◆3月24日◆
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 おはようございます。今日は3月24日・木曜日、JR線(仮)全線乗車への道をなぞる旅の2日目が始まります。

 私にとって、ホテルでの楽しみのひとつは、窓のカーテンを開け、その向こうに見える街並みや人の動きを観察することなのですが、昨晩、それをしてみたところ、街明かりも人影もほとんどなく、「まあ、大船渡”市”と言ってもこんなものか」などと思っていました。しかし、朝になって外を見ると、そこに街はなく、嵩上げされた土地が造成される工事現場が広がっていました[①] [②]。そりゃ、街明かりも人影もなくて当然ですね・・・。

 さて、今回の旅では、明日、釜石〜宮古間において、レンタカーを運転する予定になっています。3月末の太平洋側とはいえ、東北地方は東北地方。茨城在住の私は、雪道での運転経験などありませんから、万が一、雪道での運転をする羽目になったら一大事です。釜石の天気はどうか?と思ってNHKのデータ放送を見てみると・・・、何やら不穏な天気予報が・・・[③]。この雪が明日に残るようなことがなければ良いのですが。

 現在、大船渡駅の近くでは、ホテルルートイン大船渡の建設工事が進んでいます[④]。新聞報道によると、市内の宿泊施設は不足気味であるらしく、宿泊客がよその街に流れてしまうことがしばしばあるようです。ルートインの新規開業は、そうした客を市内に留まらせるための方策のひとつになると期待されています。開業は2016年5月29日が予定されています。

 大船渡駅周辺では、嵩上げと区画整理が行われています。正直、何がどのようになるのかというのは、インターネット上でちょっと調べただけではよく分かりませんでしたが、平成32年度まで、即ち、2020年度までという長い年月をかけて行う大規模な工事であることはたしかです[⑥]。なお、この工事の絡みで、大船渡駅は、BRT化後、2度の移転を行っています。

 昨日宿泊した大船渡プラザホテルは、3月12日に移転・新築開業した”新館”でしたが、それ以前まで使用されていた”旧館”も、まだ解体されずに残っています[⑧]。旧館の方が海寄りにあり、新館は、若干内陸に移りました。旧館は5階建てで、津波はその3階までやってきたとのことですが、人々は屋上へ避難し、建物も津波に耐えることができました。このホテルの旧館は、人々の命が救われる舞台でもあったのです。

 内陸部の遠い向こう側を、国道45号線のバイパスが通っています[⑨]。複雑な地形をとる沿岸部を避け、高架で山間部を突っ切っていく様子は、さながら新幹線であるかのようです。「新幹線」と表現しましたが、同バイパスは、高速道路「三陸沿岸道路」の大部分を構成する道路であり、実際、自動車専用道路(高速道路)として使われています。

 大船渡駅の前後の区間は、BRT専用道の整備が既に完了しています[⑩]。それゆえ、大船渡駅も、専用道の上に設置されています[⑪]。しかしながら、BRT専用道の整備は、まだまだ進展途中の段階であり、一般道の上に置かれている駅も少なくありません。今後、専用道が拡充していくと、道路や駅はどのような感じになるのか? 大船渡駅は、その答えを示してくれています。

 駅の盛方に、一般道との交差点がありますが、よく見ると、遮断機が専用道を塞ぐ向きで設置されています[⑫]。鉄路の生まれ変わりがBRT、優先されるのはBRTと考えれば、遮断機は、一般道を塞ぐ向きに設置されるはずです。では、なぜこうなのか。それは、この遮断機が、「BRTの通過前後に一般車両が通るのを防ぐもの」ではなく、「この先がBRT専用道であることを示し、一般車両が誤進入するのを防ぐもの」だからです。

 気仙沼線と大船渡線のBRTでは、「odeca」なる専用のICカードが運用されています[⑬]。しかし、JR東日本は既にSuicaがあるわけで、なぜわざわざ別種類のカードを発行しているのでしょうか。そして更に不思議なのが、odecaはBRT専用であり、鉄道では使えないということ[⑭]。ICカードの相互利用化が進む中、JR東日本の鉄道で使うことすらできない、完全なBRT専用のICカードを新たに用意した理由は、いったい何なのでしょうか?













 今日最初に乗る乗り物は、10:15発の盛行きのBRTバスです[①]。一日の始まりとなる乗り物が10:15発というのは、これまでの旅においても例がなく、最も遅い出発時間です。大船渡プラザホテルの最終チェックアウト時刻は10:00でしたが、そのギリギリいっぱいまでホテルに居座りました。もっとも、おかげで朝は楽で、目覚ましに叩き起こさせず、自然に目が覚めるまで眠ることができました。

 昨晩乗車した盛行きのBRTバスは、合計2人という悲惨な乗車率でしたが、この便は、地元のお年寄りを中心にそれなりの乗車があり、座席が全て埋まるくらいの乗車率となっていました[②]。そして5分で終点の盛に到着しました[④]
















 盛は、大船渡線の終点駅です[①]。ここで三陸鉄道の南リアス線と接続し、鉄道時代は、気仙沼線・大船渡線・南リアス線・山田線・北リアス線・八戸線をもって、三陸縦貫鉄道を形成していました。大船渡市役所への最寄り駅で、利用客数も大船渡駅を上回っていますが、ホテルや旅館は、なぜか大船渡駅の近くに集まる傾向にあります。というか、どうも、盛駅の近くには、宿泊施設は全くないようで・・・。

 駅のものすべてが流された大船渡駅などと比べると、津波の被害は軽微だったようで、駅前は綺麗な状態にありました[②] [③]。もっとも、そう思えるのは、これが駅前の写真だからであって、より海に近くなる駅の裏側では、流失した建築物があったり、瓦礫が流れ着いたりしていたようです。

 JR東日本と三陸鉄道が接続する駅ですが、駅舎は、各社がそれぞれ独自のものを持っています[④] [⑤]。赤字の三セク企業である三陸鉄道が、数々の支援を得て路線復旧を果たした一方、黒字企業のJR東日本が、それゆえに支援を貰えず、大船渡線(気仙沼〜盛)の復旧を放棄したのは、皮肉な話です。盛「駅」と言っても、JR東日本の方は、もはやバスが発着するだけになりました。

 再度BRTバスに乗車していきます。盛駅では、気仙沼駅と同様に、BRTバスが、駅のホームに直接乗り入れることができるようになりました。そのため、一応、「2番線」から発車するという案内がされています[⑦]。番線という概念があること、そして大船渡”線”と表記していることは、単なる路線バスや代行バスではなく、鉄道としての大船渡線の生まれ変わりであることを感じさせます。


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