◆3月27日◆
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 日付は変わって3月27日です。北海道から一気に愛知まで飛んでくるという行程を経て、今日はJR東海の各路線を乗っていきます。「新幹線のホームが見える」ことをウリとしているホテルに泊まっただけあり、ホテルの建物から出てくると、すぐそこに新幹線の姿がありました[①]

 どんなに大きな駅でも、「表口」と「裏口」はあるもので、両方の出口が均等に発展しているという駅は、まずありません。大抵、どちらかだけが都市らしく発展し、もう一方は、駅から比較的近いところでも閑静です。名古屋とて、それは例外ではありません。ホテルのある側の太閤通口は、名古屋駅の裏口に当たる側で、街並みはおとなしめです[②] [③]。とはいえ、決して”田舎”ではないのは、さすがに名古屋というところ。

 一方、名古屋駅の表口となる桜通口[④]。写真右側にJRセントラルタワーズのうちの1本が写っているように、こちら側が「名古屋駅の玄関口」と定めてられています。そんなわけで、高層建築の数や密度は、太閤通口を上回りますが、これは、名古屋の”真の姿”ではありません[⑤]。名古屋の中心街となる栄地区は、名古屋駅から地下鉄で2つ目の栄駅周辺に展開しており、名古屋駅の周辺ではないためです。

 大名古屋ビルヂングは、桜通口の眼前に控える、名古屋でも知名度の高い建築物です。現在の建物は2代目であり、2016年3月9日に全面開業を果たしたばかりで、出来立てほやほやのものとのこと[⑥]。その前に置かれている渦巻き型のモニュメント「飛翔」は[⑦]、旧館時代から存在する名古屋のシンボルで、現在は、1代目ビルから2代目ビルへとその相棒を変えつつも、そこに威風堂々と佇んでいます。

 桜通口と太閤通口は、明るく広い大通路によって結ばれています[⑨]。具体的な根拠はありませんが、雰囲気としては、なんとなく、札幌駅と似ているような気がします。休日の7:40頃ですが、もう多くの人が駅にやってきています。

 土曜・休日専用のフリーきっぷ「青空フリーパス」を携えて、4番線ホームへ向かいました。今日最初に乗車する列車は、名古屋7:50発の特急しらさぎ1号です[⑪]。以前は富山行きであったこの列車も、北陸新幹線の金沢開業により、金沢行きに短縮されました。

 北陸新幹線の延伸によってしらさぎ号にもたらされたもうひとつの出来事。それは、サンダーバード号で使われていた681系が入るようになったということです。今日のしらさぎ1号も、681系による運転でした[⑫]。しかし、その帯色は、以前しらさぎ号で使われていた683系2000番代と同じものになり、側面だけを見れば、681系が使われているということには気づきにくいです[⑬]



















 普通車自由席に乗車します[①]。青空フリーパスの有効範囲は、西は米原までということで、米原までの乗車となりますが、59分だけしか乗らないので、指定席やグリーン席にはしていません。春休みの日曜日ということで、自由席の混雑を心配していましたが、名古屋発車の時点では、それほど混み合ってはいませんでした[②]。ただ、この後、「本日の(普通車)指定席は満席です」という放送が流れ、驚いたものですが。

 名古屋駅周辺の高層ビル群によって作られる影の中を通りながら、列車は金沢へ向けて発車しました[③]。この旅も5日目となりますが、在来線の特急列車に乗ったのは、なんとこれが初めてです。乗車してきた路線の性質上、特急列車の恩恵に預かりにくかったことはたしかですが、とはいえ、4日も乗らないとは。「在来線・リクライニングシート・通過駅がある」という条件でいえば、一応、はまゆり号の指定席には乗りましたが・・・。

 東海道本線の名古屋近郊は、さすがに列車本数も多めで、上り列車とすれ違う回数は多いです[④]。ただ、そうは言っても日曜日。平日と比べると、列車の本数は抑えられています。平日であれば、例えば岐阜駅7時台の上り列車は、ホームライナー号も含めると、15本が発車します。

 多数の機関車が留置されている場面が見えました[⑤]。そこは、JR貨物の愛知機関区です。定期の客車列車が消滅した今、電機であれディーゼルであれ、線路上を走る機関車というものを見かける機会というのは、基本的に貨物列車しかありません。愛知機関区とJR貨物の稲沢駅によって広がる広大な敷地の一角に、JR東海の稲沢駅がありますが、1面2線で普通列車しか停まらない(土曜・休日)という小さな駅です[⑥]

 高架の線路の先に都会的な街並みが見えるようになると、まもなく尾張一宮[⑦]。最初の停車駅は、8:00ちょうど着の尾張一宮です[⑧]。私が乗車していた5号車自由席にも、ここでそれなりの人数が乗車しました。名古屋市が強大すぎるためにその陰に隠れてしまっていますが、一宮市も、約38万人の人口がある大きな街ですから、尾張一宮から乗ってくる人が多いのは当然のことです。

 木曽川を渡った後、再び高架線に入ると、東海道本線の上下線の間から、単線非電化の線路が現れます[⑨]。その線路は高山本線のものであり、同線との合流を果たすと、列車は岐阜に到着します[⑩]
















 大垣に到着するとき、名古屋行きのしらさぎ2号とすれ違いました[①]。しらさぎ号の下り1番列車と上り1番列車同士の遭遇というわけですが、遭遇する場所があまりにも名古屋寄りすぎます。それもそのはずで、1号が名古屋7:50発であるのに対し、2号は金沢5:48発。どちらも同じ1番列車ですが、始発駅を出る時刻に大きな差があります。

 大垣発車後、築堤を駆け上がっていく線路が右手に見えます[②]。大垣で接続する路線といえば、美濃赤坂とを結ぶ東海道本線の支線ですが、この写真の線路は、大垣車両区に繋がるただの回送線です。その大垣車両区には、下りの快速ムーンライトながら号として到着した185系が留置されていました[③]。なお、ネタばらしになってしまいますが、今晩、私は、上りのムーンライトながら号に乗って東京へ帰ります。

 今日もまた実に良い天気です[④]。3月25日に一時的に雪に見舞われてしまったこと以外は、今回の旅は、天気には恵まれています。関ヶ原の付近は、冬季は降雪することもしばしばありますが、そんな冬の季節も終わり、緑が瑞々しくなりつつある春を迎えています。

 関ヶ原を通過します[⑤]。新快速も特別快速も、大垣〜米原間では各駅停車となってしまうため、同区間で駅を通過する光景を見られるのは、特急列車への乗車中だけです。サンライズ瀬戸・出雲号に乗車すれば、夜に通過することもできます。

 大幹線であり、おおむね線形は良好な東海道本線ですが、大垣〜米原間は、お世辞にも良い線形をしているとは言えません。特に、関ヶ原から先は、右へ左へよくくねります。その線形の悪さが頂点に達する場面と言えるのが、柏原〜近江長岡間にあるオメガカーブで、トンネルを掘らずに山を迂回していく線路は、乗車している列車の中からでも、はっきりと見ることができます[⑥]

 列車は8:49に米原に到着しました[⑦]。ここでは8分停車し、付属編成の増結と方向転換を行います。


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