次の駅、津軽石へ向かう途中、山田線の線路と平行する区間がありましたが、その線路上に保守用車らしきものが停車し、作業員が何かをしているという光景が見られました[①]。釜石〜鵜住居間と豊間根〜宮古間に関しては、2016年のいわて国体に間に合うよう、残りの区間に先駆けて復旧させる計画であるため、既に復旧作業を急速に進めているのかもしれません。
そして津軽石駅にやってきました[②]。他の駅と同様に、駅舎は閉鎖されていますが、津軽石駅では、駅舎に貼り付けられていた駅名看板までも撤去したようでした。駅前の道では、工事関係者の車が列をなして停車していました[③]。
「タクシーのりば」と書かれた案内板が今も立ち続けていますが[④]、表面のクリアパーツに亀裂のようなものが入っています。津波で押し寄せてきた物が衝突したのでしょうか。駅周辺も駅構内も比較的綺麗であったため、この辺りは津波が来なかったのかな、と思いましたが、その考えは実に浅はかであり、「東日本大震災 津波浸水深ここまで▼」と書かれたプレートが駅舎に貼られていました[⑤]。
駅構内は、ホームも線路も残っていて、一見、津波が押し寄せてこなかったようにも見えます[⑧]。しかし、実際には、津波はやってきて、駅の近くにキハ100系が脱線・打ち上げられるくらいでした。ただ、今の様子を見る限り、そのようなことがあったとは想像もつきません。津波が来た場合でも、物を押し流さず、その場所を浸したくらいであれば、水が引いて乾くと、ほぼ元通りになるということなのでしょうか。
釜石方面を見ると、大量のレールが用意され、重機や作業員の姿がありました[⑨]。三陸鉄道線としての復活を目指しての工事が、現在進行形で進んでいるようです。いわて国体は2016年10月に開催されますから、本当にそれまでに一部区間が復旧するというのであれば、今のうちからどんどん作業を進めねばなりません。早期復旧区間においては、線路や駅の残存率が高いのは、幸いなことと言えます。
しかし、線路の復旧を進めることも大切ですが、駅舎の復旧も疎かにはできません[⑩] [⑪]。例えば、この津軽石駅の場合、津波がやってきたことにより、駅舎の中は泥だらけになりました。さすがに掃除してから閉鎖したのだろうとは思いますが、すぐに営業に供せられる状態であるとも思えません。駅舎内のストーブや椅子、掲示物などの整備。これらも大切なことです。
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