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 キハ110系で運転される普通列車に乗り、柳津を目指します[①]。 柳津という駅は、今でこそ、気仙沼線の鉄道部分とBRT部分が接続する重要な駅となっていますが、震災以前は、快速の停車駅ではあったものの、そこを始終着とする列車は存在せず、単なる途中駅にすぎませんでした。

 前谷地までは石巻線を通ります。小牛田を出ると、東北本線などと並行することなく、すぐに進路を東にとります[②]。石巻線も、気仙沼線も、どちらも単線・非電化の地味なローカル線ですが、前者に関しては、小牛田〜石巻港間において、DE10形牽引による貨物列車が、6〜10往復程度運転されています。仙石線の全線復旧・仙石東北ラインの開業以前は、石巻線経由で仙台〜石巻間を結ぶ「直通快速」なる列車もありました。

 15:53、気仙沼線との接続駅、前谷地に到着します[③]。ここでは、石巻からやってくる普通列車と接続するため、4分停車します。気仙沼線のBRTは、鉄道が完全に不通の柳津〜気仙沼間で運転されてきましたが、2015年6月より、前谷地まで乗り入れてくるようになりました。今のところ、前谷地〜柳津間は無停車(しかし鉄道より遥かに遅い)ですが、きっと誰もが思ったこと。「前谷地〜柳津間もBRTに転換する布石なのでは」。

 前谷地からはいよいよ気仙沼線に入ります。と言っても、劇的に車窓や環境が変化するわけではなく、田園風景を中心とした長閑な車窓が続くこと、単線・非電化であるということは、石巻線を走っていたときと変わりありません[④]。最後の途中停車駅、御岳堂に停車し[⑤]、約330mの川幅がある北上川を渡ると[⑥]、列車は終点の柳津に到着します[⑦]























 柳津に到着しました[①]。現在、この柳津駅が、気仙沼線の鉄道部分とBRT部分の接続駅になっています。ここから先は、BRTをJR線と見なし(JRが公式に運行しているものなので、鉄道ではないが乗車対象とする)、BRT部分を乗っていくこととします。

 駅名標を見たとき、ひとつ手前の御岳堂はきちんと表示されていますが、ひとつ先の陸前横山は、白いテープで隠されてしまっています[②]。そして伸びゆく線路に目をやると、気仙沼方面の線路はすっかり錆びつき、雑草が生い茂り、トンネルは柵で塞がれてしまっています[③]。この先の区間は”まだ”不通です・・・と言いたいところですが、結局、気仙沼線の鉄路による復旧は断念されました。もはや”まだ”という表現は不適切です。

 先ほどのキハ110系は、前谷地行きとして折り返します[④] [⑤]。気仙沼線の起点駅ですから、前谷地行きというのは、別におかしくもなんともないのですが、別に大きな街にある駅ではなく、ただただ石巻線と気仙沼線が接続しているだけの駅です。私が先ほど乗車した列車のように、せめて小牛田まで(から)行けば、東北本線の列車と1回で乗り換えることができますし、幾分便利になるはずですが。

 跨線橋を渡り、駅前へ向かいます[⑦]。階段を下りて駅の外へ[⑧]。構内踏切ではなく、跨線橋でホームに出入りするようになっているなど、ローカル線の小駅にしては立派ですが、前谷地〜柳津間の開業が1968年10月の開業という、比較的遅い時期であったためなのでしょうか。なお、柳津〜本吉間の開業は、1977年という、地方ローカル線としては非常に遅い時期であり、これは国鉄最後の地方交通線新規開業でした。

 発車時刻表は、下り列車は完全な白紙状態で、上り列車の発車時刻のみが書かれています[⑨]。1〜3時間程度の運転間隔で、お世辞にも便利とは言えません。気仙沼線や大船渡線の不通区間は、BRTになり、鉄道時代よりも本数が大幅に増えたと聞きます。まあ、一種の「BRTは良いですよ意識の植えつけ」を感じないでもないですが、鉄道のままならそんな増発は不可能だったはずで、地方の鉄路の限界を見るような思いもします。

 観光物産館「ゆうキャビン」なる施設が駅前にあり、これが駅舎を兼ねています[⑪]。柳津駅は簡易委託駅となっていて、この物産館の中で切符の販売を行っているようです。改札までは設けていないので、ホームへの出入りは常時自由にできます。

 BRTはバスですが、普通の路線バスとはまた違います。そのひとつは、きちんとした待合室が整備されていることでしょうか[⑬]。屋根付き・扉付きのしっかりとした待合室は、雨風を凌ぐには十分なもので、鉄道における駅舎に相当します。停留所の名前を示す標識は、よくある丸形の鉄板を用いたものではないほか、前の停留所の名前はないものの、次の停留所の名前が書かれており、駅名標のような雰囲気があります[⑭]















 柳津16:36発の気仙沼線BRT55便に乗車します[①]。時刻表などでは、「列車との接続は行っておりません」という記述がありますが、列車側が遅れずに到着してくれたので、無事乗り継ぐことができました。遅延時の接続は行わないと言っても、列車側の柳津16:18着に対して、BRTは16:36発となっており、元々乗り継ぎを意識した時刻設定になっています。

 BRTのバスは、駅前のバス専用の駐車区画に停まっていましたが、発車の5分ほど前になって、BRTの停留所の前にやってきました。 いざ乗り込んでみると、やけに背もたれが短い座席といい[②]、ポールが林立していることといい、降車を知らせるボタンがあることといい、まるでバスのよう・・・というか、バスそのものです[③]。完全にバスです。BRTなどというカッコいい(?)呼ばれ方をしても、所詮はただのバスです。

 柳津駅を発車したBRTバスは、道路を走り、交差点を左に曲がって気仙沼方面へ・・・って、バスです。バスそのものです[④]。BRTの特性のひとつは、専用道を持つことによる高速輸送・定時性の高さですが、気仙沼線のBRTでは、専用道の整備はまだまだ道半ばで、このように一般道を走る区間が多数あります。そのようなところを走っているとき、私の中には、「これって路線バスの旅だったかな」という思いが渦巻きました。

 BRTバスは、柳津を出た後、国道45号線に入り、北東を目指します。向こうに気仙沼線の不通区間の線路が見えます[⑤]。この辺りは、沿岸部とは山で隔てられた内陸部なので、津波は来なかったようです。そのため、線路も至って綺麗に見えます。柳津の2つ先の陸前戸倉は壊滅状態になりましたが、1つ先の陸前横山は無事だったので、その気になれば、そこまでは列車を走らせることも可能なように思います。

 16:54、陸前戸倉に到着[⑥]。ここは、陸前戸倉〜志津川間にある専用道の起点となる駅です。BRT専用道の整備に合わせ、駅前の整備が行われ、大きなバスでも楽に走れるように駅前を拡張したり、一般車両による妨害を防ぐべく、道路への進入禁止や駐車禁止の表記を行ったりしました。



 さて、写真6枚で尺が短かったので、ここでちょっと私見をだらだらと。

 私はここの地元住民ではないので、彼らとはまた違った立場、感覚を持ち合わせているということを前提にお話ししますが、私は、BRTでの復旧が計画されている一連の被災路線については、必ずしも鉄道での復旧にこだわる必要はないと思います。

 BRTの利点、鉄道の利点については、もう各所で散々言われていることでしょうから、丹念には詳述しません。ここでは、「鉄道での復旧を所望する人たちは、なぜBRT(バス)への転換を頑なに拒否する(していた)のか?」ということの真の理由を考えてみたいと思います。

 そういった人たちは、鉄道の利点を、定時性や高速性、大量輸送性など(BRT=バスの不都合な点は、それらの裏返し)を理由に挙げてはいるものの、それは建前上の理由ではないか?と、私は考えています。ただの路線バスであるならばともかく、専用道での走行を基本とするBRTならば、それらの課題については、一般道の走行比率が高い現在はともかく、将来的には、ある程度の解消が見込まれると思います。

 では、鉄道での復旧を熱望する真の理由は何であるのか、と言えば、思うに、鉄道での復旧にこだわる人たちというのは、「時刻表や地図からその路線が消えること」を恐れているのではないか、と私は考えています。

 鉄道からバスに転換された路線はどうなるか。バスになってしまうと、時刻表においては、索引地図に細線で残るかもしれませんが、停留所名(駅名)までもが書かれるのは、本当に主要なところだけであり、大半は書かれません。鉄道であれば、いかに小さな駅であっても、索引地図を見れば、必ずその名前と位置が書いてあります。地方の小さな街にとっては、それは大切なことです。

 また、時刻表は、鉄道路線の時刻表が集まる部分からは切り離され、後ろの方のページに、停留所(駅)を大幅に間引いたものが一応掲載される程度になります。自分が利用していた停留所(駅)は、非掲載になるかもしれません。ただ、これはまだ良い方で、地図になると、より深刻です。鉄道のような縞々模様の線が描かれるはずはなく、停留所(駅)は、当然掲載されません。バスになると、その存在が、地図上から抹殺されるのです。

 鉄道が走っていて、そのダイヤが時刻表に掲載され、地図で見てもそこに線路が通っていることが分かる。これって、特に外部から見られたときのことを考えると、結構重要なことではないかと私は思います。

 例えば、北海道の紋別市。ここは、かつては名寄本線が通っていましたが、鉄道としては廃止され、バス転換されました。あるとき、紋別市に行こうと思って時刻表の索引地図を開いてみると、そこには鉄道が通っていない。外部(ここでは道外からの旅行者など)の人というのは、それだけでも「行きづらさ」のようなものを感じる部分がかなりあると思うのです。線路が届いていなければ、「ここから先はどうするんだろう」となってしまいます。

 そりゃあ遠軽とかでバスに乗り換えれば行けるのでしょうが、鉄道→鉄道への乗り換えと鉄道→バスへの乗り換えでは、印象が全く違います。前者であれば、基本的には時刻表内を探るだけでダイヤや乗り継ぎが分かりますが、後者の場合、バスの時刻は後ろの方に掲載され、乗降したい停留所が省略されていることさえあります。場合によっては、バスの時刻がなく、わざわざ別の媒体で調べなければならないかもしれません。

 また、鉄道の駅というのは、往々にしてその街の玄関口となります。鉄道の駅であれば、その線路も含め、地図には必ず描かれますから、自分の街の玄関口となる場所を、対外的にもきちんと示すことができます。駅名や路線名も書かれますから、街の名前や街へ通じる鉄道路線を認知させることもできます。バスではそれができないわけです。

 結局、そこから考えていくと、BRT=バスになるということは、時刻表や地図上からその存在が消され、自分の街の玄関口、いや、街そのものが外部から認知されなくなり、人々の意識の中から消えていくという恐れを孕んでいるわけです。内部(その街)から見ても、鉄道があって時刻表や地図に掲載されていれば、仙台へも、東京へも、全国各地との「繋がり」を感じられますが、バスとなれば、路線網上は、ただの陸の孤島です。

 もし、それがBRT化反対の本当の理由であるとするならば、正直なところ、その理論は分からないでもありません。認知されるとかされないとかの話は、実用的な要素ではなく、感覚的、感情的な要素ではありますが、先細りが進む被災地においては、それも真っ当な理由にもなると思います。



 だからこそ、私は、BRTを、極力鉄道時代と変わらぬように扱わなければならないと考えています。

 ひとつは、時刻表や地図への掲載を従来通りに続けること。BRTの時刻表も、鉄道路線が集まる部分に収納しておくのが良いでしょう。また、索引地図では、鉄道と同じように、全ての停留所(駅)を掲載し、太線(まあ色まで同じにする必要はないでしょうが)で示しておくべきです。地図でも、BRTを鉄道と同様の線で表現し、停留所(駅)をきちんと描いておくようにします。

 制度面の改善も必要でしょう。現在、BRT部分は、鉄道時代と同じ運賃であり、鉄道部分と一緒に1枚の乗車券に入れることが可能でありながら、運賃は別計算とし、合算するようになっています(例:小牛田→BRT経由・気仙沼→一ノ関の場合、<小牛田〜柳津>・<気仙沼〜一ノ関>の鉄道キロの通算運賃と、<BRT柳津〜BRT気仙沼>の運賃を別個に計算して合算)。また、えきねっとなどでは、BRTのみの乗車券は購入できません。

 鉄道から切り離したような、このような内向きな姿勢な好ましくありません。鉄道時代と同様に、JRの鉄道路線のひとつとして扱い、前述の例のような場合であっても、小牛田〜気仙沼〜一ノ関の通しの鉄道運賃で利用できるようにすべきでしょう。また、えきねっとなどでも、BRT部分のみの乗車券を購入できるようにした方が良いでしょう(そもそも、鉄道の<仮>復旧としてやっているのに、なぜ会社線扱いにしているのやら?)。

 3つ目のブロックで、時刻表に「列車との接続は行っておりません」という表記があることをお伝えしましたが、これも良くありません。可能な限り接続はとるようにすべきでしょう。鉄道なら必ず接続するのか?といえば、そんなことはありませんが、時刻表で接続しないことを堂々と宣言してまではいません。まあ、現在でも、多少の遅れであれば、乗り継ぎができるように便宜が図られるとは思いますが、何もこんな宣言をしなくても・・・。

 柔軟性のあるルート構成など、必ずしも鉄道に近づけなければならないことはないという要素もありますが、BRTならではの良さを取り込みつつも、いかに鉄道時代と変わらぬ感覚で扱うか、ということは、今後、BRTに求められる課題のひとつであると思います。


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