◆7月23日◆
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 翌日、ホテルを出て最初にやってきたのは、冨士山(とみすやま)展望台でした。なお、予め予告しておくと、今日は終日ドライブとなり、鉄道は一切出てきません。旅日記を作り始めた当初は、”ドライブの部分は割愛します”とでもしようかと思っていましたが、まあせっかく行ってきたのだから、書いたら書いたで誰かの役に立つかもしれない・・・と思い直し、ここに記録します。

 この展望台は山の上にあり、周囲には施設も民家も全くありません。しかし、そこにはシャッターが下りた売店がありました。人が押し寄せる有名観光地とは思えないのですが、いったいいつまで営業していたのでしょうか?(平成23年度寄贈のサインがあったので、そのしばらく後くらいまでは営業していたということになりそうですが)

 大洲市は、主に肱川の流域の市街地が形成された城下町であり、それは展望台から見るとよく分かります。市と言っても、人口は4万人に満たないような小さな町ですが、予讃線の伊予大洲駅は、同線における中心駅として機能しています。

 市街地のやや南側を松山自動車道が貫いており、市内にも5個のインターチェンジがあります。限られた平地を縫い、時には山をトンネルで貫通してゆく高速道路は、大げさに言えば人類が手にした技術の現れであり、教科書的には「人は自然の力には敵わない」なのでしょうが、私は自然を人間の知力で征服してゆく姿は嫌いではありません。

 7月も半ばになると、ほとんどの水田は緑に覆われます。うーん、夏ですねぇ。




                                     



















 大洲市は「伊予の小京都」とも呼ばれているようですが、同市の中でも有名観光地として挙げられるのが「臥龍山荘」です。もっとも、そう言いながらも、私もこれを事前に知っていたわけではなく、会社の上司に「大洲に旅行しに行く」と話したところ、「それなら臥龍山荘に行くとよい」との助言を貰ったことから、今回の旅に組み込んだものです。

 なるほどたしかに趣があるかもしれないという小路を抜けて辿り着いた臥龍山荘は、肱川の際に建つ数寄屋造りの山荘で、1907年に完成しました。この手の建造物は、たいていもっと昔に造られているものですが(それこそ京都にある種々の建造物などは・・・)、歴史が浅いからと侮るなかれ、2016年には臥龍山荘を構成する要素のうちの3つが国の重要文化財に指定されました。

 臥龍山荘に行ったならば、何よりも見るべきは、室内よりも縁側からの眺めでしょう。木々の合間を縫って差し込む木漏れ日、夏を迎えて瑞々しい緑を得た緑樹、王道を征く日本庭園として整えられた眺め、その背景に借景として入り込む肱川、ここがもはや自然の一部でさえあるように感じさせるセミの鳴き声などは、訪れた人々に静かな感動をもたらすに違いありません。

 日本的空間から見る日本的光景を目にしたとき、そこには約100年前と同じような時間が流れている感じさえしてきます。




                         














 臥龍山荘では、日本庭園を歩いて更に奥の方へ進むことができます。その先にあるのは、「不老庵」と呼ばれる別棟です。ここの入場料は550円なのですが、「550円にしては随分贅沢な時間を過ごしているような・・・」と感じます。

 日本庭園というのは、究極的には人工的に造られた自然であるというのが事実ですが、それと同時に、そうとは思わせない”溶け込み感”があります。臥龍山荘の日本庭園に敷かれた石畳も、一見すれば「ありのままの自然の中に歩道を設けた」だけのような雰囲気です。このページの最初の方で、「自然を人間の知力で征服してゆく姿は嫌いではありません」と書きましたが、日本庭園は、時に両者の調和を描きます。

 不老庵は、肱川に面した崖で突き出すように建てられており、より肱川が近くに見えます。というか、外に出て建屋を囲う通路の角に来ると、まさに眼下が肱川となり、臥龍山荘の「古風な日本庭園と日本建築がある場所」のイメージからはかけ離れた、ちょっとスリリングな一瞬が待っています。

 解説によると、夜になって月が昇ると、水面に映った月光が不老庵の天井にも反射して室内を照らすとのことで、それを聞くと、日中よりもむしろ夜に来たくなる場所かもしれません。夜ならば、セミに代わって虫が鳴いているでしょうし、そんな環境下で、人工光を廃して”月明かり”だけで照らされた数寄屋造りの空間にいることができたら・・・。1泊2万円くらいでどうでしょうか?

 「伊予の小京都」としての雰囲気を保つためか、街を歩くと、2021年とは思えないような看板などに出くわしました。ああ、昔はチェーン店よりもこういう個人店が小売りの主体だったんだろうな・・・と、思いを馳せることができます。もちろん、そうはいっても、この世は”生きている現代社会”なので、最近になってできたのであろう家々などもたくさんあり、それらとのアンバランスさもまた良かったりするのですが。


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