土佐くろしお鉄道中村線・予土線・予讃線4829D 宇和島行き (キハ32形)

窪川(16:57)〜宇和島(19:01)
|

跨線橋を渡る① |

キハ32形単行の列車② |

JR四国線が一旦途切れる③ |

残念ながらロングシート④ |

ここに陣取ることに⑤ |

窪川を発つ⑥ |

ここが予土線の起点⑦ |

中村線と分岐⑧ |

そして予土線はトンネルに入る⑨ |

桜咲く打井川駅に到着⑩ |

鉄橋を渡り⑪ |

四万十川を跨ぐ⑫ |

夕焼けが迫る中⑬ |

面白駅名の筆頭⑭ |

予土線の要衝・江川崎に到着⑮ |
|
次に乗る、予土線経由宇和島行きの普通列車に乗るために跨線橋を渡ります[①]。跨線橋を渡って降り立った4番線には、キハ32形の宇和島行きの普通列車が停車しています[②]。これからこの列車に乗って、若井〜北宇和島間を結ぶ予土線を全線乗車しつつ、宇和島へと向かいますが、起点の若井までの、窪川〜若井間は土佐くろしお鉄道中村線です。そのため、駅名標の「わかい」の上には「土佐くろしお鉄道」の文字が[③]。
列車に乗り込みます。普段なら、時間帯からして、高校生とかが多く乗っていそうな気がしますが、春休み中ということもあってか、乗客の姿はまばらでした。10人もいなかったと思います。座席はロングシートで[④]、これから2時間以上乗り、また四万十川に沿って走る(良い車窓が期待できる)ことを考えると、ちょっと残念ですね。
そこで、機転を効かせて? 立ちっぱなしにはなりますが、運転室右側の空いているところに陣取って、後面展望を楽しむことにしました[⑤]。ここなら、ロングシート・クロスシートに座っているときとはまた違った車窓を見ることもできましょう。
そうこうしているうちに、列車は窪川を発車[⑥]。窪川の町を後にして、列車は宇和島を目指して走り始めました。前述のように、窪川〜若井間は土佐くろしお鉄道中村線ですが、バースデイきっぷは土佐くろしお鉄道線も全線乗車できるので、その区間の運賃の支払いは必要ありません。
窪川から5分で、予土線の起点駅の若井に到着します[⑦]。ここで降りたり、乗ったりする人はいませんでした。若井を発車すると、やがて線路は2つに分岐します[⑧]。左が中村・宿毛へと向かう土佐くろしお鉄道の中村線で、右側が予土線の線路です。両線はしばらく並走しますが、別れるところで、予土線の方はトンネルへと入っていきます[⑨]。
17:15に到着するのは打井川駅[⑩]。ホームの近くでは桜が満開で咲いていて、またホームからは四万十川を見ることができるという駅でした。予土線が30分に1本くらいの頻度で列車が来る路線なら、こういうところでふらっと途中下車もできるんですがね・・・。なお、打井川の宇和島行きの列車の本数は、1日僅か7本しかありません。
予土線のうち、土佐大正〜江川崎間は、四万十川を串刺しにするように線路が敷設されていて、四万十川の上を”飛ぶ”こともあります[⑫]。こういった車窓と、ガラガラの車内、そして1両編成の気動車であることなど、様々な要素が、「これぞローカル線」という雰囲気を醸し出します。
17:36に十川に到着[⑬]。今日はずっと天候に恵まれて、今も空は晴れ渡っています。まだ4月ですから、陽はさほど長くはなく、太陽からの光は、段々と黄色がかかった「夕日の光」へと変わってきています。しかし、十川駅のホームは山に接した高台にあるため、太陽の光は当たらず、影に覆われています。右側の「明」と、左側の「暗」の対比がなんとなく面白いですね。
十川を出ると、次の停車駅は半家[⑭]。こう書いて「はげ」と読みます。・・・まぁ、いかにも小学生とかが喜びそうな駅名ですね。こんな妙な駅名でも、ちゃんと名づけには由来があり、その由来とは「この地に住み着いた平家の落人が源氏方の追討を逃れるために”平”の横線を移動させて”半”にしたため」だそうで。なーるほどねぇ。
北海道の留萌本線には、増毛(ましけ)という駅があるので、半家発増毛という切符を一度買ってみたいものです(笑)
半家の次は江川崎[⑮]。ここを始終点とする列車があるなど、予土線における主要駅の1つです。そのため、ここで降りる人もいました。先ほど、打井川の次の土佐大正で、5人も(分母が少ないから5人”も”)降りていましたが、江川崎では親子と思われる2人が下車しました。
江川崎は、予土線の起点の若井から42.7キロのところにある駅。予土線の全長は76.3キロなので、ここで、もう半分は乗ったことになります。
|