大谷海岸にやってきました[①]。と言っても、明確な目的を持って下車したわけではなく、「(実質の)路線バスに2時間近くも乗り続けたら尻が死にそう」、「30分待てば次の便がある」、「あのまま乗り続けても、次の便に乗り換えても、気仙沼で乗り継ぐ先の便は変わらない」ということで、どこか適当な駅で降りてみようということになり、それがたまたま大谷海岸だったというわけです。
この駅の下調べはしておらず、大谷海岸を下車駅に選定した理由は、「大谷海岸というからには、まあ海が近いんだろうな」という程度のもの。その予想は正しかったようで、国道を挟んだ向こう側という、たしかに近いところに海がありました。その手前には、「あの日を忘れない」と書かれた献花台が設けられていて、何本かの花束が供えられていました[③]。これだけ海が近いわけですから、それはもう・・・。
国道を渡った先は砂利道だったのが、海に近づくにつれてアスファルト舗装に変化して、「なんか駅のホームっぽいよな」と思っていたら、なんとそこは本当に駅のホームでした[④]。ホーム表面の「WELCOME OYA STATION」というペイントや錆びついた線路が、当時のままに残されていました。ここだけ見てみると、既に実質廃線(鉄道として)になったというようには感じられず、信じられません。
ホームや線路は残っています。道路には車が行き交い、人の往来もあります。月だって上っていますし、海も穏やかです[⑤] [⑥]。今日もまた、普段通りの時間が流れているのに、大谷海岸駅の部分だけが、ホームに灯りが灯ることもなく、そして列車が来ることもなく。時が止まっている・・・というより、そもそも、時間という概念自体が存在していないように感じられます。
鉄柵が錆びつき、歪んでいるのは、津波の所為でしょうか[⑦]。
鉄道駅としての大谷海岸駅は、永遠の眠りに就きました。
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