゴールデンウィーク・お盆に毎回運転されるようになりました。印刷物をラミネート加工しただけの簡易的なものではありますが、東京駅のホームにも、サンライズ出雲91号の乗車位置案内が設けられています[⑪]

















 さて、「(唯一の)現役の寝台列車」への乗車を果たしたところで、過去帳入りした「過去の寝台列車たち」と出会うべく、北へと向かっていきましょう。7番線から7:18に発車する高崎行きに乗車して大宮を目指します[①]。以前は、サンライズ瀬戸・出雲号から在来線で北に向かうには、山手線等で東京〜上野間を移動する必要がありましたが、それがいらなくなったことは、上野東京ライン開業のたしかなメリットのひとつです。

 列車がやってきました[②]。8番線にサンライズ瀬戸・出雲号が到着し、その隣の7番線に高崎行きがやってきます。7・8番線で島式ホームを構成しているため、枕木方向に歩くだけで乗り換えが完了します。しかも、10分という長すぎず短すぎずの時間で接続しています。

 これから大宮まで約30分の道のりですが、今回もグリーン車に乗車しました[③]。先ほどの馬喰町〜横浜間については、当初からグリーン車に乗車する方向性を固めていましたが、この東京〜大宮間については、当初は普通車に乗る心づもりであったところに、出発前に急遽びゅう商品券1000円の臨時収入があったために、「だったら」ということで予定を変更したものです。

 が、私はここで大変な事実に気が付きました。そもそも、今なぜ在来線で大宮に向かっているのかといえば、「東北新幹線に大宮から乗ることにより、新幹線特急料金を節約するため」です。しかし、東京〜大宮間の普通列車のグリーン料金は770円で、新幹線に大宮から乗ることによって節約できる金額は540円。これだったら素直に東京から新幹線に乗っておけば良かったじゃないかよ、と・・・。

 最初は、そのびゅう商品券を、駅のコンビニで買う昼食の代金にでも充てようと考えていましたが、「昼食を駅のコンビニで買うとは限らないし、グリーン券の代金に充てよう」、「でも馬喰町〜横浜のグリーン券だけでは770円で、おつりは返ってこない。だったら東京〜大宮のグリーン券も買って・・・」などという志向回路に陥ってしまったのが運の尽きでした。

 上野を過ぎて尾久に至ると、田端運転所に置かれている機関車が車窓に現れます[④]。星ガマではありませんでしたが、かつて北斗星号などを牽引していたEF81形、東北本線・奥羽本線経由時代のあけぼの号を牽引していたEF65形、そして北陸号などを牽引していたEF64形などの機関車を見ることができましたが、これらも「懐かしの寝台列車を追憶する」要素だということにしておきましょう。

 もう少し進んで尾久車両センターの脇に来ると、かつて北斗星号で使用されていた3両の24系客車が現れました[⑤]。現在は各種の訓練に使用されているようですが、何せ電源車がありませんから、もうどうあがいてもイベント列車等で営業運転をすることはできません。

 更に敷地の奥に目をやると、E26系と別の24系客車の姿が・・・[⑥]、と思ったら、眼前にSL列車等で使用される12系客車が[⑦]。青い車体をした客車であることは間違いありませんが、残念ながら、これを「今回のテーマに合った遭遇だ」とすることはできませんね。

 そして改めてE26系と24系を目撃[⑧]。E26系は285系と同様、「現役寝台列車との出会い」、24系は「懐かしの寝台列車との出会い」ということで、これも今回のテーマに沿った”ネタ”ということにしておきましょう。手前左側の24系は、かつて出雲号で使用されていたオロネ24とオシ24で、列車廃止から10年以上が経過した今も、解体されることなく残されています。

 進行方向左側から新幹線の高架橋が現れると、列車はまもなく大宮に到着します[⑩]。写真に写っているのはE1系・・・ではなく、E4系です。登場当初の黄色帯を纏う編成は全滅し、全ての編成がE1系と同様の桃色帯を巻くようになりました。

 そして7:49に大宮に到着[⑪]。乗る人も降りる人も多く、列車は混雑状態のまま大宮を出て行きましたが、上りの列車、特に湘南新宿ラインの列車と比べれば、だいぶマシな方です。側線には小田急線の車両が留置されていましたが、これから何をするつもりなのでしょうか?[⑫]



















 大宮からは東北新幹線に乗車します。8:02発のこまち3号に乗車して、田沢湖に向かいます[①]。2016年3月に北海道新幹線が新函館北斗まで開業しましたが、こまち3号に併結するはやぶさ3号のように、以前のまま新青森止まりとなっている便もあります。

 あまり列車がやってこない16番線ホームに目をやると、その発車標には「団体 437号 新潟」という表示が[②]。大宮9:40発の下り列車には、あさま663号という臨時列車のスジがありますが、あさま号ということで長野行きであるため、そのスジを流用するとしても高崎までしか使えません。修学旅行なのか団体旅行か分かりませんが、9:40発であるため、その正体を自ら確認することはできませんでした。

 こまち号を先方として列車がやってきました[③]。非常に鼻先が長い流線型の出で立ちですが、新在直通車両であるために、その車体サイズは在来線規格で設計されています。「フルサスペンションを備えたグリーン車の隣ならば、グリーン車の揺れの少なさにつられて、心なしか乗り心地は良いに違いない」という私の中の”お約束”により、今回は12号車に乗車します。

 東京〜上野間では110km/hの制限速度が課せられますが、大宮から先は普通の速度を出せるので、大宮を出ると、列車はぐんぐん加速していきます。街中を抜けてある程度視界が開けてくると、車窓の遠くに山並みが現れ、その頂には、うっすらと雪が積もっているのが確認できました[④]。しかし、まだ11月上旬ですから、この旅の中で(平地で)雪と遭遇することはないでしょう。

 「はやぶさ号・こまち号は320km/h運転をする」と言われています。暇だったので、スマートフォンのアプリで速度を計測してみましたが、ある程度測定が安定してくると、最終的に、313km/hよりも速い速度を示すことはありませんでした[⑤]
 東京〜新函館北斗間を4時間2分で走破し、「最速●時間●分」の記録を叩き出すことを厳命されている単独運転の最速はやぶさ号(5号・7号・34号)とは異なり、はやぶさ号・こまち号の併結列車は、ある程度ダイヤに余裕が持たされているようです。

 大宮を出て以来最も発展した街並みが現れると、列車は仙台に到着します[⑥] [⑦]。はやぶさ号・こまち号は、その高い速達性ゆえに、首都圏〜仙台での利用も多く、仙台で多くの人が降りますが、それと同じくらいに仙台から乗ってくる人がいたのは意外でした。実際、私の隣の席も、仙台までは空席であったのに、仙台から乗ってきた人で埋まりました。

 仙台を出ると、東北新幹線と東北本線は、お互いにかなり離れたところを進んでいきますが、一ノ関駅の手前で、両線は久々に合流します[⑧]。つまり、車窓左手に東北本線の線路が現れることが、一ノ関に達していることの目印になります。そして、一ノ関を通過すると、車窓にはきれいに区画された一面の田園地帯が現れ、「夏だったら・・・」と思ってしまいます[⑨]

 盛岡ではやぶさ号と東北新幹線に別れを告げて、単独運転となったこまち号は、在来線の田沢湖線を進みます。速度の大幅な低下はもちろんのこと、たびたび現れる踏切に、「ここは在来線である」ということを実感します[⑩]。そして、乗り換えなしでこのような場所に至っていることに、いわゆるミニ新幹線、つまり「在来線ではあるが線路は標準軌に改軌されている」ことを実感します。

 大釜、小岩井を通過して、列車は更に雫石を通過します[⑪]。雫石は、いわゆる秋田新幹線の駅として、一応こまち号の停車駅に設定されていますが、現実には通過する便の方が多く、雫石に停車するこまち号は、1日に僅か4往復しかありません。ただ、数が少ないとはいえ、こまち号が停車する、即ち東京と1本で結ばれたことは、町にとっては大きなことであるはずです。

 赤渕〜田沢湖間にある志度内信号場で運転停車[⑫]。ここで上りのこまち14号と列車交換を行いました。田沢湖線は全線が単線であり、こうした行き違いは不可避の出来事として発生します。これで相手が普通列車なら「オイオイ」というところでしたが、こまち号なので良かったです。

 そして列車は田沢湖に到着[⑬]。「とにかく乗っていない区間を乗りまくる」と考えていたころならば、このまま秋田まで突っ切ったことでしょうが、今は違います。観光のために途中下車をすることができます[⑭]


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