◆3月28日◆
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 3月28日5:05、ムーンライトながら号は、終点の東京に到着しました[①]。「なんでいきなり東京に」と思われた方もいらっしゃることでしょうが、いかに静音モードに設定しているといえども、さすがに、座席の夜行快速で一晩中カメラをバシャバシャ言わせるのは忍びなかったので、名古屋から終点の東京まで、カメラによる写真の撮影は、一切行いませんでした。そのため、名古屋〜東京間の写真がないのです。

 座席車(それも普通車)で、910mmという短い座席間隔、深夜でさえ減灯なしという環境、そして185系のけたたましい走行音は、私の睡眠を終始妨害し続けました。一応、アイマスクくらいは持参しておきましたが、そもそも座っているときの居心地が最悪なので、碌に眠れませんでした。眠っては起き、眠っては起きを繰り返しながら、終点の東京へと至りました。

 当初は、「ムーンライトながらに乗れば、岐阜シティ・タワー43に行けるし、旅費も節減できるじゃないか」と、名案を閃いたつもりでいましたが、結局、「これなら、大阪まで出向いて、サンライズ瀬戸・出雲にでも乗れば良かったかな」と思いました。ムーンライトながら号は、2015年3月にも乗車していますが、そういえば、そのときも、「もう乗りたくねえ」と思っていました。熱さも喉元を過ぎれば忘れるものだから・・・。

 ムーンライトながら号から降り立つ人たちは、この後、どこへ行くのでしょうか[②]。いま東京駅に到着した上り列車をもって、今春に運転されるムーンライトながら号は全て終了しましたから、「東日本方面へ旅に出てきた」という人は少ないでしょう。大半の人は、西日本方面へ旅に出ていて、そこから帰ってくるために、このムーンライトながら号に乗車していたのではないかと思います。ここからは各々の帰路につくのでしょうか。

 幕回しが始まったので、方向幕に注目してみました。「快速 成田」は、正月の初詣臨で使われるものでしょうか[③]。「特急踊り子 新宿」は、以前はそういう列車の設定があったようですが、現在は、臨時列車も含めて見られません[④]。1日に1本だけ、新宿行きのスーパービュー踊り子号は走っています。「快速 横川」は、臨時列車として上野〜横川間で走る、快速碓氷号向けのものでしょうか[⑤]

 「回送」表示になった185系は、あとは回送列車としての発車を待つだけです[⑥]。早朝5時過ぎの東京駅は、人影も少なく、ムーンライトながら号から降りてきた人たちが散り散りになれば、まるで1日の営業を終了した駅のホームのようになってしまいます[⑦]。しかし、もちろん、これは1日の終わりではなく、むしろ、1日の始まりの瞬間です。







 「終わりではなく始まり」。これは、いまの私にも当てはまる言葉です。今回の旅をもって、私は、JR線の(仮)全線乗車を達成することができました。長年に渡って夢見続けてきたことの完遂は、まさに「長旅の終わり」であり、ひとつの目標の喪失でした。ただ、これまでは「乗っていないところを乗るようにする」ところから旅を練り上げていたのを、その足枷が外れますから、今後は、より自由な発想で旅を描けるようになります。

 「上野→御徒町を、できる限り遠回りしてみる旅」。「旅程を立てないで、自由気ままに移動する旅」。「1回の旅の中で、47都道府県すべてを通ってみる旅」。「駅名でしりとりをし、列挙された駅の全てを訪問してみる旅」。考えてみればみるほど、様々な旅の形が浮かび上がってきます。また、ある意味では、鉄道にこだわる必要性も薄れてくるわけですから、離島訪問を始めてみたい、といった思いもあります。

 ここはひとつ、発想を逆転させておきましょうか。JR線の(仮)全線乗車を達成できたことを、「目標の喪失」や「夢の終わり」として捉えるのではなく、「足枷が外れた」、「より自由に、より思うとおりに旅ができるようになる」と捉える。そうすれば、私の旅は、まだ終わることはないのです。「我が鉄道旅行の終焉」ではなく、「全く新しい旅をする時代の始まり」である―――。そういうことなのかもしれません。

 とはいえ、繰り返し書いているように、現在は、まだ「(仮)」です。不通となっている山田線の上米内〜川内間を乗車しないことには、本当のJR線全線乗車は果たされません。今は「糠喜び」の段階と言っても良いでしょう。

 しかしながら、ひとつの区切りを迎えたことは、たしかな事実です。今後の自身の鉄道趣味、旅行趣味をどのようにしていくべきか。大きな問いを突き付けられたようにも思います。その答えを見つけることは、決して簡単なことではなく、一朝一夕にはなしえません。

 「さて、とりあえず、どうしましょうか・・・?」 これに関しては、私は、明確な答えを持っています。「山田線の上米内〜川内間が復旧したら、とっととそれを乗りに行って、”(仮)”を外してしまおうじゃないか」。「(仮)」などという嫌な称号がついている状態は、早く解消したいものです。同区間の復旧が完了したら、その直後の週末など、すぐにでも乗りに出かけるつもりでいます。

 今回の旅では、函館〜名古屋の移動に飛行機を使用するなど、昨年8月の旅行において、志布志〜大阪南港をフェリーで移動したのに引き続き、またひとつ、旅の”新たな選択肢”の探求を行いました。何度も旅を重ね、経験を積み、歴戦の猛者・・・は言い過ぎですが、旅人として”熟成”しつつあるからこそ、鉄道への固執は必ずしも正義ではなく、旅の視野を狭めるだけだ、ということを知りつつあります。

 これまで、私は、何回の旅をしてきたことでしょうか。2005年1月に初めての1人旅をして以来、どれだけの地を訪れてきたことでしょうか。この世の中には、私よりももっと多くの旅を重ねてきた人たちがいますが、それでも、幾度も旅に出ることで、様々な知識と経験が身についてきました。

 夜行列車を使うこと。ホテルを使うこと。観光もしてみること。レンタカーを借りてみること。バスを使ってみること。フェリーを使ってみること。飛行機を使ってみること。旅を重ねるごとに、私は、新たな選択肢を発見し、旅の中で実践してきました。それはひとえに、「より楽しく、より面白い、より完成度の高い、より充実した旅をしたい」という思いによるものです。

 そうして、私は、旅作りにおける技法を発展させ続けてきました。鉄道以外にも目を向けてみることの必要性も感じてきました。一方で、実際に旅に出てみると、その中では、様々な失敗や後悔にも直面します。それらは、ひとつの重要なデータです。これらのことを総合して積み上げられてきた「旅人としての知識・経験」は、必ずや、今後の新しい旅へ活かしていかなければなりません。

 今後の私は、旅人として、ある課題を課せられることになるでしょう。「これまでの旅で得てきた経験・知識・教訓・法則・叡智・哲学など、ありとあらゆるものを総動員させて、常に最高の旅を探求せよ」と。前回よりも今回、今回よりも次回、次回よりも次々回。「今度の旅は、これまでのどの旅よりも素晴らしいものにする」。最高の旅を絶えず求め続けることは、ひとりの旅人としての使命です。





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