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 すっかり暗くなってしまいましたが、車を運転して、ブルートレイン日本海があるふれあいらんど岩泉を目指します[①]。言わずもがな、岩泉は非常に小さな町で、街灯りがある区間は限られています。その中で現れてきた案内看板によると、道の駅いわいずみまでは約6kmとのこと[②]。ふれあいらんど岩泉はそのすぐ近くにあるので、実質的には道の駅を目指せば良いことになります。

 ある程度街になっているところを過ぎると、街灯すらもないような、まさに山奥の道を走ることになります[③]。ここではハイビームは必須であり、ロービームで走ろうものなら、この先の道の形状を把握することも困難になってしまいます。

 しばらく車を走らせると、「道の駅いわいずみ⇒」と書かれた看板がある地点に辿り着きました[④]。「ふれあいらんど岩泉」とは書いてありませんが、この地面に色が付いた部分を右折した先に、今日の私の目的地はあります。「一寸先は闇」という道をハイビームで切り拓きながら、慎重に進んでいくこととしましょう[⑤]

 さあ、ふれあいらんど岩泉にやってきました[⑥]。ここは、キャンプ場や野外ステージ、広場などを備えた複合施設ですが、さすがに三連休の最終日(=翌日は普通の月曜日)にここで外泊しようとする人はいないのか、全くと言ってよいほど他の客の車が見当たりません[⑦]。しかし、当然のことながら、それは私個人にとっては実に好都合です。












 車を停めた後、管理棟で所定の手続きを行うと、その後、管理者と2人で客車のところまで行って、ブルートレイン日本海の利用方法について一通り案内されました。なお、ブルートレイン日本海は車両単位での貸し切りとなるため、今回は1人で利用しますが、その宿泊代はなんと28560円(A寝台。14人までこの値段。以後、1人ごとに1020円追加)。1泊あたりの宿代の最高記録を余裕で更新です。

 説明終了後、最後尾の車両のところまで回ってきましたが、光を宿すブルートレインは、やはりその姿を見ているだけでも、実にワクワクしてきますね[①]。岩泉のブルートレイン日本海は、A寝台車1両とB寝台車2両による3両編成を組んでいて、宿泊に供する施設として稼働していることもあり、きちんと電源が取り込まれていて、尾灯やテールマークがしっかりと点灯しています[②]

 私に限らず、多くの人が思っていることでしょうが、「そもそもなぜブルートレイン”日本海”なのか?」[③]。日本海号といえば、大阪〜青森間を結ぶ列車で、岩泉はもちろんのこと、岩手県をかすることすらもありませんでした。これがはくつる号というのであれば、より合点が行くはず。ただ、はくつる号は、実際には対青森県の列車でしたから、ここはニッチに「北星号」でいかがでしょう?

 「末期に『日本海』で使われていた客車を拾ってきたから”日本海”」ということなのでしょうが、よくよく考えてみると、はくつる号や北星号は、私が高校生や大人になる前に廃止された列車ですから、1度も乗ったことがありません。しかし、日本海号なら2度あります。そういう意味では、私にとっては、日本海号の方がより親しみや懐かしさがあるものです[④]

 A寝台車1両とB寝台車2両を備えるブルートレイン日本海ですが、今回はA寝台車を利用することとしました[⑤]。ここで少々ケチってB寝台車にしてもしようがないですし(B寝台車は22440円)、何より、私の2度の日本海号への乗車は、A寝台1回と立席1回でしたから、A寝台車を利用してこそ、真の「懐かしき再会」を果たすことができるというものです。

 左半分の蛍光灯が切れてしまっているのが残念ですが、国鉄様式の方向幕による「特急日本海 青森」の表示が、かつて日本海号に乗車したときのことを思い出させます[⑥]。実際に乗車したのは2011年12月と2012年1月でしたが、12年の3月改正で臨時列車化。その後、臨時列車時代に1度も乗らなかったのは、未だに強く後悔しています(でも、高校生ゆえに、当時は時間も金もなかった)。

 では、そろそろ日本海号に”乗車”しましょうか。複数人で同時に利用する形式だったブルートレインあけぼのとは異なり、こちらは車両ごとの貸し切り制であるため、全てのことは貸し切った人間に委ねられています。よって、乗降扉の開け閉めの権限もこちらのもの。ちょっと懐かしい”折り戸”を自らの手で開け、ブルートレイン日本海での夢見る一夜を始めましょう[⑦]



















 手で扉を開けて車内に入りました[①]。「ほぼ内装そのまま」がウリのブルートレイン日本海ですが、内装はいったいどのようになっているのでしょうか。何かとブルートレインあけぼのと比較しがちになってしまいますが、まず大きな違いは、こちらは「土足厳禁」となっていることで、もう一方の乗降扉は、その前に置かれた靴箱によって塞がれてしまっています。

 一方、車内に入って左側に目を向けると、元々ごみ箱があったところは、スリッパを入れるための靴箱になっていました[②]。ごみ箱はごみ箱としてそのままにされていれば、より”リアル感”があると思いましたが、この跡地の使い方はなかなか上手ですね。

 デッキ全体としてはこのような感じ[③]。一方の乗降扉が靴箱によって塞がれたり、現役時代には見られなかった、床に置くごみ箱が2つあったりするなど、残念ながら、デッキの”保存状態”では、ブルートレインあけぼのに大きく軍配が上がります。

 向こうにはB寝台車の妻面扉が見えますが、ここには鍵がかかっていて、B寝台車に立ち入れませんでした。今日はB寝台車には予約が入っていないため、「それならB寝台車を見学できないか?」と掛け合ってみたものの、車両単位で貸し切って利用するようにしている都合上、各車両は施錠ができるようになっていて、予約のない車両の鍵まで渡すのは無理とのことで、ダメでした。

 デッキとの仕切り扉にある窓ガラスに入った「A寝台」の3文字[④]。晩年の日本海号では、A寝台車は編成の一番端(電源車の隣)に連結されていたため、基本的には、B寝台の利用者がこの車両まで立ち入ってくることはありませんでした(通り抜けられない車両であるため、行く必要がない)。A寝台の利用者だけが目にすることが許された、いわば特別な3文字です。

 ただ、その扉を開けても、すぐに寝台客室には至りません。24系の開放式A寝台車では、客室とデッキの間に、車掌室や喫煙室、更衣室が設けられた、関所のような空間が用意されています[⑤]。喫煙や歓談に利用できる座席は、向かい合わせのクロスシートのような座席・・・というよりも、開放式A寝台の座席状態そのものです[⑥]。もっとも、寝台に転換できないように固定されていますが。

 この開放式A寝台車に乗るのは、2011年12月に日本海号に乗車したとき以来で、ほぼ6年ぶりということになります。「たしかにこんな感じだったなァ〜」と、何かと懐かしみながら今の時間を過ごします[⑦]。個室ならば、部屋で通話するのもそこまで憚られませんが、開放式の寝台であるため、客室内での通話はご法度。あのときも、朝に電話をするためにここに出てきた思い出があります[⑧]

 ”関所”の座席の上に、「北斗星号に400回乗った男」として有名な鈴木周作氏の絵が2つ掲出されています。ひとつはグランシャリオのランプと北斗星号、そしてもうひとつは岩泉線の浅内駅です[⑨]。岩泉線は2014年4月1日付で正式に廃線となりましたが、もし岩泉線があったとしても、ここを訪れるのに岩泉線を使っていたと宣言できる自信はありません(1日3往復では・・・)。

 個室寝台とは異なり、開放式寝台では、どうしても着替えには難儀しますから、この開放式A寝台車に限らず、客車の寝台車には、更衣室がつきものでした[⑩]。全体的には、「ちょっと広めな試着室」とでも思えばよいでしょう[⑪]。それにしても、鏡があるのはともかくとして、更衣室における壁面に収納できる引き出し椅子と窓の存在意義って・・・?

 更衣室の反対側には、銀色のシャッターが下りた「物置」があります。鍵がかかっていなかったので、ちょっと中を覗き見してみたところ、寝具類が山積みになって収納されていました[⑬]。開放式A寝台車の寝台数は28で、ブルートレイン日本海としても、A寝台車の定員は28人とされているので、27+αくらいの寝具類がここに置かれているのでしょう。

 ”関所”の見学はだいたい終わりました。さあ、次はいよいよお待ちかねの寝台客室内部です[⑭]


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