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 岩見沢駅に戻ってきました。鉄道での移動に戻りましょう。これから乗車するのは、13:50発の旭川行きの普通列車です[①]。旭川行きの普通列車ということで、711系が来ることを期待していたんですが・・・、またしも721系でした。8月30日のダイヤ改正で、30本ある711系の運用のうち、16本が721系などに置き換えられたとのことですが、やはりそのせいですかね。

 13:50に岩見沢を発車する予定でしたが、足腰の悪い老夫婦の乗車を待ったため、3分ほど遅れての発車となりました。これが札幌駅であれば、列車の本数も多いので、「次の列車にご乗車ください」というところでしょうが、岩見沢を出る旭川方面の普通列車は少ないので、発車を遅らせてでもその乗車を待ったのでしょうね。実際、13:50発の次は15:27発で、1時間30分ほど空きます。

 岩見沢を出ると、789系の上りのスーパーカムイ号とすれ違いました[②]。下車駅の光珠内までは11分しかないので、今は、デッキに陣取っています。そのため、運転士のような視点から、すれ違いの瞬間を体験することができました。列車は、広大な北海道ならではの真っ直ぐ伸びる線路[③]の上を−回復運転をしているということもあってか−110km/h出しながら進んでいきます。

 最初にして唯一の途中停車駅は峰延[④]。その次が、下車駅の光珠内です。光珠内駅の2面3線のホームが見えてきました[⑤]。1日平均の乗車人員はわずか21人(2011年)という駅で、予想できたことではありましたが、私以外に降りる人は、誰もいませんでした[⑥]






























 予告編でもご案内した通り、今回の旅では、秘境駅巡りをすることを、旅の特徴のひとつとしていました。その1つ目の駅が、ここ光珠内です。駅前には民家が何軒か立っていて、また、すぐ近くを国道12号が通っているので、秘境駅と言うほどの駅ではないということはたしかです。しかし、国道(駅舎)のある側の反対側には、一面に黄金色の田んぼが広がる[②]という、なかなか良い場所に存在しています。

 光珠内駅は、たしかに、秘境駅として扱えるほどの駅ではありません。しかし、1日平均の乗車人員は、上述の通り21人であり、函館本線の電化区間では、(Wikipediaで平均乗車人員を確認できる駅の中では)最も少ない数値となっています。また、黄金色の田んぼに面するという立地もあり、今回は、秘境駅のひとつとして数え、下車してみました。

 光珠内駅に降り立ってみるなり、「間もなく、列車が参ります・・・」という放送が聞こえてきました。下り列車は、たった今普通列車が行ったばかりなので、上り列車が来るのだろう、と予想しながら列車を待ち構えていると、キハ183系の上りのオホーツク号が通過していきました[③]。上り列車の遠軽〜札幌間は、スラントノーズ型の車両を先頭車両として走ります(反対側は貫通型の先頭車両)。

 ホームは、乗り降りのために人が立つ部分だけがコンクリートで舗装され、それ以外の部分は、砂利が撒かれているだけです[④]。跨線橋は木造で、屋根裏は薄汚く、壁はめくれ上がっているところもあり、年季が入っていることがよく分かります[⑤]。跨線橋を渡り終えて駅舎へ向かおうとすると、跨線橋の出口部分は、なぜか板で塞がれかかっていて、右下に人2人分ほどの幅の穴が開けられているという状態になっていました。[⑦]

 駅舎のホーム側には、手書きの地図がありました[⑧]。 左側の「こうしゅない案内図」という文字が読めないほどに薄れかかっているあたり、とにかく古いものであるというのは分かります。また、「上中の沢」の上には、「専修大学」と書かれていますが、この専修大学=専修大学北海道短期大学は、2013年6月に閉校となっています。

 駅前には、開駅三十周年記念碑があります[⑪]。光珠内駅は1948年開駅なので、1978年に建てられたことになります。また、同じく駅前には、物置か何かとして使用されていると思われるコンテナがあります[⑫]。側面左上にJNRマークが入っているので、文字通りの国鉄コンテナということですね。消されかけていますが、「国鉄」の文字も見えます[⑬]

 1日平均の乗車人員が21人という少なさの割には、2面3線という、(やろうと思えば)通過待ちも可能という構造で、また、駅舎も(そういう無人駅の割には)そこそこ立派です[⑭]。駅舎の前に自転車が3台停められているので、ここからどこかへ通学しに行っている高校生?がいるのでしょうか。普通列車しか停まらず、利用客も少ない小さな駅ですが、比較的最近・・・、1997年までは有人駅でした。駅舎の規模がそれを物語ります。

 駅舎の中に便所はありませんが、駅舎のすぐ近くに、独立した建物を持つ便所が設置されています[⑯]。いかにも簡易的な造りで、開けたら虫だらけなんじゃないかと思わせるような怪しさ満点の便所でしたが・・・、ここで小便してしまいました。大便器は確認していませんが、小便器とその周辺に関しては、たしかに汚いが使えないことはない、という印象でした。なお、小便器は、水は流せません。

 この便所の建物ですが、「家屋調査済証」なるものが貼られていました[⑰]。その調査時期ですが、昭和26年と記されていました。と、いうことは、昭和26年当時からずっと使われている建物ということなのでしょうか。「証」の字が「證」という旧漢字になっています。

 駅舎寄りのホームで列車を待ちます。他に列車を待つ人は誰もいないという中、ピンポーン♪という音が鳴り、列車の接近を知らせる放送が流れました。「列車が来ます」の文字が、赤色で点滅します[⑳]















 岩見沢行きの普通列車で岩見沢へ戻ります。滝川発岩見沢行きという列車ですが、711系が来ないだろうかと期待したところ・・・、ああ、なんということでしょうか。キハ40形1両とは、もはや電車ですらないではないですか[①]

 「データイムとはいえ、1両で事足りるのだろうか」という疑問を持ちながら乗り込みましたが、事足りていなかったようで、デッキで立つ人が出るくらいの混雑になっていました。まあ、岩見沢までは13分なので、デッキで立ってやり過ごすことくらいは簡単でしたが、地元の高校生と思われる(制服ではない)仲間たちの中に紛れて立つのは、どうも居づらさがあるもので・・・。

 14:43に岩見沢に到着[②]。キハ40形は岩見沢に到着すると、係員によってサボが差し替えられ、「岩見沢−苫小牧」のサボが挿入されました。この後、室蘭本線経由の岩見沢行きになるようですね。15:06発の苫小牧行きという列車があるので、それになるようです。1日にわずか7本しかない岩見沢発の室蘭本線の列車のうちの貴重な1本です。

 岩見沢からは特急列車に乗車します。14:55発のスーパーカムイ21号に乗車し、砂川へ向かいます[③]。LEDの発車標では、日本語と英語が交互に表示されますが、「旭川」に対するローマ字は、当然「Asahikawa」です。しかし、1988年3月までは、旭川の読みは「Asahigawa」でした。今でこそ、「旭川」は誰もが「あさひかわ」と読みますが、平成に入る直前までは、「あさひがわ」でないと通じませんでした。

 岩見沢駅の構内には多くの留置線がありますが、そこに、通電した状態で待機する711系の姿がありました[⑤]。今日は計3回、711系に乗れてもおかしくない機会(普通列車への乗車)がありましたが、いずれもはずれてしまいました。711系は2014年度中に全廃されます。来年の3月までにまた北海道に来る機会は、さすがにないと思います。711系に乗るためだけにわざわざ北海道に行くというのも、ちょっと無理があります。


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