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 はまゆり号は盛岡からやってくる列車です。しかし、釜石線は、花巻から盛岡方へ向かって分岐する路線であるため、盛岡からやってきた列車は、釜石線に入っていくにあたって、ここで進行方向を変えることになります。これまで最後尾を務めてきた3号車・指定席車両は、尾灯を消し[①]、一度消灯状態になった後、今度は前照灯を灯し、先頭車両になる準備を整えます[②]

 3号車の指定席車両では、リクライニングシートが使われています[③]。一方、1・2号車の自由席車両では、クロス(ボックス)シートが使われており、差がつけられています。それほど多くはないながらも、3号車には、他にも何人かの乗客がいました[④]。盛岡〜釜石間は、快速のはまゆり号でも2時間を超える所要時間を要し、新幹線などの逃げ道もありませんから、指定席車両があるのは、利用客からすればありがたいことです。

 3号車に連結されるキハ110-0は、元々は急行陸中号用として製造された車両です。JRになってから急行用として用意された車両は、非常に珍しいと言えます。リクライニングシートを装備していることなどがまさにその証明ですが、便所が客席内に張り出して設置されている点や、仕切り扉がなく、デッキと言えるだけのものがない点などは、「特急用」ではないゆえの妥協でしょうか[⑤] [⑥]

 花巻を出ると、列車はまず似内を通過します[⑦]。ただの無人駅で、このように快速列車にも通過されてしまう駅ですが、花巻空港まで約2.6km(道路距離)というところに位置しており、これは、同3.9kmの東北本線・花巻空港駅よりも近いものです。もっとも、正式な空港アクセス駅ではないため、似内から花巻空港へ行くバスなどはありません。それどころか、タクシーすらいません。知る人ぞ知る隠れ空港アクセス駅です。

 豊満な水流を湛えた北上川を横断します[⑧]。水は澄んで空は青く、遠くを見れば、まだ雪を抱えた山脈が連なる。地味ですが、なかなか優れた車両であるように思います。そして北上川を渡ると、列車は、東北新幹線と接続する駅、新花巻に到着します[⑨]。新幹線から乗り換えてくるという人が多いようで、3号車には、新たに10〜15人ほどの乗客が乗り込んできました。

 相変わらず晴れ渡った空が清々しいです[⑩]。列車の中ではさすがに感じえませんが、今ここで外に放り出されたら、きっとその空気のおいしさに感動するのだろうなあ、と思ってしまいます。都会の空気は汚くて田舎の空気はおいしい、というのは、私はあまり信じていませんが、北日本のやや冷たい空気を肺一杯に吸えたら、その冷たさも相まって、心身が清められそうな気がします。

 とかなんとか思っていたら、列車は山間部に入り、空はすっかり曇ってしまいました[⑪]。明るめの空なので、ここから雨や雪が降ってくるようには思えませんが、緑を失って生気のない山も相まって、先ほどの清々しい景色から一転、どんよりと、気の重くなる車窓になってしまいました。

 岩根橋駅を通過すると、列車は、めがね橋の通称で知られる宮守川橋梁を渡ります[⑬]。「岩根橋」という名前の駅がすぐ手前にありながら、「岩根橋梁」といった名前ではありません。その立ち姿は美しく、土木遺産に指定され、週末にはライトアップも行われるほどの橋ですが、列車の中からは、残念ながら、その美しさはよく分かりません。撮影者がいるかなと思いましたが、そのような人影は見当たりませんでした。

 列車は9:39に宮守に到着します[⑭]。ここでは快速はまゆり2号と列車交換を行うようです。























 列車交換の相手は、盛岡行きの快速はまゆり2号です[①]。写真に写ったのは3号車(指定席)ですが、写真で見る限り、こちらよりも乗客数は少ないように見えます。はまゆり号は1日に3往復が運転され、全列車指定席車両を連結しています。

 鱒沢を通過します[③]。はまゆり5号・6号は停車しますが、1〜4号は通過駅として設定しています。花巻〜釜石間において、はっきりと主要な駅だと言えるのは、新花巻と遠野くらいでしょうか。もっとも、新花巻は「何もないところに聳えるコンクリート建築物」状態ですが。それ以外は、釜石市内に入らない限り、どの駅であっても、周辺の民家はそう多いものではなく、似たり寄ったりといった感じです。

 釜石に向かって進むにつれ、だんだんと山肌などの残雪が目につくようになってきました[④]。これは以前に降った雪が残っているものなのか、それとも昨晩あたりにでも降ったものなのか。「3月も終わりの方だから、まあ岩手や宮城で雪を見ることはないだろうな」と思っていましたが、山あいの方に関しては、まだ雪がいくらか残っているようです。さて、釜石の方はどうなっていることでしょうか。

 10:01に列車は遠野に到着しました[⑤]。全ての列車が停車する主要駅であり、ここを始終着とする列車の設定もあります。釜石線内では規模の大きい駅というわけですが、主だった乗降があったのは自由席車両で、指定席車両から降車した人の数はゼロ。乗車は、私の後ろの座席に1人乗ってきたという程度でした。指定席車両は、やはり対釜石の長距離旅客の利用が中心のようです。

 秘境駅として名高い上有住を通過[⑥]。はまゆり号は当然通過していきますが、土曜・休日に運転されるSL銀河号は、そんな事情を知っていてか、上下列車とも上有住を停車駅にしています。上有住を含む足ヶ瀬〜陸中大橋間は、遠野市から釜石市へ移り、仙人峠を越える区間であるため、トンネルの数が多くなっています[⑦]。峠を越えても晴れたままだったのは良いことでした。

 上有住〜陸中大橋間では、釜石線におけるハイライトを体験することができます。今、釜石線の線路は、山間部を通り、道路などが通っている平地(と言えるほどに面積は広くありませんが)から離れたところを走っています。そんな中、道路と共に、鉄道の線路が見えています[⑧]。これは別の路線のものでしょうか? いいえ、これも釜石線の線路です。その後、更に駅(陸中大橋)が見えてきました[⑨]

 その後、列車はトンネルに突入。トンネル走行中は、真っ暗で何も見えず、上下の移動や左右の移動も感じ取りにくいです。1300mほどの長さがあるトンネルを抜け出すと、あら不思議、列車は陸中大橋駅に辿り着いていました[⑩]。上有住〜陸中大橋間には、激しい高低差を乗り越えるためのループ線(オメガ型)があり、上からは下を行く線路・駅、下からは上を行く線路(赤い橋)を見ることができます[⑪]

 最後の途中停車駅は、釜石のひとつ手前の小佐野です[⑫]。もっとも、ここまで来れば、皆利用するのは釜石駅であるようで、乗車も降車もありませんでした。1日の乗車人員が50人程度の小さな駅ですが、みどりの窓口もあるようです。

 野球グラウンドを潰して仮設住宅を設置した場所を発見しました[⑬]。震災後、このグラウンドは、真っ先に仮設住宅の建設地として指定されたようで、2011年4月1日撮影の空撮写真では、このグラウンドで仮設住宅の建設が鋭意進められている様子が写っています。

 10:48、列車は終点の釜石に到着しました[⑭]。特急型車両並みのリクライニングシートで移動できたため、この1時間35分は至極快適でした。























 釜石線の終点、釜石駅。JR線としては、ここで山田線に接続していることになっていますが、山田線の宮古〜釜石間に関しては、JR線としての復旧はせず、三陸鉄道に移管しての復旧が決定しています。しかし、震災以前は、太平洋沿岸を盛<南リアス線>釜石<山田線>宮古<北リアス線>久慈と結んでいたものが、三陸鉄道だけで通すようになるわけですから、ある意味では自然な形に落ち着くだけとも言えます。

 JR以外の路線では、盛〜釜石間を結ぶ、三陸鉄道の南リアス線と接続しています[②]。昨日、私は盛駅を訪れていますが、釜石に来るのに、JR線にこだわってわざわざ気仙沼・一ノ関・花巻経由で来る人は、まずいないでしょう。まあ、私も無事情ならばそうしますが、「JR線の全線乗車を達成する」という目標を掲げている現時点では、そういった移動の仕方をとらざるを得ませんでした。

 被災地復興という名目ではありますが、ついにイオンタウンが釜石までやってきました[③]。まあ、「モール」ではなく「タウン」なので、比較的小規模な店舗に分類されますが、これが「イオンによる画一化」というやつでしょうか。地元の商店街がどうとか、田舎の文化がどうとか、そういう観点から巨大ショッピングセンターの是非が議論されることがありますが、結局、「ただの利用者」の視点に立ったとき、どっちの方が便利かと言えば・・・。

 左(鉄橋へ行く側)の線路は北リアス線。では、右の線路は、不通となっている山田線でしょうか?[④] そこに快速はまゆり1号から回送列車になったキハ110系が進んでいきます[⑤]。しかし、何のことはない。山田線の線路は、北リアス線が伸びていくのとは反対側に伸びていっており、この右側の線路は、車両整備のためのただの引き上げ線でした。

 駅舎内に設置された発車標は、釜石線のものと山田線のものが並んでいます[⑦]。釜石線のものがこれから発車していく列車を表示する一方、山田線のものは、もうずっと「運転を見合わせております。」のままです。釜石線が無事で山田線が無事でなかった理由。それは、ひとえに、内陸部だけを通っていたのか、それとも沿岸部も通っていたのか、ということです。それが運命を分かちました。

 駅前に出ると、そこに市街地らしいものはなく、いきなり新日鉄住金釜石製鉄所が聳えています[⑨]。駅前を横断する国道283号線は、駅からやや離れた市街地を目指しているのか、多くの車が行き交っていました[⑩]。通常、宿泊施設というものは、当然、その街の中心部に多く建設されるものですが、釜石駅では、2012年末に開業した新しい駅舎の横に[⑪]、JR東日本運営のホテルフォルクローロ釜石が建っています[⑫]

 盛駅と同様に、三陸鉄道の駅は、JR東日本とは別の駅舎を持っています[⑬]。「イオンタウン釜石」とは、まるでバス停のような名前だな、と思ってしまいますが、これはネーミングライツによるもの。しかし、イオンほどの企業がネーミングライツを買ったところで、特段の宣伝効果が出るとは思えませんが・・・。まあ、一種の復興支援として、三陸鉄道にお金を回すために買ったという考え方もできますが。

 釜石から乗るのは、JR線でもなく、三陸鉄道でもなく、高速バスでもなく、路線バスでもなく、果てはタクシーでもありません。普通の乗用車、即ち、レンタカーです。私の旅日記においてレンタカーが登場するのは、2014年8月〜9月の北海道旅行以来、2回目です。駅のすぐそこにあるトヨタレンタカー釜石駅前店に行き、貸し出しの手続きをとることとしましょう[⑭]。事務所の前にある水色のヴィッツが私の車・・・ではありません。


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