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 陸前戸倉から、BRTバスは専用道へと入ります[①]。一般車両や歩行者が進入できない道路(というわけで、実は私道)で、バス1台が通れる程度の道幅となっています。鉄道に置き換えて言えば、単線ということですね。基本的に、元々は線路があったところの路盤を転用して造成したもので、車窓は、鉄道時代とほぼ等しいものになります。そんなわけで、トンネルなどは、鉄道時代に使われていたものをそのまま流用しています[②]

 この専用道では、海が見える区間があります[③]。列車の中からこんな車窓が見られたんだな、と、気仙沼線の在りし日に思いを馳せます。しかし、困ったことに、BRTの専用道でありながら、一時停止(行き違い設備があるところでは対向バスがなくても必ず止まる)を繰り返したり、鉄道用地の転用で道路としては非常に良い線形でありながら、60km/hまでしか出せなかったりします。これらは今後の課題となるでしょう。

 専用道を3400m程度走った後、BRTバスは一般道へと戻ります[④]。止まれの標識に従って一時停止した後、左右の安全を確認して一般道へ戻るという動作は、もう路線バスの動きそのものです。先ほどまでとは異なり、舗装も線形もイマイチな一般道になるので、乗り心地も一気に劣化。本当は全区間専用道が理想的ですが、今後は、少しでも専用道の区間を延長することが求められます。

 17:15、ベイサイドアリーナに到着[⑤]。BRTとして復旧した後に開業した新設駅で、鉄道時代にはありませんでした。名前の通り、体育館のすぐ近くにある駅ですが、ここには、南三陸町役場の仮庁舎や南三陸診療所などもあるため、それらの施設への玄関口にもなっています。そのため、BRTバスがこの駅を経由するのは、役場が開庁している時間帯のみであり、早朝と夜は非経由です。

 ベイサイドアリーナ、清水浜と停車した後、BRTバスは歌津に停車します[⑥]。なんだかんだ言っても、所詮は”バス”なBRTですが、駅(停留所)に便所や待合室がある点は、バス停の停留所とは違う、鉄道の駅に近い機能です。鉄道時代は、地上に駅舎があり、築堤上に線路とホームがありましたが、津波で駅舎は流失。ホームも、一部は津波で流されてしまいましたが、全体としてはまだ原形を保っていました[⑦]

 ガードレールがついた築堤が途切れています[⑧]。鋭意整備中のBRT専用道でしょうか。長い闘争の果てに、気仙沼線・大船渡線の不通区間は、全区間BRTで復旧することが決定しましたから(まあ、遅かれ早かれこうなることは決定事項だったはずですが)、今後は、専用道の造成を急速に進めていくことでしょう。その一方で、手が付かないまま放置されている鉄道高架橋の姿も・・・[⑨]

 陽が落ちてきて、徐々に夜が近づいてきています[⑩]。穏やかな表情を見せる津谷川は、今日が平穏な1日であったことを暗示しています。・・・ところで、列車であれば、何も見えない夜でも「走行音を楽しむ」ということができますが、バスではどうやって夜間をやり過ごせば良いのやら?

 BRTバスは、17:48に本吉に到着します[⑪]。鉄道時代から主要な駅で、ここを始終着とする列車の設定もありました。2011年3月のダイヤ改正を反映した「幻の時刻表」によると、本吉発の下り列車は、平日で1日12本でしたが、BRTになってから大増発され、駅に掲示された下り発車時刻表を見ると、平日で1日34本ものバスがありました[⑫]。閑散時間帯の日中でも、毎時2本が確保されています。

 本吉から再び専用道に入ります。こうして窓の外を見てみると、BRTバスに乗っているような感覚はなく、列車に乗っているような感覚です[⑬]。その後、専用道から一般道に戻り、海沿いの地帯へと入って、私は目的地の大谷海岸で下車しました[⑭]
















 大谷海岸にやってきました[①]。と言っても、明確な目的を持って下車したわけではなく、「(実質の)路線バスに2時間近くも乗り続けたら尻が死にそう」、「30分待てば次の便がある」、「あのまま乗り続けても、次の便に乗り換えても、気仙沼で乗り継ぐ先の便は変わらない」ということで、どこか適当な駅で降りてみようということになり、それがたまたま大谷海岸だったというわけです。

 この駅の下調べはしておらず、大谷海岸を下車駅に選定した理由は、「大谷海岸というからには、まあ海が近いんだろうな」という程度のもの。その予想は正しかったようで、国道を挟んだ向こう側という、たしかに近いところに海がありました。その手前には、「あの日を忘れない」と書かれた献花台が設けられていて、何本かの花束が供えられていました[③]。これだけ海が近いわけですから、それはもう・・・。

 国道を渡った先は砂利道だったのが、海に近づくにつれてアスファルト舗装に変化して、「なんか駅のホームっぽいよな」と思っていたら、なんとそこは本当に駅のホームでした[④]。ホーム表面の「WELCOME OYA STATION」というペイントや錆びついた線路が、当時のままに残されていました。ここだけ見てみると、既に実質廃線(鉄道として)になったというようには感じられず、信じられません。

 ホームや線路は残っています。道路には車が行き交い、人の往来もあります。月だって上っていますし、海も穏やかです[⑤] [⑥]。今日もまた、普段通りの時間が流れているのに、大谷海岸駅の部分だけが、ホームに灯りが灯ることもなく、そして列車が来ることもなく。時が止まっている・・・というより、そもそも、時間という概念自体が存在していないように感じられます。

 鉄柵が錆びつき、歪んでいるのは、津波の所為でしょうか[⑦]。 鉄道駅としての大谷海岸駅は、永遠の眠りに就きました。















 次なるBRTバス、18:33発の気仙沼行きがやってきました[①]。まあ、こんなところから乗るのは私くらいだろう・・・と思っていたら、私以外にも、カップル1組、女性1人の、計3人の乗車がありました。もっとも、車内は空席が目立ち、乗車率は高いものではありませんでした。

 陸前階上駅手前〜最知駅奥の約5kmに及ぶ専用道を抜け、再び一般道へ[②]。専用道と一般道の交差点では、当然、専用道を通るBRTバスの方が優先されますが、一般道に戻れば、扱いは普通の車と同等になります。今回に限らず、一般道から専用道へ入る場合は、当然すんなりと行けますが、その逆は上手くはいかないもので、1回で一般の幹線道路に入れないということも多いです。

 BRTバスは、やがて気仙沼市の市街地へと入っていきました[③]。様々な商業施設のほか、各自動車メーカーのディーラーなども集結していて、街明かりが眩しいです[④]。街の本当にど真ん中を走るというのは、やはり道路を走るバスならではのことで、列車であれば、こんな右に左に店が立ち並ぶ・・・というところを走ることはありません。線路(があったところ)から道路へ・・・って、これ、ある意味、あのDMVそのものなのでは?

 19:02、終点の気仙沼に到着[⑤]。夜の気仙沼市街地を通り抜けるという便でしたが、渋滞に巻き込まれるようなことはなく、定刻で到着してくれました。いつもこうであれば良いんですがね。あくまでも道路上に設置するのが基本となるBRTの駅(停留所)ですが、気仙沼では、鉄道の駅の中に取り込まれていて、ホームに線路が接する、ではなく、ホームに道路(BRT用)が接する、という光景が見られます[⑥]


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