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 復旧からまだ1年と経っていない女川駅にやってきました。ホームの鉄柵には、「歓迎 ようこそ女川町へ」という横断幕が[①]。私の場合、駅に「降りる」と言っても、日中は、それは乗り換えのための30分や1時間程度の滞在である場合が多く、大半は歓迎されるに値しない訪問であるわけですが、今回は、女川では2時間20分ほどの時間があります。ここの食堂で昼食も食べる予定ですし、一応、女川経済を回す歯車にはなるかなと・・・。

 旧女川駅は、1面2線と機回し線を持つという駅でしたが、現在の女川駅は、1面1線でそれ以外の設備はないという、必要最小限の構造です[②]。以前、2009年に女川にSL列車がやってきたときは、機回し線を使っての機関車の付け替えを行ったようですが、今やそのようなことはできません。もし、再度SL列車を走らせるとすれば、復路はDLによる牽引となるのでしょう。

 駅舎を出てすぐ左脇に、無料で利用できる足湯が設置されています[③]。平日だからか、それとも風が強いからか、利用者は誰もいませんでした。何せ無料ですから、私も、浸かってみても良いかなと思っていましたが、一日の終わりでもないのに靴や靴下を脱ぎ着するのは面倒で、また、それなりに風があった(お湯から足を抜いた瞬間より即湯冷めする)ため、結局利用しませんでした。

 駅から海へと向かって、商業施設が集結する遊歩道「シーパルピア」が伸びていきます[④]。その起点となるのが、立派な駅舎を携えて、装いも新たに復旧した女川駅です[⑤]。左右に広がる大きな白屋根は、ウミネコが羽ばたく様子をイメージしたとされ、正面から見てみると、その場面がよく想像できます。駅舎は、町営温泉「女川温泉ゆぽっぽ」を併設していますが、足湯とは異なり、こちらは有料[⑥]

 駅舎の3階部分には、自由に立ち入ることができる展望デッキが設けられています[⑧] [⑨]。階段の踊り場からは、駅の裏手(山側)が見えますが、ようやく復興が進みつつある海側とは異なり、こちらは更地状態のまま[⑩]。石巻線の線路は、ここで見えている山をトンネルで越え、石巻方面へと向かっていきます。先ほど通過したトンネルは、この山を抜けるためのものです。

 「展望デッキと言うからには、それなりに素晴らしい眺めがあるのだろう」と期待しつつ、階段を上がり切ると・・・[⑪]、うーむ、この眺めではちょっと物足りないかも・・・[⑫]。”展望”ということで、例えば、街並みが一望できるとか、あるいは広がる海を一望できるとか、そのようなものなのだと考えていました。まあ、駅舎の3階では、ちょっと視点が低いです。快晴であれば、もう少し違った眺めを見られたかもしれませんね[⑬]




















 とりあえず、駅舎の中にある待合室に入ってみました[①]。アサヒの自動販売機が設置されていますが、木の素材感を出している壁と合う塗装を採用し(普通は青色)、壁に掘った穴に入れて飛び出さないようにするなど、この場の雰囲気を壊さないような配慮がなされています。

 背もたれ付きの椅子が設置されていますが・・・、どうも、澄み切った白色ではありません[②]。なんか、薄汚れた白色? というより、これは土汚れそのものか?[③] 一瞬、「管理が行き届いていないにも程がある」と思いましたが、ふと我に返り、椅子の表面を指でこすってみると、その汚れは移りませんでした。こういう模様ということなのかもしれませんが、最初にふと目に入ったときは、座る気が全く起きませんでした。

 待合室内には、ラジオが絶えず流れていますが、普通のラジオを垂れ流しにしているわけではありませんでした。流していた放送の発信元は、「女川さいがいFM」[④]。臨時災害放送局として2011年4月21日に生まれたこの局は、免許更新を繰り返しながら生き長らえ、2016年3月29日の昼頃についに停波。当初は2か月程度で終了する予定だったところを、約5年間も放送を続けました。

 いずれはこの辺りで昼ごはんを食べますが、まだ早いので、とりあえず駅周辺をぶらりと街歩き。駅から海へ向かって伸びる遊歩道「シーパルピア」には、様々な商業施設が集まり、女川町の新しい商店街となります[⑤] [⑥]。全体的な統一感を出すためなのか、建物の外観デザインは、ほぼ共通となっているようです。全ての店が出揃っているわけではなく、来訪時は、まだ未開店の店もいくつかありました。

 女川町では、復興に際し、嵩上げが実施されることになりました。嵩上げ工事で使用するための土は、市街地周辺の山を切り崩していくことによって確保します。例えば、この山も、震災以前は、もっと緑が青々と茂っていましたが、樹木は当然切り倒され、山自体も、度重なる切り崩しによって痩せていっています[⑦] [⑧]。現在と過去の衛星写真を比較してみると、その変化がよく分かりました。

 少し盛り上がったところを見て、「こうやって嵩上げは進むのか」などと感心していましたが[⑨]、このとき、私は気が付いていませんでした。既に嵩上げは進んでおり、今自分自身が立っているところも、嵩上げが済んだ場所であるということを。海へ向かう道を歩いていたとき、道がどんどん下っていくことに気が付いて、初めてそのことを知りました[⑩]。そこの高さがどうであれ、地面が水平に続いていれば、「平地」と認識しますからね・・・。




















 港へやってきました[①]。この水準の高さこそが「かつての平地」であり、駅も街も道路も、この高さで広がる土地の上にあったわけですが、今後は、嵩上げがなされたところが「新たな平地」となり、港などがある高さのところは、むしろ低地として扱われることになるのでしょう。今日は風こそ強いですが、天気は落ち着いているので、海も実に穏やかな表情を見せています[②] [③]

 一方、ここの港は、ウミネコや鳶の溜まり場となっているようで、実に賑やか。海面を見れば、ウミネコが寛いでいたり[④]、何かを見つけたのか飛び出して行ったり[⑤]。たくさんのコンテナが見える向こうの方では、無数のウミネコが入り乱れて大騒ぎ[⑥]。頭上に広がる青空を見てみれば、そこをウミネコが通過していったり[⑦]、鳶がゆったりと滑空していたり[⑧]

 「撮り鉄」をすることがあまりないため、普段、所持している一眼レフの連写機能を使うことがほとんどありませんが、「宝の持ち腐れ状態の連写を使うのに最適な機会じゃないか」ということで、しばらくの間、空を舞うウミネコや鳶とカメラを片手に戯れ続けました。なお、ここに掲載した2枚の写真は、ともにトリミングをしているため、鳥が大きく映っていますが、標準レンズで撮影したため、元の画像では、もっと小さく映っています。

 この後、簡易食堂のようなところで、昼食として「メンチカツカレーライス」を食べました。キャベツ・メンチカツ、ワカメスープ、サラダ、カレーライスがついて760円という、わりあい良心的な価格設定。お昼時ということもあってか、店内はかなり混雑していましたが、復興工事に携わっていると思われる作業員の姿が多くみられたのは、現在の女川と言う待ちの状況をよく表しているように思われます。

 そして女川駅へ帰還。ふと運賃表に目をやると、仙石東北ライン(接続線)は、塩釜と高城町を結ぶように線が引かれていました。2ページ目でもお伝えしたように、東北本線と仙石線の接続線は、運賃計算上は松島・高城町接続となっている一方、駅としての接続点は、塩釜と高城町です。この運賃表では、実態に即した図を描いているようです[⑨]。本当は、塩釜と松島の間の線に繋げる方が、より一層現実に近くなるはずですが。

 次の列車に乗るため、ホームへ。先ほど乗車したキハ110系は既に折り返していったので、今ホームにいるキハ110系は、また違う車両です[⑪]


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