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 釧路駅にやってきました。昨日も、スーパーおおぞら3号でこの釧路駅を訪れていますが、昨日は、駅舎の外に出ることなく、そのまま根室行きの普通列車に乗り換えてしまいました。今日は、次に乗る列車までちょっと時間があるので、駅舎の外に出てみようと思います。

 駅前にはホテルなどが立ち並んでいて、また往来する車も多く、街として一定の発展をしていることを感じさせられます。もちろん、札幌などに比べれば、街としての規模は小さいですし、本当の「都会」とは言えないのかもしれませんが、根室〜釧路間には、これという規模のある街がありませんから、「久々に街らしい街を見た」という思いがより大きくなります。

 北海道の場合、”街”と”街”の間隔が広いという場合が多い(例えば、帯広〜釧路にしても、釧路〜根室にしても、その大部分は原野・田園地帯か森林)ので、帯広や釧路に来ると、どうしても、「これほどの街は久しぶりだ」と思ってしまいます。

 雪が降っているわけでもなければ、特に雪がたくさん積もっているわけでもありませんが、駅前では、作業服を着た除雪作業員が、除雪作業に取り組んでいました。また、今日(1月31日)は暖かくなる、と前日の天気予報は言っていて、そのためか、雪が溶け出してできたと思われる水たまりが、かなり大きなものになっていました。

 東根室駅は「日本最東端の駅」、根室駅は「日本最東端の有人駅」です。釧路駅は、それらの駅と比べると、だいぶ西側にありますが、釧路駅も、ある「最東端」を持っています。それは、「日本最東端の自動改札機設置駅」。自動改札機が導入されたのは1999年12月のことです。

 これから乗るのは、13:47発の帯広行きの普通列車です。根室本線を滝川方面へ逆走することになりますが・・・、さて、その目的とは?



















 帯広行きの普通列車に乗車しました。この列車に乗って向かう先は・・・、古瀬駅です。

 古瀬は、知る人ぞ知る秘境駅の一つで、森林に囲まれ、周囲には、1つの民家すらありません。今日は、最終的には、釧網本線の列車に乗って知床斜里へと向かいますが、その列車の釧路の発車時刻は16:04。それまでの間、ずっと釧路駅で時間を潰すというのも無理があるので、それならば、その古瀬とやらを訪れてみようと思い、古瀬駅へ行くことにしました。

 特急も乗り降り自由な北海道フリーパスなので、釧路13:33発のスーパーおおぞら6号で白糠へ行き、白糠で今乗車している普通列車に乗り換える方が、切符の効力をより活用できることになります。ただ、そうすると、釧路駅にいられる時間がかなり短くなってしまうということもあったので、今回は、釧路から普通列車に乗ることにしました(これなら14分長くいられる・・・!)。

 道内の特急については、常時それなりに混雑しているという印象がありますが、普通列車については、その本数の少なさ(札幌圏は例外として)から見ても、あまり需要がないんだろうな・・・、という印象を持っています。実際、この帯広行きの普通列車も、1両編成での運転で、釧路を発車した時点で、乗客は、私以外には5人くらいしかいませんでした。でも、このローカル線感が、とても北海道らしくはありますね。

 釧路の次は新富士。新富士と聞くと、恐らく、7割くらいの人は、東海道新幹線の駅を思い浮かべるのではないかと思いますが、実は、北海道にも、新富士という名の駅があります。しかも、開業は1923年で、1988年開業の新幹線・新富士駅よりも遥かに早いです。そういう意味では、「静岡にも新富士という名の駅がある」と言うべきなのかもしれませんが、なにせ知名度が段違いですからね・・・。

 古瀬の1つ前の駅、白糠を発車すると、列車は、人気(ひとけ)のない、草木と道路しかないような場所へ入り、下車駅の古瀬に到着します。



















 古瀬駅にやってきました。ホームに降り、そして辺りを見回してみれば、ここが秘境駅とされる理由がよく分かります。四方を林や山に囲まれ、駅の近くを通る2本の道路は、アスファルトによる舗装すらされていません。ホームは完全な板張りで、その柵も足も木製。哀愁漂うスカスカの発車時刻表と、鍵がかけられ、誰も入ることのできない怪しげな建物。そして、1991年ごろのものと思われる、古いデザインのコカ・コーラの空き缶。

 もちろん、こんなところで下車したのは私1人だけ。乗車していたキハ40形が発車すると、駅はあっという間に静けさに包まれました。周囲に人や車、民家が見えないような駅で、静けさが支配するその空間に、たった1人で佇むこの時間が、私はとても好きなんです。

 古瀬駅は、もともとは信号場で、1954年7月に、古瀬信号場として開設されました。信号場の時代から、仮乗降場として旅客列車の営業停車も行われていましたが、その乗降客は、信号場に併設された官舎に住む職員の家族が中心だったとのことです。信号場は1971年に無人化され、官舎もなくなったので、現在は、私のような物好きたちが主な利用客(20年ほど前は、定期的にここ利用する学生がいたらしい)です。

 1987年4月のJR北海道への移行と同時に駅に昇格し、1990年には、営業キロも設定されました。しかし、立地が立地なので、この駅を利用する人の数は非常に少ないです。そのため、普通列車でも通過する列車が多数あり、1日の停車本数は、上りが3本、下りが4本しかありません。一方、もともとが信号所で、列車交換ができるようになっているので、列車交換の場所として活用されています。

 ホームのほど近くに、信号場時代からのものと思われる2階建ての建物があります。見た目はかなり古びていて、扉には鍵がかけられ、中に入ることはできません。ただ、窓越しに室内の様子をうかがってみると、1階には某漂白剤らしき緑色のボトルがあり、また、2階には2014年1月のカレンダーがあることが確認できたので、現在でも、JR北海道の社員の出入りがあるのでしょう。

 古瀬駅は相対式2面2線の駅ですが、2つのホームの位置はずれていて、互いに離れています。もう一方のホームへ行くには、踏切を渡って反対側へ行く必要があります。建物がない側のホームは2番線とされていて、下り7:39発の釧路行きと、上り18:17発の帯広行きの2本が停車します。

 戻りの列車は15:03発の釧路行きの普通列車。停車する列車の本数が少ない古瀬駅ですが、昼〜夕方にかけては、上下の列車の時刻が、「ある方向から来て、もう一度その方向へ行く」のに都合が良いような組み合わせになっています。





















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