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※各画像はクリックすると拡大します。

















 10分ほど歩いて、奇跡の一本松の近くにやってきました[①]。数多の松が倒れていった中、これだけが見事に生残したというのは、なるほどたしかに奇跡の一本松と呼ばれるのも分かるような気がします。そして、私が一本松に到着したそのときから、それまで空を覆っていた白雲が、徐々に徐々にどいていき始め、青空の下で伸びやかに立つ一本松を見ることができるようになりました[②]

 既に多くの人に知られ、そして様々な論議を巻き起こしたように、現在の奇跡の一本松は、当時倒れずに生き残った一本松の実物そのものではありません。中に支えとなる心棒が通されたり、樹皮には防腐処理がされたり、枝葉が人工のものに置き換えられたりと、事実上、「それっぽい」モニュメントへと姿を変えました。個人的には、よく頑張ってくれた、お疲れさま、と安楽死の道をとった方が良かったように思います。

 例え本物でなくとも、ここに一本松(のようなもの)が立ち、あの日、ここで1本の松が津波を耐え忍んだのだ、ということが後世に伝わるとともに、それが陸前高田市の象徴となれば、悪い話ではないようにも思われます。ただ、保存の是非や、それにかかった費用がどうとかいう問題は置いておいて、とりあえず、このあからさまな避雷針は何とかならなかったものでしょうか?[③] 一本松兼避雷針、避雷針兼一本松では悲しいものです。

 その避雷針の根元辺りに、カラスの巣があります[④]。2015年の5月ごろは、ここでカラスが営巣し、子育てをしていたようですが、今はどうなったのでしょうか。子は巣立ち、当然親もいなくなり、もう放棄されてしまったのでしょうか。ひとつ分かることは、カラスは樹木を好んで営巣をしたがりますが、この奇跡の一本松を営巣地に選んだということは、かなり高い精度で松を再現できているということです(笑)

 他の全ての仲間が失われても、奇跡の一本松は、今日もこの地に立ち続けています[⑦]。晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、雪の日も、寒い日も、暑い日も、ここに伸びやかに立っています。その姿は何を語り、何を教えてくれるのでしょうか。不動心。「JR線を全て乗り尽くす」という目標をずっと掲げ続けてこられたのも、ある意味、不動心の成果かもしれません。不動心を鉄道趣味へ。私は、そこからまた新しい世界を拓きたいと思います。

 奇跡の一本松の真下に、1枚のモザイクタイルが展示されています[⑨]。説明文によると、大元の絵は、アンパンマンの作者、やなせたかし氏が描いたものとのこと[⑩]。「昔の姿のまま、私たちに生きる勇気と希望を与えてくれます」というのは、ある意味、人間にはできないことです。動くこともなく、語ることもない”モノ”だからこそできること、持てる役割というものは、たしかにあります。

 奇跡の一本松の向こうに、1軒の壊れかけの建物が鎮座しています[⑪]。これは陸前高田ユースホステル。幸いなことに、2011年1月から長期休館に入っており、震災当時、ここには人がいませんでした。そのため、人的被害はなかったのです。建物は大破しましたが、破壊された建物や瓦礫が整理されていく中、震災遺構に指定されたこのユースホステルは、この姿のまま保存されることが決まりました。

 陸前高田市の沿岸部では、現在、防潮堤の整備が進められています[⑬]。2段構えで整備される防潮堤のうち、写真に写っているのは、より内陸側の「第2線堤」と呼ばれるもので、その高さは、12.5mにも及びます。離れて見ているため、その大きさがちょっと伝わってきにくいところですが、いざ近づいてみれば、まさに「聳える」という様相なのでしょう。景観も大切ですが、それ以上に大切なのは人命です。













 BRTバスに乗車し、気仙沼駅を目指します。先ほど乗車した便と同様、これまた遅延していて、本来ならば13:32着であるところが、実際には、約10分遅れての到着となりました[①]。BRTとは言っても「バス」ですから、遅延しやすいことは承知していますが、もう少し頑張ってほしいものです。ただ、ロケーションシステムにより、10分遅れていることを事前に把握していましたから、「なぜ来ない」といった心配や不安はありませんでした。

 JR東日本のBRTでは、車体にキャラクターなどのラッピングを行っている車両が多いですが、そのせいで、窓越しの風景が碌に見えないという席が少なくありません[②]。そのうえ腹立たしい(まあこれは大げさですが)ことは、そのラッピングは、車内から見るとただの点々になっていて、何が何だがさっぱり分からないということです。同じ車窓を塞ぐなら、せめて裏面もイラスト付きにしてほしいと思ってしまいます。

 一般道のトンネルに入ると、”単線”ではなく、”複線”であるがために、「随分とゆったりしたトンネルだな」と思ってしまいます[③]。鉄道用のトンネルを転用した専用道のトンネルの場合、車体の周囲には、もうそれほど余裕はありませんからね。車体に対して余裕のあるトンネル・・・、それは、在来線の列車に乗って青函トンネルを走行するときのような感覚に近いものがあります(新幹線サイズですからね)。

 走行中に遅れを回復することはできず、結局、終点の気仙沼には、13分ほど遅れた14:11に到着しました[④]
















 BRTバス112便を降りて向かった先は、駅前にある「ミヤコーバス 気仙沼駅前」のバス停でした[①]。これより、大船渡線のBRT部分で未乗車として残った最後の区間、鹿折唐桑〜上鹿折間を乗車します。12ページでご説明したように、同区間については、JR東日本はBRTバスを運転せず、同区間が含まれるミヤコーバス・鹿折金山線の気仙沼駅前〜上鹿折駅前間が、大船渡線のBRTバスとして扱われます。

 鹿折金山線はただの路線バスなので、気仙沼駅の構内には乗り入れません。駅前のバス停にやってきたのは、そのためです。気仙沼〜盛・陸前高田〜陸前矢作・鹿折唐桑〜上鹿折の全てを乗ってこそ、初めて大船渡線のBRT部分を乗り尽くしたと言えるわけですが、時刻表に掲載されないことといい、気仙沼駅・鹿折唐桑駅での乗り場が違うことといい、鹿折唐桑〜上鹿折間の乗車に至るまでには、様々な試練が待ち受けています。

 ちなみに、上鹿折駅へ行こうと思ってミヤコーバス(宮城交通)のサイトを訪れても、旅人はそこでまた新たな試練に遭遇します。トップページから「路線バス→時刻・運賃・路線図検索」と辿っても、鹿折金山線の時刻表は出てこないのです。同線の時刻表は、運行情報のページの中に入っています。というわけで、同線の時刻をご覧になる場合は、トップページから運行情報を開き、そこにある「鹿折線」のPDFファイルを開いてください。

 この情報により、私のように「上鹿折ってどうやって行けばいいんだね?」と右往左往する人がいなくなることを願います(笑)

 さて、少し遅れて鹿折金山前行きがやってきました[②]。JR東日本のBRTバスではなく、宮城交通の路線バスなので、外装のデザインなどは大きく異なっています。しかし、正面右下に「気仙沼駅前〜上鹿折駅前 JR BRT区間」と書かれたシールが貼られ、このバスが大船渡線のBRTとして扱われることを知らせています。これがなかったら、いよいよ意地悪もいいところでした。

 気仙沼市役所などを経由しながら、バスは港の近くまでやってきました[③]。もっとも、鹿折金山線は、市街地から離れた山間部へ向かっていく路線なので、海の近くを走る時間はごく僅かで、すぐに内陸へ戻っていきます。バスは途中、走行経路から外れ、気仙沼市営住宅に立ち寄りますが、その市営住宅は、比較的内陸に位置しているうえに高台にあるので、よくよく考えると、津波に対してこの上ない防御力を備えています[④]

 大船渡線と交わる踏切を渡っていきます[⑤]。と言っても、タイガーロープがかけられていることからも分かるように、鉄道として動いてる区間の線路ではなく、事実上廃線状態となった区間の線路ですが・・・。線路の状態からも分かるように、ここは津波の被害は被っていませんが、気仙沼側や陸前高田側の線路では、大きな被害が出ています。結局、ある部分が綺麗でも、そこが孤立状態となっているのではどうしようも・・・。

 気仙沼駅前から30分弱で上鹿折駅前に到着[⑥]。市街地からはかなり離れており、実に閑散としています[⑦]


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