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※各画像はクリックすると拡大します。

















 上りのBRTバスに乗車し、今度は陸前高田を目指します。「もう大船渡線のBRT区間は全て乗車したのだから、そのまま気仙沼まで引き返せば良いのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうはいきません。実は、まだ「乗り残し」があるのです。

 まずはこちらの画像をご覧ください。大船渡線のBRTバスは、鉄道としての大船渡線の代替である以上、基本的には、鉄道時代のルートに倣うわけですが、駅の所在地と走行ルートの都合上、全ての駅を1つの運転系統に収めることができませんでした。その結果、鹿折唐桑〜上鹿折間、陸前高田〜陸前矢作間が、主要なルートから外れた盲腸線となってしまいました。私は、まだそれらの盲腸線部分を乗っていません。

 鉄道時代とはルートが大きく変わってしまった以上、何をもって大船渡線(のBRT部分)を乗り尽くしたと定義するのか?という問題が出ましたが、ここで私は、「大船渡線のBRT部分の全ての駅を通過した状態」と定義しました。主要なルートを通り切っただけではダメ、ということです。

 枝線が2つもあるという時点でややこしいですが、更に事態をややこしくしているのが、「鹿折唐桑〜上鹿折間は、JR東日本はBRTバスを運転せず、路線バスがBRTとして扱われる」ということ。詳しくは先ほどの画像の左下を見ていただきたいと思いますが、その結果、一般の時刻表には上鹿折を発着するBRTバスの時刻が掲載されない、という奇妙な状態になりました。

 さて、BRTバスに乗車しましょうか。これから乗るのは、10:36発の気仙沼行きです[②]。これで陸前高田へ行き、そこで陸前矢作行きのBRTバスに乗り換えます。乗り換え不要な盛発陸前矢作行きという便もありますが、その便とは時間が合いませんでした。大船渡市内には、岩手開発鉄道なる貨物鉄道会社があり、盛駅の構内には、同社が所有する貨車(ホキ100)がいました[③]

 地元の中高校生らを乗せた状態で、BRTバスは定刻に盛を出ました。ほどなくして、三陸鉄道の車両が見えてきました[④]。前のページでも書きましたが、まさか赤字の三陸鉄道が鉄路で復旧し、黒字のJR東日本がBRTで復旧することになろうとは・・・。しばらくの間、三陸鉄道(南リアス線)の線路と平行しますが[⑤]、これは大船渡線の線路があった用地を転用した専用道を走っている状況ならではのことです。

 海が見えてきました[⑥]。昨晩も同じところを通っていますが、真っ暗で何も見えていませんでした。なるほど、なかなか良い眺めですね。今乗っているBRTバスは、一般型車両によって運転されているものですが、この明るい日中に、昨晩気仙沼〜大船渡間で乗車した、観光型の「海」車両に乗れれば、このような良い眺めを更に楽しめたことでしょう。

 盛から専用道を走り続けてきたBRTバスは、小友駅を過ぎたあたりで一般道に戻ります[⑧]。盛〜小友間では、約13.3kmに渡って専用道が続いており、高速輸送と定時性を特徴して売り出すBRTにとっては、理想的な環境が整っています。一方で、その専用道が途切れてしまったところの先では、土埃を巻き上げながら整地が行われている真っ最中で、専用道の更なる延長が図られていることが分かります[⑨]

 11:21に高田高校前に到着[⑩]。県立高田高校が新校舎へと移転したのに合わせ、BRT区間上に新設した駅です。BRTの利点のひとつは、駅(停留所)の新設が容易なところでしょうか。駅と言っても、設備的にはバスの停留所に近いですから、新設にかかる費用はそれほど高いものではありませんからね。BRT、特に大船渡線のBRT区間では、BRTになってから誕生したという駅がいくつもあります。

 陸前高田市は、とりわけ津波の被害が大きかった地域で、陸前高田駅を中心に広がっていた市街地は、ほぼ完全消滅してしまいました。現在、同市では、元市街地の土地を嵩上げし、その上に新しい街を造ろうとしています[⑪] [⑫]。そのため、BRTバスに乗っていると、何台ものダンプカーとすれ違います[⑬]。街ができるまでの辛抱だと言えばそうなのでしょうが、住民の姿がなく、ダンプカーばかりが行き交うというのも・・・。

 そして私は陸前高田でBRTバスを下車[⑭]。陸前高田駅周辺の街が消えたため、BRTの陸前高田駅の所在地は、鉄道時代とは全く違います。
















 陸前高田で陸前矢作行きのBRTバスに乗り換えます[②]。この先、竹駒、陸前矢作と停車していきます。JR東日本のBRTでは、路線バスと同型の車両を使用しているため、車体側面には、主要な停留所や行き先を表示する装置がありますが、陸前高田・竹駒・陸前矢作では、4つある表示部に対して駅がひとつ不足してしまうため、その部分は「←」で穴埋めしていました[③]

 発車時刻の3分ほど前になってからBRTバスが乗り場にやってきましたが、陸前矢作行きの便を待つ人は誰もおらず。そして、乗り込んでからしばらく経っても、新たな乗客は一切現れず[④]。で、結局、乗客は私だけという状況で陸前高田を発車しました。どうしようもないほどの閑散区間であるならば、まあそういうこともあるかなと思いますが、陸前矢作方面って、陸前高田発で毎時1〜2本はある区間のようですが・・・。

 専用道に入ります。その先に竹駒駅が見えています[⑤]。竹駒駅の前後は、BRTの専用道が既に整備されていますが、その延長は僅か450mほどで、入ったと思ったらすぐに出てしまいます。まるで竹駒駅を専用道上に置きたいがためだけに整備したかのような印象を受けてしまいますが、後々、その前後も延長していくのでしょう(そうでなければ、ますますその存在理由が謎に)。

 国道343号線に入って終点の陸前矢作を目指す途中、大船渡線(BRT化区間)の線路が見えてきました[⑥]。線路は原形をとどめ、レールが真っ直ぐ伸びている様子が見えます。この辺りは、山間部へ向かっていっていることもあり、比較的津波の被害は軽微で、陸前矢作駅(現在のBRT駅とは違う位置)も、ホームや駅舎がその姿を今でも残しているとのことです。

 9分で終点の陸前矢作に到着[⑦]。枝線の終点駅で、全てのBRTバスがここで折り返していくという事情もあり、ここでは、BRTバスは、降車用ホームで乗客下りる→バス移動・180度転回→乗車用ホームへ据え付け、という動きをとります。そのため、駅の構造も、降車用と乗車用が一体になった島式ホームを配置するという、他の一般的なBRT駅とはやや異なったものになっています。























 陸前矢作にやってきました。先ほど、大船渡線BRTのややこしさについてご説明いたしましたが、駅にある運賃表を見てみても、その奇妙な状況が読み取れます[①]。鉄道時代のルートに忠実に従うと、鹿折唐桑〜陸前矢作間において、山間の狭隘な道を走ったり、人口希薄地帯を走ったりすることになります。それを避け、道路や人口数が良好なところを通し、ついでに新しい駅も置こう、という意図があったのでしょうか。

 BRTの通り道に、他のBRT駅では見られない、黄色く舗装された場所があります[③]。降車用ホームを離れたBRTバスは、この黄色い道を通って転回し、発車用ホームに据え付けられます。陸前矢作駅の構造は、このような写真でお分かりいただけるでしょうか[④]。この写真は、既に乗車用ホームへの据え付けが完了し、陸前高田行きとしての発車に備えている状態です。

 BRT駅の前を、国道343号線が通っています。周囲は山に囲まれていて、道路が左右に真っ直ぐ伸びています[⑤] [⑥]。そして、道路と並行するように伸びている緑色の線、それは、元・大船渡線の線路です[⑦]。レールが錆びついてこそいますが、レールや枕木は失われずに残っていますし、非常に良い状態を保っています。線路際には住宅もきちんとありますし、ここだけ見ると、列車の往来がないということが信じられません。

 しかし、遮断桿をもぎ取られ、線路と交差するように2本のタイガーロープが張られた踏切は、この鉄路が既に役目を終えたものであることを教えてくれます[⑧]。警報機部分には、「休止中」の札が貼られています[⑨]。いつか「再開」、「活動」、「始動」するからこそ、「休止」という言葉が使えているはずですが、BRTでの本復旧が決定した今、この踏切が休止から目覚めることはありません。

 通常、踏切内でじっくりと立ち止まることなどできませんが、今のこの矢作学校前踏切では、いくら留まっていようとも、何の問題にもなりません。だからこそ、在りし日のまま固まり続ける線路のその姿[⑪]、風の中で静かに揺れるタイガーロープなどを見ていられるのです[⑫]。時折、この踏切を車が通過していきますが、どの車も、一時停止することなく通過していきます。それは、ここが既に踏切として機能していないということを示します。

 線路の向こうで、梅がその花を美しく咲かせていました[⑭]。関東と比べれば、まだまだ冬のような雰囲気が残っていますが、春は近いです。


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