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 石巻行きの特別快速がやってきました[①]。車両はHB-E210系。まさか2両で来たらどうしてくれようかと思っていましたが、幸い、4両編成でやってきました。そのため、山側ではありますが、無事クロスシートにありつくことができました[②]。首都圏のロングシートワールドに飼い慣らされている人間ゆえ、普段はロングシートの方が居心地が良くて好きなんですが、旅行時はやはりこっちです。

 「ディーゼルハイブリッド車」などと言って、最初の加速時こそ電車のような振る舞いをしますが、速度が15km/hにもなれば、エンジンが作動し、ただの気動車になります。東北本線は交流、仙石線は直流で、電化方式が異なっていましたが、接続線は結局非電化で整備され、両線を直通するための専用車両として、気動車のHB-E210系が用意されました。

 街中を走ってきた高城町以南とは異なり、田畑が中心で民家も少ないという車窓が広がるようになります[③]。一部、海(松島湾)に接近する区間もありますが、山側の座席に座っているため、それらは見られずじまい。この先、矢本以外の途中停車駅はなく、あおば通〜高城町間で、走っては停まり、走っては停まりという退屈な時間を過ごしてきた身にとっては、少しばかり楽しい時間が続きます[④]

 陸前大塚通過後、不自然な更地が見えてきました[⑤]。建物という建物はスーパーハウスくらいで、真ん中を道路が突っ切っていく。「津波で大きな被害を受けたところだろうか」と思いましたが、Google Earthで昔の衛星写真を見て仰天。この辺りは、元々は森だったようです。その後、区画整理だけが済んだ状態の住宅街(になるであろう土地)が出現[⑥]。森林を伐採し、集団移転用の高台を整備しているところなのでしょうか。

 移転といえば、仙石線の線路も、被災後の復旧に際し、一部の区間で移設が行われました。陸前大塚〜陸前小野間の線路は、従来よりも内陸寄りに移設され、それに合わせて、同区間の途中駅である東名駅と野蒜駅も、内陸の高台で新たに開業しました。仙石線の新ルートは2015年5月30日に開業(復旧)したばかりで、それからまだ1年も経っていません。駅や線路が妙に綺麗なのも納得[⑦] [⑧]

 完成してからまもない新しい高架線を進み[⑩]、吉田川と鳴瀬川を越えると、列車は陸前小野を通過し、従来から敷設されている元のルートへと復帰します。陸前赤井と蛇田の間にある石巻あゆみ野は、3月26日に開業する新しい駅で、開業も間近ということもあり、ほぼ完成状態。未開業の駅を通過しているという感じはあまりせず、開業済みの駅を特別快速として通過しているように感じられます[⑪]

 左手から石巻線の線路がやってくると、終点の石巻はもうすぐです[⑫]。10:16、所要25分で、列車は石巻に到着しました[⑬]























 石巻駅にやってきました[①]。これで仙石線は全区間を乗車したことになりますが、線路自体は、この先、石巻線によって女川まで伸びています。

 「仙石東北ライン開業 仙台⇔石巻駅間を最速52分 約10分短縮で結びます」[②]。最速52分というのは、当然、特別快速のみが達成している所要時間ですが、その特別快速は、1日に1往復しか運転されていません。明らかに最速記録を作るためだけの運転です。JR東日本からすれば、別に画期的な速達輸送を実現するために接続線を整備したわけではない、というところでしょうが、もう少し特別快速があっても良いように思います。

 石巻市は、一応、宮城県第2位の街ですが、人口は15万人に満たない程度なので、都会的な街並みが広がっているわけではありません[⑥]。駅舎への入り口は、改札口へ繋がるものと[⑦]、びゅうプラザの店内へ繋がるものと[⑧]の2つがあり、一見すると、2つの別の駅舎を連結しているかのように見えます。前者の上では、石ノ森章太郎・作のサイボーグ009に登場するジェット・リンクが、空に向かって飛んでいます[⑨]

 改札口へ繋がる側の入り口から入ると、駅舎内は、左手にニューデイズ、正面に改札口、右側にびゅうプラザ・みどりの窓口という構成[⑩]。自動改札機が設置されていますが、その設置は2003年7月と、地方部の大規模とは言えない駅としては比較的早いもの。2003年10月に、Suicaは仙台地区でのサービスを開始し、石巻駅は、サービス開始当初の最初期から利用可能エリアに入っています。

 石巻市の面白いところといえば、市役所が百貨店の建物の中に入ってしまっているということでしょうか。駅前のすぐそこに、桃色の百貨店風の建物が建っていますが、その外壁には、「石巻市役所」の縦型看板が[⑪]。元々、この建物は本当に百貨店でしたが、それが閉店した時期と旧市役所の新築移転を計画していた時期が一緒であったため、市役所は、旧百貨店の中に移転することとなりました。

 次に乗車する列車は、10:38発の女川行きです[⑭]。小牛田〜女川間を結ぶ石巻線は、震災後、まず渡波まで復旧し、次に浦宿まで復旧。そして2015年3月、浦宿〜女川間も復旧し、石巻線は全線での運転を再開しました。これまで、未乗車の路線は東北地方に多く残っていましたが、それは、震災によって不通になった路線が多数あったほか、復旧する/しないが未確定な路線が多かったからです。

 震災から5年近くが経過し、東北地方の各路線も、未来の大勢が固まってきました。無事に復旧した路線もあれば、BRTのまま営業することが決まった路線もあります。復旧はさせても、JR東日本は運営せず、三陸鉄道に移管することにした路線もあります。 「今後どうなるか分からないから保留で」としてきた態度を改め、今回、ようやく東北地方の各路線を乗っていくことにしたのは、5年が経って大勢が見えてきたためでもあります。




















 女川行きの列車に乗車します。車両は2両編成のキハ110系[①]。 石巻線に乗ること自体は、別に今回が初めてというわけではなく、2012年の6月と8月に、小牛田〜石巻間において、それぞれ乗車しています。当時は「窓を開けなきゃやってんらんないキハ40系の溜まり場」という路線でしたが、知らない間に、全ての車両がキハ110系に置き換わっていたようです。

 列車は「ロングシートはがら空き、ボックスシートは進行方向向きの窓側には人がいる[③]」という程度の乗車率で石巻を発車し、まずは旧北上川を渡ります[④]。川面に照り返す陽光がとてつもなく眩しく、そして暑いです。今後、更に更に北へ向かうということで、それなりの厚着をできるような用意はしてきていますが、今日に関しては、地元と同じ服装でも全く問題ありません。

 最初の停車駅は陸前稲井[⑤]。1面1線の小さな駅です。2016年の夏ごろより、接続線経由で仙台〜女川間を直通する列車の運転を開始することが計画されているとのことですが、朝に上り1本・夜に下り1本(=計1往復)が走る程度というのでは、情けないにもほどがあります。特別快速を女川まで延長するくらいのことはしても良いはず。もっとも、その場合、陸前稲井をはじめとする途中駅は、通過が妥当なのでしょうが。

 陸前稲井を出ると、進路を右へ変え、沿岸部を目指していきます[⑥]。沢田〜浦宿間では、線路は万石浦湾に沿うように敷設されていて、進行方向右側には、穏やかな万石浦の眺めが絶えず広がります[⑦]。これを知ってか、車内は、海側の座席に座る人の方が多かったです。

 浦宿を出るとほどなくして入るトンネルを抜ければ[⑨]、そこは終点の女川です。右へと弧を描く線路の先に、移転開業に合わせて建設された新しい駅舎が見えます[⑩]。11:03、列車は、装いを改めた新しい女川駅へと滑り込みました[⑪]


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