釜石線の終点、釜石駅。JR線としては、ここで山田線に接続していることになっていますが、山田線の宮古〜釜石間に関しては、JR線としての復旧はせず、三陸鉄道に移管しての復旧が決定しています。しかし、震災以前は、太平洋沿岸を盛<南リアス線>釜石<山田線>宮古<北リアス線>久慈と結んでいたものが、三陸鉄道だけで通すようになるわけですから、ある意味では自然な形に落ち着くだけとも言えます。
JR以外の路線では、盛〜釜石間を結ぶ、三陸鉄道の南リアス線と接続しています[②]。昨日、私は盛駅を訪れていますが、釜石に来るのに、JR線にこだわってわざわざ気仙沼・一ノ関・花巻経由で来る人は、まずいないでしょう。まあ、私も無事情ならばそうしますが、「JR線の全線乗車を達成する」という目標を掲げている現時点では、そういった移動の仕方をとらざるを得ませんでした。
被災地復興という名目ではありますが、ついにイオンタウンが釜石までやってきました[③]。まあ、「モール」ではなく「タウン」なので、比較的小規模な店舗に分類されますが、これが「イオンによる画一化」というやつでしょうか。地元の商店街がどうとか、田舎の文化がどうとか、そういう観点から巨大ショッピングセンターの是非が議論されることがありますが、結局、「ただの利用者」の視点に立ったとき、どっちの方が便利かと言えば・・・。
左(鉄橋へ行く側)の線路は北リアス線。では、右の線路は、不通となっている山田線でしょうか?[④] そこに快速はまゆり1号から回送列車になったキハ110系が進んでいきます[⑤]。しかし、何のことはない。山田線の線路は、北リアス線が伸びていくのとは反対側に伸びていっており、この右側の線路は、車両整備のためのただの引き上げ線でした。
駅舎内に設置された発車標は、釜石線のものと山田線のものが並んでいます[⑦]。釜石線のものがこれから発車していく列車を表示する一方、山田線のものは、もうずっと「運転を見合わせております。」のままです。釜石線が無事で山田線が無事でなかった理由。それは、ひとえに、内陸部だけを通っていたのか、それとも沿岸部も通っていたのか、ということです。それが運命を分かちました。
駅前に出ると、そこに市街地らしいものはなく、いきなり新日鉄住金釜石製鉄所が聳えています[⑨]。駅前を横断する国道283号線は、駅からやや離れた市街地を目指しているのか、多くの車が行き交っていました[⑩]。通常、宿泊施設というものは、当然、その街の中心部に多く建設されるものですが、釜石駅では、2012年末に開業した新しい駅舎の横に[⑪]、JR東日本運営のホテルフォルクローロ釜石が建っています[⑫]。
盛駅と同様に、三陸鉄道の駅は、JR東日本とは別の駅舎を持っています[⑬]。「イオンタウン釜石」とは、まるでバス停のような名前だな、と思ってしまいますが、これはネーミングライツによるもの。しかし、イオンほどの企業がネーミングライツを買ったところで、特段の宣伝効果が出るとは思えませんが・・・。まあ、一種の復興支援として、三陸鉄道にお金を回すために買ったという考え方もできますが。
釜石から乗るのは、JR線でもなく、三陸鉄道でもなく、高速バスでもなく、路線バスでもなく、果てはタクシーでもありません。普通の乗用車、即ち、レンタカーです。私の旅日記においてレンタカーが登場するのは、2014年8月〜9月の北海道旅行以来、2回目です。駅のすぐそこにあるトヨタレンタカー釜石駅前店に行き、貸し出しの手続きをとることとしましょう[⑭]。事務所の前にある水色のヴィッツが私の車・・・ではありません。
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