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 はやぶさ26号がやってきました[①]。北海道新幹線の開業と同時に、JR北海道所属のH5系の使用が開始されましたが、今回”も”E5系で、まだH5系に当たることができていません。そろそろ乗ってみたいのですが。

 車内は特別に混雑してはいませんでしたが、やはり3連休の中日ということもあり、長距離の旅行客が多いようで、荷物棚を見てみると、大きなカバンやスーツケースが目立ちました[②]。ただ、中日というのは、「旅行先に出かけに行く」にしても、「旅行先から帰ってくる」にしても、タイミングとしては、幾分中途半端に思われます。彼らは今から行くのか、それとも帰りなのか?

 木古内〜奥津軽いまべつ間、つまりかつての木古内〜津軽今別間は、ほぼ全区間で在来線の頃と同じ場所(新在共用)を通るため、車窓には見慣れた風景が広がります[③]。これで「車窓が260km/hでビュンビュン流れる」のであれば、いかにも”新幹線”と思うのでしょうが、何せ速さに関しては、在来線時代と同じ140km/hであるため、ますます「新しく開業した新幹線である」という実感がありません。

 旧知内駅の跡地に整備された湯の里知内信号場を通過すると、青函トンネル突入はもうすぐです[④]。ここには、狭軌専用の留置線(青函トンネルの通行が止められたときなどに、ここに貨物列車を留め置く)が上下線それぞれに対して2線ずつ敷設されていて、狭軌・狭軌・三線軌条・三線軌条・狭軌・狭軌の都合6線となり、一瞬だけ「複々々線」状態となります。

 そして列車は青函トンネルに突入しました[⑤]。「湯の里」「青函」の文字が目に焼き付くその一瞬の刹那から、全長53.85kmの長いトンネルを駆け抜ける時間が始まります。青函トンネルは、あまりにも全長が長いせいで、その内部は通年で高湿度に保たれており、そのせいで窓が曇ってしまうという現象は、在来線時代から変わりない「伝統現象」として、今でも引き続き発生します[⑥]

 在来線時代の木古内〜蟹田間は、普通列車が運行されておらず、特急列車しか走っていなかったため、その区間の停車駅相互間であれば、乗車券のみで特急列車の普通車自由席に乗ることができました。今、木古内〜奥津軽いまべつ間は、普通列車などあるはずもなく、新幹線しかありませんが、果たして乗車券だけで乗ることは許されるのか・・・? 答えはもちろん、「否」です[⑦]

 ただ、新幹線特急券の購入が求められること自体はまあ許せますが、それが1490円もすることには納得がいきませんね。東北新幹線では、隣の駅までの特急券は、特定特急券として860円という低廉な価格設定がされています。しかも、木古内〜奥津軽いまべつ間は、新在共用区間を走るということで、最高速度が140km/hに抑えられています。260km/hは出しません。

 何故に「隣の駅までの乗車で、そのうえ在来線特急(白鳥号)と変わりない速度で走る新幹線に、1490円も払わねばならんのか?」。木古内〜奥津軽いまべつ間は距離が長い(74.8km)ですから、860円はないにしても、せいぜい980円(東北新幹線における50km超の特定特急券の料金)がいいところでしょう。とはいえ、”140km/hしか出せない”ことも考慮させれば、それよりもっと安くても・・・。

 列車は26分ほどで青函トンネルを抜け出しました[⑧]。青函トンネル内の平均速度は約124km/hと算出されます。しばらく三線軌条区間が続いた後、在来線の通過線兼待避線が分岐すると、まもなく奥津軽いまべつです[⑨]。そして15:34に、列車は下車駅の奥津軽いまべつに到着しました[⑩]。駅構内は本線・副本線ともに標準軌のみが敷設され、貨物列車は通行できません。



















 奥津軽いまべつ駅にやってきました。そうそう降りることはない駅で、本来なら、このまま新青森まで行っていてもおかしくない(私もその線を考えていた)ところでしたが、ここで”あること”ができそうだったため、今回は奥津軽いまべつでの下車となりました。

 北海道新幹線では、JR北海道の在来線の駅で使われている標準様式のものとは異なるデザインの駅名標が採用されています[①]。・・・が、注目していただきたいのは、そのデザインよりも、やたらと斜めに写したこの構図。実は、新幹線ホームの幅があまりにも狭すぎるせいで、駅名標を正面から撮ることができないのです。ギリギリまで詰めたそのホーム幅から、「想定利用客数の少なさ」を実感します。

 駅構内は、相対式2面2線に下り線用の通過線1本を加えたという構造となっています[②]。この写真の左端の方を見ていただければよく分かるかと思いますが、ホームドアが設置されていることを鑑みても、ホームの幅が非常に狭いです。

 今ちょうど15:35発のはやぶさ26号が出発したところですが、次の上り列車は、19:27発の東京行きのはやぶさ38号です[③]。約4時間もの間隔が空きます。利用客が少ない新幹線駅としては、安中榛名・いわて沼宮内が名高いですが、前者が1日12往復、後者が1日8往復(平日・定期列車)であるのに対し、奥津軽いまべつは1日7往復であり、「日本一列車本数が少ない新幹線駅」となりました。

 そのような駅でありますから、改札口に設置されている自動改札機は、2通路分しか用意されていません[④]。せいぜい「入場と出場が同時にできればいい」という目論見なのでしょう。ただ、いかに利用客が少ないといっても、そこは新幹線の駅ですから、駅員はきちんと配置されていますし、みどりの窓口も営業しています。利用客数だけで考えれば、無人駅で然るところですが。

 天井から吊り下げられた案内板に記された「津軽線」の文字[⑤]。奥津軽いまべつ駅は新幹線単独の駅であるはずなのに、なぜ津軽線が案内されているのか・・・? そうです、もう多くの方がご存じであるとは思いますが、奥津軽いまべつ駅(津軽今別駅)は、津軽線の津軽二股駅と隣接していて、異なるJR線の異なる駅を、近接したところで相互に乗り換えることができるのです[⑦]

 海峡線の津軽今別駅時代は、こちらもそれほど立派な駅ではありませんでしたが、同駅が新幹線の奥津軽いまべつ駅として生まれ変わった今、津軽二股駅とは、非常に大きな差がつきました。駅舎内から津軽二股駅を見ることができますが、駅舎という駅舎はなく、ホームは狭く・短く、屋根もなく、単線非電化のその駅にやってくるのは、古びたキハ40形の普通列車です[⑧]

 健康のためよと思い、エレベーターではなく階段を使って駅舎の外に出ることにしましたが、まあその階段のなんと長いこと。途中の踊り場には、「階段は115段あります」との案内板がありました[⑨]。列車のギリギリに駅に着いたら、乗り遅れる可能性も十分にあります。

 整備新幹線で開業する新駅は、往々にして、駅周辺の発達度合いが未熟であることが多いのですが・・・、奥津軽いまべつ駅は、その中でもとりわけ「辺鄙な」ところにあるようです[⑩]。先ほど挙げた安中榛名などもなかなかですが、奥津軽いまべつは、それを上回っているように思います。そして、そこにガラス張りの立派な駅舎が聳え立つアンバランスさたるや・・・[⑪]

 少し歩いて津軽線の津軽二股駅にやってきました[⑫]。もうお察しのことでしょうが、先ほど申し上げた”あること”とは、奥津軽いまべつ駅と津軽二股駅を利用した、「新幹線から津軽線への乗り換え」です。いやぁ、1度やってみたかったのです、コレを。

 両駅は隣接こそしているものの、あくまでも”別の会社・別の路線・別の駅”であるため、ただでさえお互いに本数が少ないというのに、そのダイヤは、ここでの乗り換えを全く考慮していないものとなっています。そのため、目と鼻の先にありながらも、新幹線⇔津軽線の乗り換えがスムーズに行える組み合わせは、決して多くはありません[⑬]



















 15:48発の蟹田行きの列車がやってきました[①]。どうやら、同じ行動パターンを取る人が2人いるようですね。ただ、あくまでも推測ですが、彼らは三連休東日本・函館パスでも使っているのでしょう。わざわざ木古内→奥津軽いまべつ/津軽二股→久慈と分割した普通乗車券(異なる駅なので、普通乗車券でこの乗り換えをやる場合、乗車券は打ち切りになります)でコレをやる人はいないはずです。

 列車は2両編成ですが、2両とも実にガラガラでした[②]。蟹田〜三厩間は1日5往復しかありませんが、その本数設定にも合点がいきます。以前は八戸のキハ40系非冷房車が用いられていた蟹田〜三厩間ですが(2013年1月に同区間を乗車したときは、まさに非冷房車でした)、2016年3月のダイヤ改正で秋田の冷房車に置き換わったとのことで、特に夏季には、そのありがたみを感じることでしょう。

 基本的にある程度開けた平地を通る津軽線ですが、津軽二股〜大平間は、例外的に非常に狭隘な山中を通り抜けていて、その駅間距離も11.6kmと長めになっています。右を見ても森、左を見ても森で、その中を縫うように走ります[③]。どのくらい過酷で大変な区間なのかといえば、この現代に、仮にも鉄道が通っている場所でありながら、携帯電話が圏外を起こしてしまうほどの区間です[④]

 津軽二股から15分をかけて大平に到着しました[⑥]。ここまで来れば周囲はそこそこ開けてきて、人家も見られるようになり、また携帯電話の電波も入るようになります。大平を出ると、ほどなくして、車窓に北海道新幹線の高架橋が現れ、津軽線はその下を潜り抜けます[⑦]。そして、この”潜り抜け地点”から600m弱ほど離れたところに、在来線と新幹線の合流・分離ポイントがあります。

 大平の次は中小国です[⑧] [⑨]。単式1面1線の小さな駅ですが、かつての海峡線の起点駅であり、同線と津軽線の運賃計算上の接続駅でした。それほど有名な駅であるとは思えませんが、新幹線開業以前の北海道フリーパスは、フリー区間の開始(終了)駅が中小国であったため、本州方面〜中小国までの乗車券を購入する際にその駅名を目にしたという方は多いことでしょう。

 そして16:13、列車は夕刻の蟹田駅に到着しました[⑩]。かつては6両〜8両編成の特急白鳥号が発着していたホームとあっては、2両編成のキハ40系では、とてもそれは活かしきれません[⑪]。カシオペア号などは12両編成、貨物列車はそれよりも更に長いため、駅に停車しての乗務員交代・列車交換等に備えて、駅構内全体の有効長もかなり長めにとられています。

 北海道新幹線の開業によって青函間の移動が不便になったと言われていますが、最も不便を被ったのは、間違いなく蟹田駅でしょう。かつては全特急列車が停車し、北海道へ乗り換えなしで行き来でき、青森方面へも普通列車+特急列車が利用できたのが、全ての在来線特急が失われたことにより、北海道への行き来はとてつもなく不便になり、青森方面への列車本数も激減してスッカスカに[⑬]

 外に出て駅舎を撮影[⑭]。北海道新幹線の開業後も、主要駅としての風格は漂わせています。


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