Page:16

※各画像はクリックすると拡大します。










 今日、バスに乗るのは、もうこれで9回目です[①]。まあ、JR東日本の鉄道路線の代替として運転されている以上、乗車対象から外す明確かつ理論的な根拠がなく、乗らないわけにはいかないのですが、それにしても・・・。これっていったい何の旅だったかなぁ。テレビ東京系で好評を博している路線バスの旅か何かでしたっけ? 鉄道の旅であるはずなのに、鉄道が全くと言ってよいほど出てきません。

 鹿折唐桑〜気仙沼間は、専用道が完全に整備されているので、渋滞や交通整理に邪魔されることなく気仙沼に辿り着きました[③]。気仙沼〜盛間のメインルート、陸前高田〜陸前矢作間の枝線、鹿折唐桑〜上鹿折間のミヤコーバス委託枝線の3つ全てを乗り尽くしたので、大船渡線の気仙沼〜盛間に関しては、これで乗車が完了したということで良いでしょう。

 しかし、大船渡線は、一ノ関〜盛間を結ぶ路線として定義されています。一ノ関〜気仙沼間の鉄道部分もきちんと乗らなければ、大船渡線を全線乗車したと言うことはできません。というわけで、ついに、ようやく、やっと、列車が登場します[⑤]。16:21発の普通列車に乗車し、一ノ関へ向かうこととしましょう。「列車に乗る」という当たり前のことが、これほどありがたく感じられるとは・・・。

 4番線のホームに接して敷かれているのは、道路ではなく、線路です[⑥]。紛れもない線路です。番線案内の標示には、「BRT」の文字はなく、「大船渡線 一ノ関方面」とあるだけ[⑦]。昨日、柳津〜大谷海岸で初めてBRTに乗ったときは、BRT初乗車ということで、それなりに楽しいと思いながら乗っていましたが、それ以降の乗車は、もう全て半ば作業化していました。























 一ノ関行きの列車は、キハ100系の2両編成での運転でした[①]。キハ100系・110系の初期製造車両は、一般型気動車でありながら、乗降扉はプラグドアとなっています[②]。これにより、車体鋼板を薄型化し、車体の軽量化などができたということですが、試作車の登場が1990年であることを考えると、”バブリーな設計だなあ”と。特急型車両でもないのにプラグドアだなんて、今だったら考えられないですね。

 大船渡線には、「ドラゴンレール大船渡線」という路線愛称がつけられています[③]。かつては、一ノ関〜盛(気仙沼)間を結ぶ快速として、スーパードラゴンが運転されていたこともありました。閑散路線での快速の運転は難しいもので、「ただでさえ本数が少ないのだから、普通列車にして乗車機会を増やそう」ともできますし、「需要が少ないのだから、快速で主要な駅同士を速く結ぼう」ともできます。大船渡線では前者となりました。

 BRTの専用道と鉄路が同居するという状態の気仙沼駅[④]。これが専用道ではなく、普通の路線バスが発着する道路であれば、「路線バス(近距離・細かな移動)と鉄道(遠距離・大まかな移動)のシームレスな乗り換えを実現する未来の駅」と褒め称えることもできますが・・・。まあ、被災鉄道のBRT化は、ある程度はやむを得ないところがあると思っていますが、このような光景を見るとつくづく残念でもあります。

 思っているような座席が見当たらなかったので、最後尾部に立ち、後面展望を楽しみながら一ノ関まで行くことにしました[⑤]。しかし、このような場合でも、私は、前面展望はしないように努めています。運転士も、やはり右横にずっと客が立っていれば集中しにくいでしょうし、私の場合、随時カメラで写真を撮るので、いくら静音モードにしているとは言っても、そのシャッター音は、運転士の妨害要因になってしまいます。

 列車は定刻で気仙沼を発車[⑥]。しばらくの間、気仙沼線のBRT専用道と並行していきます[⑦]。この後、両者は分かれ、大船渡線の線路は内陸部へ、気仙沼線のBRT専用道は海沿いへ向かっていきますが、大船渡線の一ノ関〜気仙沼間が鉄道として生き残ることができたのは、ひとえに「内陸部を通っていたから」。しかし、内陸を通る路線にも土砂災害などはありますから、内陸だから安全だ、と言い切ることはできません。

 2本のレールの上を、一定の間隔で走行音を刻みながら走っていく[⑧]。私が求めていた時間がここにありました。バスにも飛行機にも成せない心地良い一瞬が、そこにはあります。一方、変わり映えのしない走行音がひたすら流れていたかと思うと、列車は突然鉄橋の上を渡り、そのとき、走行音が一気に変化する[⑨]。「耳だけでも楽しめる」ことは、鉄道の旅の良いところです。

 折壁駅のホームには、ポケモンのトピアリー(樹木を刈って創る造形物)があります[⑩]。一ノ関〜気仙沼間では、ポケモントレイン気仙沼号なる列車も運転されていますし、同列車を迎えるにはふさわしい作品です。これが置いてあることがその理由ではないと思いますが、折壁駅は、同列車の停車駅に設定されています(普通に考えれば、停車駅だからトピアリーを置いたということでしょうけど)。

 16:44に小梨に到着[⑪]。線路がもう1組敷けそうな用地とホームがありますから、以前は、2面2線の駅だったのでしょうか。それだけで保守費用をかなり削減することができるのか、列車本数が減って列車交換の機会が少なくなった路線では、元々は列車交換ができるようになっていた駅を、このように線路を撤去して、列車交換ができない棒線駅にすることがよくあります。

 駅名標にポケモンが入った駅、摺沢に到着[⑬]。ひとつ隣の千厩と共に、一ノ関〜気仙沼間における主要な駅として機能しています。























 摺沢で気仙沼行きの列車と列車交換を行いました[①]。向こうもキハ100系の2両編成でした。キハ100系と110系の違いは、その車体の長さ(短い/長い)ですが、大船渡線においては、前者しか運用されていません。「キハ110系を使うほどではないが、キハ100系の1両編成ではさすがに輸送力が不足しすぎる」といった思いが読み取れます。

 17:13に到着するのは陸中松川[③]。かつては急行の停車駅でした。この駅で注目すべきなのは、ホームにある、錦帯橋のようなアーチ橋のミニチュア・・・ではなく[④]、ローカル線の駅としてはやけに広いその駅構内です[⑤]。雑草に覆われ、もはやその役割を終えたように見えますが、何本かの側線が引かれている駅構内は、2両程度の気動車が行き交うローカル線としては、大きめの規模となっています[⑥]

 陸中松川では、以前、この駅の近くにある三菱マテリアル岩手工場への専用線が分岐していました。そのため、同工場で取り扱う物品を輸送する貨物列車もやってきていました。今も残る側線や広い駅構内は、貨物列車が発着していたころの名残ということなのでしょう。

 生い茂る木々を失って山肌が見えている山が見えてきました[⑦]。その様子は明らかに不自然で、人工的に木々を伐採し、そして山を削っているということは明らかです。で、ここはいったい何であるのかと思って調べてみると、「気仙沼市水産加工施設用地造成工事 盛土材採取場所」とのことでした。ただ、ここは既に一関市内であり、気仙沼市の沿岸部からだいぶ離れています。本当にここから土を持って行っているのでしょうか?

 山がすぐそばに迫り、ホーム上の屋根もないという駅に到着しました[⑧]。さて、ここの駅の名前は・・・? それは、岩ノ下です[⑨]。まさか本当に岩が転がり落ちてくるような危険な駅ではないはずですが、この立地にふさわしい駅名です。住所が「岩手県一関市東山町松川字岩ノ下」なので、あくまでも偶然なのでしょうが、偶然にしてはあまりにもぴったりです。

 東北地方最大の河川である北上川を渡ります[⑩]。空はまだ何とか明るさを保っていますが、既に陽が当たらなくなってしまった川面は、特に山に近づくにつれ、きたる闇を先取りしているかのような深みのある色に染まっていきます。3月も後半ですから、陽が出ている時間は長くなりつつありますが、そろそろ日没は近いようです[⑪]。車窓を楽しむという点では、6月に旅ができれば良いですが、どう考えても無理です。

 4車線の道路が見えてきたということは、一関の市街地が近く、交通量が増えてきているということです[⑫]。しばらくの間、その4車線道路(国道284号線)と並行し、それと別れたかと思うと、頭上を新幹線の高架橋が通っていきました[⑬]。さらに東北本線の線路とも合流した大船渡線は、一ノ関駅構内へと取り込まれていき、列車は終点の一ノ関に到着しました[⑭]


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25
26  27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46 


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ