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 美濃太田にやってきました。このような駅名であるからには、この駅がある自治体の名前は、「太田」あるいは「美濃太田」であると推測したくなりますが、実際には、美濃加茂市です[①]。駅設立当初は、たしかに「太田町」でしたが、1954年の他町村との合併により、現在の美濃加茂市が誕生しました。平成に入ってからの合併ならともかく、1954年の合併なのですから、そのときに駅名を改称しても良かったようにも思います。

 10:35発の多治見行きが停車しています[③]。しかし、このまま多治見行きに乗り換えてしまうと、この先の旅程の具合が悪くなるほか、美濃太田駅の観察が一切できないままに終わってしまうので、これには乗りません。「多治見行き」と申し上げましたが、この駅は、多治見〜美濃太田間を結ぶ太多線と接続しています[④]。「こび」が高山本線、「みのかわい」が太多線の駅です。

 日曜日の10時30分過ぎ。大都会であれば、人も車も多数行き交っていることでしょうが、両手で数えられそうな人数と台数のものだけが見えている長閑な風景は、平和で穏やかな休日という雰囲気で、しばらくそのまま眺めていたくなります[⑤] [⑥]。そんな中、南口の駅前には、やけに立派で都市的なホテルが鎮座しています[⑦]。一見したときは市役所かと思いました。

 現在の駅舎は、1998年に竣工しました[⑧]。18年前にできたものとは思えないほどに綺麗に見えます。「JR東海 美濃太田駅」との看板しか掲げられていないため、思わず勘違いしてしまいそうになりますが、この駅には長良川鉄道も乗り入れています。

 2面4線で中線や側線も敷設されており、随分と立派な駅構内ですが、高山本線・太多線・長良川鉄道の全てが非電化であるため、架線や架線柱は存在しません[⑨]。そのため、広い構内の割には、やけにすっきりしていて見通しが良いです。ホームの有効長は長めに設定されており、JRの2面のホームは、どちらも長さ230〜240mほど(最長部の値)。これにより、ひだ号が10両編成で運転される場合にもしっかり対応します。

 「高速化と省エネ化。この両立もまた、東海道新幹線の進化です。」[⑩] 東海道新幹線の最高速度は、2015年3月のダイヤ改正で、ついに285km/hに達しました。最初期の新幹線路線で、線形も悪い方でありながら、よく頑張っていると思います。それに引き換え、整備新幹線の260km/hという数値はいったい何なのでしょうか。320km/hとは言いませんが、少なくとも300km/hは出せるような設計にして建設していくべきでしょう。

 高山本線下りの発車標を見ると、臨時のひだ81号が表示されていました[⑪]。今日はひだ号が混み合うと予想されている日なのでしょうか。臨時のひだ号は、下りは61号・81号・83号の3本、上りは82号の1本が用意されていますが、その全てが同時に運転されることはありません。

 昨日、JRグループでは、ダイヤ改正が実施されました。世の中の注目は北海道新幹線の開業にしか向いていませんが、鉄道好きの人間としては、東海地方にも目を向けなければなりません[⑫]。JR東海の改正事項で最も重要なのは、名松線の家城〜伊勢奥津間が、約6年半の眠りから覚め、ついに運転を再開するということです[⑬]。私のJR線(仮)全線乗車は、名松線の完乗をもって達成されます。

 次に乗車するのは、10:54発の岐阜行きです[⑭]。いったん引き返すことになりますが、フリーきっぷなので、余計な費用はかかりません。
















 岐阜行きの普通列車が313系でやってきました[①]。嘘です、キハ25形です。電車と気動車でこれほどに似ている車両は珍しい・・・と言いたいところですが、1996年に登場したキハ201系と731系において、既に”瓜二つ”が実現しています。ただ、両者は帯の色が違い、判別は比較的容易ですが、キハ25形とと313系は、帯の色が同一であるため、特に側面だけでの区別がやや難しいです。

 キハ25形には1次車と2次車がありますが、前者は(セミ)クロスシート、後者はオールロングシートです。よって、いま来たキハ25形は、1次車ということになります[②]。2両でやってきましたが、車内はまだ空席がありました。ガラガラでもなく、しかし立ちすぎでもなく。適正両数かもしれません。

 この列車ではワンマン運転を実施していますが、次が最前部の扉以外開かない駅である場合は、走行中は、最前部以外の乗降扉の上にある情報表示機に、「締切中」という表示が出ます[④]。ワンマン運転を実施する路線では、「ワンマン列車の乗り方・降り方」といった案内が掲示されることがありますが、それでも、一向に開かない扉の前で立ち尽くす人はしばしば見られます。こういった表示を出すのは親切ですね。

 いま来たばかりのところを折り返していきます[⑤]。そして5分で下車駅の坂祝に到着[⑥]。ここで臨時の特急ひだ81号と列車交換を行いましたが、臨時列車ということもあってか、特急であるひだ号の方が先に到着し、岐阜行きの普通列車を待っていました。






















 美濃太田の隣の駅、坂祝にやってきました[①]。時間調整と”お出迎え”を兼ねての来訪であり、特に明確な目的をもってやってきたわけではありません。ただ、事前の調べにより、古びた木造駅舎を持った、雰囲気の良さそうな駅であるということは把握していました[②]

 以前は有人駅でしたが、2004年4月から無人駅となりました。もともと、それほど利用客数が多い駅ではなかったと思いますが、駅員の姿がなくなってしまうと、より一層寂れた雰囲気になってしまいます[③]。事務所と窓口が板で打ち塞がれていますが、その様子から、ここが以前は有人駅であったことは明白です[④]。ただ単に有人駅であっただけでなく、みどりの窓口もありました。

 木造平屋建ての駅舎は、たしかな古さを感じさせながらも、決して「荒廃」「朽ち果て」といった状態に陥ってはおらず、比較的綺麗な状態を保っています[⑤]。むしろ、建設から年月が経過して、そろそろ絶妙な”味”が出てきた頃合いでしょうか[⑥]。駅舎入り口の右脇には、公衆電話を置いた電話ボックスが設置されており、この辺りも、「一昔前」の風情を醸成する一因になっています。

 そんな坂祝駅舎はいつ造られたものであるのかというと、答えは建物資産標に書いてあります[⑦]。「T10年10月」とは、即ち、大正10年(1921年)10月ということです。それは坂祝駅の開業のときでもあり、この駅では、1921年の駅開業時からの駅舎が、今でも継続して使用されています。もうまもなく、駅開業から95年を迎えますが、それは、この駅舎が95歳の誕生日を迎えるということでもあるわけです。

 2面2線のホームは、跨線橋によって結ばれています[⑨]。この跨線橋に上がると、高山本線の本線の他に、何本かの側線があるということに気づきます[⑩]。これは坂祝駅が貨物取扱駅であったころの名残で、現在は雑草の中に埋もれている状態です。

 ひだ号で使われるキハ85系は、たしかに高性能な車両ですが、その性能は、あくまでも線路側の準備が整っていてこそ発揮されます。JR化後、岐阜〜高山間では、高速化工事が実施され、分岐器の交換などが行われましたが、それも全ての駅で行われたわけではありません。坂祝駅も、減速を強いられるY字分岐が取り替えられないまま残っているため、ひだ号は、坂祝を通過するときには、大幅な減速が求められます[⑪]

 駅の裏手には、いくつかのセメント工場があります[⑬]。かつては、駅の側線から、各工場への専用線が伸びていましたが、いずれも既に使用を停止しています。随所に見えるスイッチャーの保管庫が、往時の名残として、今もその姿をとどめています。


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