土・日きっぷで大暴れ!
土・日きっぷで東日本のあちこちを巡る旅


とうとう0時を過ぎてしまいました。
駅のホームにいるのでまだ良いですが、この時間に街を歩いていたらまずい。
緑 シールが貼ってあるLEDは、ほぼ一定の間隔で色が変わっていくので、それに伴ってシールのヘッドマークの見え方も変わってしまいます。

前のページの最後の画像は橙色でしたが、これはご覧のように緑色。

このように色が変わっただけでも、その見え方と印象は全く異なってきますね。
団体だと で、LEDが「団体」になると、このような感じに。
ピンクだと 更にピンクだと、このような感じになります。
結局、LEDは橙・緑・団体・ピンクの4つの表示がありましたが、団体以外はただその色だけを表示していたのでしょうか?

普通にいなほ号だとか、北越号だとかで運用されるときは、ただ色だけを表示するということはないでしょうから、シール式のヘッドマークを貼り付けたときだけ使われるのかもしれませんね。
はくたかレリーフ クロハ481の1号車の運転台下には、このようなレリーフが。

このレリーフは、特急はくたか号で運用されていた、旧R1編成・R2編成の先頭車に取り付けられていたもので、両編成がはくたか号の運用から抜けてR26編成・R27編成にそれぞれなったあとも、撤去されず残されたものです。

R26編成については撤去されてしまったそうですが、この甲子園臨で使用されていたR27編成にはまだ残っていました。
行き先表示 「行き先表示機はどうなっているかな・・・?」とちょっと期待しながら車体側面の行き先表示機を見ると、残念なことに味気ない「団体」の2文字が。

シール式のヘッドマークをわざわざ作ったくらいなのですから、行き先表示機のLEDにもシールとは言わないまでも「甲子園号」くらい表示したら・・・、と思わずにはいられませんでした。

あらゆる内容を表示できるのがLEDの最大の長所なのですから、それを活用しないというのはあまりに勿体ない。。。
後藤さん 甲子園臨の撮影を続けているとき、「間もなく、貨物列車が・・・」と放送が流れ、3番線に新潟方面への貨物列車がやってきましたが、その牽引機はEF510形の1号機でした。

常磐線や関東圏では見られないので、今は私にとっては珍しい存在ですが、北斗星号・カシオペア号の牽引にあたる500番代が正式に運用を開始すれば、一気に身近な存在になります。
最後に EF510形の撮影を済ませたあと、最後に甲子園臨の大阪方先頭車を撮影します。
そういえば、新津駅で適当に撮影したものも、先ほど撮影したものも、後ろ側の先頭車で尾灯でしたからね。

奥羽本線の大館駅からやってきたこの甲子園臨は大阪行き。
一般旅客列車で夜行列車がなくなっても、団体列車などでは夜行列車は今後もまだまだ残りそうですね。
きたぐに 階段を上がって構内に戻ってきて、発車標を見ると、大阪行きの上り急行きたぐに号が表示されていました。

下りのきたぐに号なら、2009年夏の九州旅行で乗車していますが、上り列車は乗車したことはありません。

上りは大阪駅に6時49分と7時前に到着できるので、首都圏の人間が大阪に朝早く行きたいときには、東京(上野)〜長岡と行って、長岡で上りきたぐに号に乗り換え、一路大阪へ・・・、という使い方もできますね。

銀河号が残っていれば、そんな遠回りな行き方はしないで済むのですが。。。
終わり 直江津駅で時間を過ごしてみて、一つ意外だったのは、自動改札機の電源が切られていることでした。

時刻はとっくに0時を過ぎているので、駅員がいないというのはまぁ分かる話ですが、自動改札の電源まで切られているというのは、完全に予想外でした。

直江津駅は3台しか自動改札がないのでともかく、ウン十台と設置されている上野駅などの自動改札機が全て進入禁止の印を出していたら・・・、壮観かつ怖いだろうなぁ(笑)
通路 改札を抜ける・・・、ような行為をして改札外に出てきましたが、時間が時間なので駅舎の外に出ることはしませんでした。

ちなみに、この通路には「あすか通り」という名前があるようです。
さてさて さて、土・日きっぷを最大限に活用するためにも、夜行列車に乗って移動を続けます。

私が乗車するその夜行列車とは、上野行きの臨時急行能登号。

約2か月前の1月29日に、まだ定期列車時代の下り急行能登号に乗車していますが、まさかそれから2か月もしないうちに、もう1度能登号に乗車することになろうとは・・・。

ちなみに、私の夜行列車乗車の最短間隔は、2008年4月6日の東京〜大垣間のムーンライトながら91号、同7日の新宿〜大宮間(乗り過ごして池袋まで行ったけど)のムーンライトえちご号の1日。

しかし、同じ列車にということで言えば、この能登号の約2か月が最短です。
457系&485系 能登号が到着する2番線に降り立つと、457系と485系の並びを目にしました。

国鉄時代の、交直流の急行形車両と特急型車両の標準。

塗装こそ国鉄色を堅持してはいませんが、車両形式だけを見ればそれは紛れもない457系と485系。国鉄時代の在来線優等列車の全盛期を見るよう(この2形式なら、特に東北本線か)でした。
静かなホーム 日付も変わった0時30分過ぎ。
甲子園臨だけが停車しているホームには、この後能登号に乗車すると思しき人たちがいますが、その数は僅か。

しかも、その人たちの中には撮影だけの人も多いでしょうから、実際に乗車する人はもっと少ないのか・・・、と思うと、何だか心寂しくなってしまいます・・・。
来ました 肌寒い2番線ホームで待つこと10数分、0時38分に急行能登号がやってきました。

寝台列車に乗るときと比べると、それは大したものではありませんが、やはり夜行列車に乗るときというのは、独特の気分の高揚と緊張感が体の中から湧いて出てきます。

定期列車時代は、ご存じのようにJR西日本のボンネット型の489系で運行されていましたが、臨時列車化以降は、受け持ちがJR東日本へ代わり、車両も電気釜の485系K編成へと変わりました。

編成は9両から6両となり、グリーン車も半室となるなど輸送力としては減少というところですが、まぁそもそも利用が少ないから臨時列車となったわけで、これは至極当たり前ですね。

電気釜の485系による能登号。
国鉄色は守られたということで、そこは嬉しいですね。
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