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 南四日市で伊勢鉄道線の列車と遭遇しました[①]。といっても、四日市〜河原田間はJR東海の関西本線なので、ここはまだ伊勢鉄道線内ではありません。関西本線と伊勢鉄道線は河原田で分岐しますが、線路的な分岐点は、同駅も1kmほどの地点にあります[②]

 この写真で考えると、現在、みえ号が走っている線路は、伊勢鉄道の下り線となります[③]。下を通っている線路は、関西本線の単線。そして向こうを築堤で通っている線路は、伊勢鉄道の上り線です。南四日市〜分岐点間は複線ですが、その分岐点で、線路はこのように分かれます。このことから分かるように、この先は、実は関西本線が単線となり、伊勢鉄道線は複線です。

 14:18に鈴鹿に到着[④]。伊勢鉄道線内では唯一の停車駅です。そもそも、南紀号とみえ号が伊勢鉄道線を経由しているのは、同線が四日市〜津間を短絡するから(亀山経由は遠回りで方向転換も必要)ですが、線内の鈴鹿駅にも停車することにより、「通過していくだけで乗り降りできない」列車となることは回避されています(青い森鉄道にとっての寝台特急は、まさに通過していくだけの列車でした)。

 東一身田通過後、紀勢本線の線路と合流し[⑤]、そのまま列車は津に到着します[⑥]。「三重県内はJRよりも近鉄が強い」と言われていますが、津駅はそれを如実に示す駅のひとつで、1日あたりの平均乗車人員は、近鉄がJRを圧倒しています。JR津駅の利用客数は、県庁所在地のJR駅(中心駅)としては、山口駅に次いで2番目に少ないです。

 そんな中でも、少しでもJRを利用してもらいたいという思いはあるようで、「名古屋へのお出かけには 快速『みえ』でどうぞ!」と書かれた看板が立っています[⑦]。とはいえ、本気で勝負をするのであれば、まずは本数を増やすことが求められましょう。みえ号は基本的に毎時1本ですが、南紀号を利用対象に含めたとしても、近鉄の充実した本数の前では敵いません。もっとも、半ば諦めているというのが現実だとは思いますが。

 「上に大きくひらがなを書き、その下に小さく漢字を書く」というJR東海の駅名標の様式により、津駅の駅名標は、「?(クエスチョンマーク)」に見えるとよく言われています。駅名標に目をやり、そして目の力を抜いてわざとピントを外してみると・・・、さあ、どうでしょうか[⑧]。なるほど、言われてみれば、たしかに「?」に見えるような気がします。駅名標の様式と文字の形が上手く組み合わさり、奇跡を起こしました。

 津を出ると、紀勢本線と近鉄線は並行して南へ向かいますが、近鉄の津新町駅は、紀勢本線にはありません[⑨]。そのため、種別に関わらず、JRの列車は、全て津新町(の脇)を通過していきます。紀勢本線における津の次駅は、近鉄線と分かれた先にある阿漕です[⑩]

 津の次は松坂です[⑪]。今回、私は、松阪までの乗車となっています。未乗車のまま残っている唯一の路線、名松線は、松阪〜伊勢奥津間を結ぶ路線です。快速みえ11号で松阪に向かっているのは、その名松線に乗車するためです。

 松阪のひとつ手前の駅、六軒で、亀山行きの普通列車と行き違います[⑫]。向こうはキハ25形での運転でしたが、キハ25形と313系を外見で見分けるための簡単な方法は、パンタグラフの有無を除けば、正面上部のLED表示機の数の違いでしょうか。キハ25形は、正面上部左側の1機しかありませんが、313系は右側にもあり、都合2つが設けられています。

 右から名松線の線路がやってきました[⑬]。しばらくの間、複線のような状態が続いていきますが、実際には、紀勢本線と名松線の単線並列状態です。このまま松阪駅に至るのかと思えば、松阪駅の手前で両者の線路は統合され、単線になってから松阪駅の構内に入っていきます。

 列車は14:46に松阪に到着しました[⑭]。通り過ぎたことはありますが、実際に降りるのは初めてです。























 松阪駅にやってきました[①]。「まつざか」ではなく、「松坂」でもありません。読み間違い、書き間違いは厳禁です。相変わらず、近鉄がJRを圧倒していますが、JRが3面4線というなかなか立派な構造をしている(非電化だけど)のに対し[②] [③]、近鉄は2面3線であるそうで、利用客数と駅の構造が比例していません。ただ、JRが紀勢本線と名松線が乗り入れているのに対し、近鉄は山田線のみであることは、考慮しておく必要があります。

 南北両方に置かれた駅舎は、南側はJRが管理し、北側は近鉄が管理しています。ひとまず南側(南口)に出てきましたが、改札口の上にある、「ICカードでJR線にはご乗車になれません」という注意書きが目を惹きます[④]。これは、「JR線には」というところがミソです。このような書き方をしていることからも分かるように、近鉄線では、ICカード(PiTaPa)が利用可能となっています。

 現行の南口駅舎は、1962年に完成したものです[⑥]。駅舎上部で、既に「松阪駅」と掲示されているのに、入口の上で更に「JR東海 松阪駅」という看板を出しているのは、こちらがJR側の駅舎であることを明示したいという思いでもあるのでしょうか。なお、南口と北口は、そこを管理している会社が違うというだけであり、JRの乗車券で北口を出入りすることもできますし、近鉄の乗車券で南口を出入りすることもできます。

 駅の近くにあった謎の押しボタン[⑦]。一見、信号機の歩行者用ボタンに見えますが、書いてある文章からして、どうもそうではないようです。この記述からすると、ボタンを押しさえすれば、安全を確認したうえで、すぐにでも渡れるというように解釈できます。ただ、上空を見てみると、たしかに信号機のようなものはあります[⑧]。一方で、青・黄・赤の3色灯がついているようには見えません[⑨]

 この信号機もどきは、ボタンが押されると「横断中」という表示を出す、三重県内にしか設置されていないと言われている、不思議な装置です。ボタンを押したところで赤信号が出るわけではないので、「横断中」を表示させて車が止まらなかったとしても、法的に重大な問題にはならないように思われます。普通の信号機と押しボタンではないこの装置を導入したところで、いったい何の利点があるのやら・・・。

 伊勢志摩サミットまであと60日というカウントダウン装置が置かれていました[⑩]。とはいえ、2日間だけの行事ですから、北海道新幹線の開業などとは異なり、地元に恒常的な利益をもたらすものではないでしょう(「サミット開催地」の箔はつきますが・・・)。それに、一般市民も含めて地元は大盛り上がり、となるものでもないように思います。

 次に乗車するのは、15:11発の名松線・伊勢奥津行きです[⑪]。昨日行われたダイヤ改正により、名松線の家城〜伊勢奥津間が鉄道での復旧を果たし、松阪駅の発車標に、ついに伊勢奥津行きの表示が帰ってきました。実に約6年半ぶりのことです。

 松阪駅に降り立った瞬間から、ホームではカメラを携えた鉄道少年たちがせわしなく動き回っていて、「とりわけ面白い臨時列車でも来るのだろうかな」と思っていましたが、彼らのお目当てはこれでした[⑫]。2016年3月のダイヤ改正により、JR東海のキハ40系は全て定期運用を終了しましたが、キハ40系6両編成による、海外譲渡に備えた回送列車がやってきました[⑬]。なるほど、こういうことでしたか。
















 15:11発の伊勢奥津行きは、キハ11形2両編成による運転でした[①]。この中途半端な時間帯に2両も繋ぐのか、と思いましたが、「名松線復旧フィーバー」に伴う混雑を見越してのものかもしれません。ただ、今日は復旧2日目ということもあってか、それほど盛り上がってはいないようで、車内には余裕があり、選り好みさえしなければ、いくらでも座席に座れる程度の乗車率でした。

 JR線の(仮)全線乗車に向けて、列車は松坂を発車しました。この列車を終点まで乗り通すと、名松線の全線乗車が完了し、ついに私の夢が(一応)達成されます。松阪をやや遅れた発車した影響で、松阪15:15発の白塚行きの普通列車(近鉄)との並走も発生しました[②]

 紀勢本線との並行区間が終了し、名松線と紀勢本線は、互いに違う方向へ向かって別れを告げました[③]。ここから家城までは、田園地帯の中を単線・非電化の線路が伸びていくという、典型的な地方のローカル線の構図が続きます。そういったローカル線でも、線形が良い区間では、速度を上げて走るものですが、名松線は、全線で最高速度が65km/hとなっており、どれだけ飛ばしても自動車並みの速度しか出せません。

 少し遅れて一志に到着[④]。以前は業務委託による有人駅で、下りたままの白いシャッターがその名残となっています。ここから150mほど歩いたところには、近鉄の川合高岡駅があるため、名松線の全線乗車にあたって、「盲腸線を単純に往復するのでは飽きる」というような方は、ここで近鉄線との乗り換えを行うと良いかもしれません。

 一志の次の井関は、以前は交換設備を有していた駅です[⑤]。2面2線の駅として運用され、現在でも、その痕跡が残っています。こうした棒線駅化は、全国のローカル線で広く見られますが、それは列車の本数が減ってしまっていることの裏返しでもあります。

 伊勢大井駅の手前辺りで出現する雲出川は、この先、終点の伊勢奥津まで、名松線と付き合っていくことになります[⑥]。内陸の山間部へ向かって進んでいく名松線では、海は絶対に見られないので、川があることは、車窓に彩りが加えられることでもあります。

 そして列車は家城に到着しました[⑦]。名松線における主要駅であり、同時に、列車交換ができる唯一の途中駅でもあります。そのため、松阪〜伊勢奥津間の全線を通して走る上下列車は、必ず家城で列車交換を行います。


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