15:11発の伊勢奥津行きは、キハ11形2両編成による運転でした[①]。この中途半端な時間帯に2両も繋ぐのか、と思いましたが、「名松線復旧フィーバー」に伴う混雑を見越してのものかもしれません。ただ、今日は復旧2日目ということもあってか、それほど盛り上がってはいないようで、車内には余裕があり、選り好みさえしなければ、いくらでも座席に座れる程度の乗車率でした。
JR線の(仮)全線乗車に向けて、列車は松坂を発車しました。この列車を終点まで乗り通すと、名松線の全線乗車が完了し、ついに私の夢が(一応)達成されます。松阪をやや遅れた発車した影響で、松阪15:15発の白塚行きの普通列車(近鉄)との並走も発生しました[②]。
紀勢本線との並行区間が終了し、名松線と紀勢本線は、互いに違う方向へ向かって別れを告げました[③]。ここから家城までは、田園地帯の中を単線・非電化の線路が伸びていくという、典型的な地方のローカル線の構図が続きます。そういったローカル線でも、線形が良い区間では、速度を上げて走るものですが、名松線は、全線で最高速度が65km/hとなっており、どれだけ飛ばしても自動車並みの速度しか出せません。
少し遅れて一志に到着[④]。以前は業務委託による有人駅で、下りたままの白いシャッターがその名残となっています。ここから150mほど歩いたところには、近鉄の川合高岡駅があるため、名松線の全線乗車にあたって、「盲腸線を単純に往復するのでは飽きる」というような方は、ここで近鉄線との乗り換えを行うと良いかもしれません。
一志の次の井関は、以前は交換設備を有していた駅です[⑤]。2面2線の駅として運用され、現在でも、その痕跡が残っています。こうした棒線駅化は、全国のローカル線で広く見られますが、それは列車の本数が減ってしまっていることの裏返しでもあります。
伊勢大井駅の手前辺りで出現する雲出川は、この先、終点の伊勢奥津まで、名松線と付き合っていくことになります[⑥]。内陸の山間部へ向かって進んでいく名松線では、海は絶対に見られないので、川があることは、車窓に彩りが加えられることでもあります。
そして列車は家城に到着しました[⑦]。名松線における主要駅であり、同時に、列車交換ができる唯一の途中駅でもあります。そのため、松阪〜伊勢奥津間の全線を通して走る上下列車は、必ず家城で列車交換を行います。
|