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 特急が停車する幌延と豊富の間に挟まれた駅、下沼は、文字通り地味な駅です。屋根もない単式1面1線のホーム[②]に、車掌車を改造した安上がりな駅舎[③]。他に人はおらず、私と一緒にいるのはバッタだけというその静けさ[④]。駅周辺には林と数軒の民家、農家があるだけ。山奥にある小さな駅という佇まいではありませんが、秘境駅になりうる要素を持ち合わせている駅です。

 駅前は舗装されておらず、砂利道になっていますが、そこからスッと、いきなりコンクリートで舗装された二車線の道路が現れます[⑤]。向こう側からの視点で言えば、この道をずっと進んできたところ、道が突然途絶えて砂利道になり、そこに、車掌車を改造した小さな駅舎を持つ下沼駅が構えている、という状態になっています。

 駅舎の状態は悪く、表面の塗装はひび割れ、錆びた面が露出しています[⑥]。無人駅で、利用客もほとんどいないわけですから、穴が開くなどの深刻な状況にでもならない限り、補修などをしたくないという気持ちは分かります。この状態を汚いとみるか、時間の経過を感じさせて味があるとみるかは、人それぞれ意見が分かれそうなところですが、快晴の空のもとに置いてみると、不思議と汚いと思わないのはなぜでしょうか[⑦]

 現在の駅舎は、1985年〜1986年ごろに設置されたものとされていて、それ以前は、木造駅舎だったそうです。また、出札までやっていたかどうかは定かではありませんが、1984年11月9日までは駅員が配置されていて(恐らく運転要員)、同年の1月31日までは荷物の取り扱いも行っていたそうです。今の下沼駅のことを考えると、きちんとした駅舎があって、荷物を取り扱い、駅員がいたというのは、到底信じられませんね。

 駅舎の中に入ってみました[⑨]。感覚としては、駅舎の中に入るというよりは、保存されている車掌車の中に入ったというところですが・・・。時刻表などの一通りの掲示物、机、ベンチ、除雪用具などがある他に、地元の方か、あるいは鉄道ファンが置いていったのか、様々な置物[⑪]やクリスマスリースが飾られています[⑫]

 クリスマスに関連する飾りは、冬に設置して、以後そのままにしているということなのでしょうが、残念ながら、今は夏です。ええ、ご覧下さい、この温度計を[⑬]。なんと37度を指し示しています。言うまでもなく、暑いです。いや、とにかく暑いです。この室温は、本州人が放り込まれても暑いとしか言いようがないほどのものです。窓も扉も開けずに締め切りにしていると、やはり熱がこもるんでしょうかね。

 何やら古びた貼り紙があったので見てみると、それはワンマン列車の乗車口についての案内でした[⑭]。告知日は平成14年7月1日であり、12年前に発行した貼り紙が、今もなおそのまま残されているということのようです。一方、8月30日に行われたダイヤ改正に伴う時刻変更に伴うお知らせもきちんとあり(当たり前と言えば当たり前、いくら秘境駅でも貼らぬわけにはいかない)、”12歳差”の掲示物が混在することとなりました。

 駅前の大木はときどき、地上で風が吹いていないときでも、その葉を揺らします[⑲]。葉がある部分の高さでは風が吹いているんだな、ということが分かりますが、今私は、どうしてそんなことを気に留めているのでしょうか。もし私が札幌の市街地を歩いていたら、そんなことは気にも留めていないはず。辺鄙な地にある秘境駅の”何もなさ”は、私たちに”気づき”の感性を与えることがあるのかもしれません。


















 音らしい音があるはずもない下沼駅周辺に、絶えず音がする場所があります。その音の発生源は、駅前の道を数十メートル歩いたその右にある、「権左衛門」と名付けられた湧き水[②]。なんと、こんなところに天然の湧き水があるんですね。

 一見するとただの水道のように見えますが[③]、なんせ、湧き水です。止まることなく永遠に出てくるものですから、蛇口などというものはついているはずがなく、ホースの先からは、水が絶え間なく、勢いよく出続けています[④]。水の出方は、まさに「チョロチョロ」ではなく「ジャー」で、結構水勢があり、ペットボトルなどに溜め込む場合でも、満杯になるまでそう時間がかかることはないと思います。

 綺麗な湧き水ですから、当然、飲用として使うこともできます。訪れた人がこの湧き水を飲めるようにか、ここには、ステンレス製のカップが用意されています[⑤]。湧き水は勢いよく出続けるので、「カップに注ぐ」というよりは、「カップを洗いつつ、水を残す」といった感じでした。湧き水はそこそこ冷たく、おいしいです(水のうまいまずいってなんだ?)。下沼駅を訪れた際は、記念に一杯飲まれてはいかがでしょうか。

 永久に出続けるこの”タダ”の湧き水は、地元の方々にも有効に活用されているようで、下沼駅には似つかわしくないような中型トラックがやってきたかと思うと、運転手の方が降りてきて、ペットボトルに湧き水を入れていきました。飲み水として使うもよし、お米を炊くのに使うもよし、お皿を洗うのに使うもよし、何なら便所の洗浄水として使うもよし。この湧き水があれば、料理がおいしくなるとともに、水道代が節約できそうですね。

 「最果ての地」と聞くと、「とにかく、それは遠いところだな」と私は真っ先に思います。宗谷本線は、その(鉄道における)最果ての地に向かう、唯一の路線です。需要はさほどでもありませんが、稚内へ至る線路は、今や宗谷本線の線路しかなく、重責を負っています。ただ、単線・非電化・木製枕木・ゆがんだ線路・雑草と来ると、なんだか非常に頼りなく見えてしまいます[⑦]。こんなもので本当に稚内へ行けるのか、と。

 昔の宗谷本線は、樺太への連絡鉄道という旅客面における重責と、木材や石炭・海産物の輸送という貨物面における重責、の両方を担っていました。同じ線路でも、時代が時代なら、頼もしげに見えたのでしょうか。















 サロベツ湿原センターでの見学を終えた後、下沼駅を訪れました。次は「日本最北端の無人駅」として広く知られている抜海駅を目指します。下沼〜抜海〜兜沼と移動し、稚内に辿り着いてしまう前に、宗谷本線の3つの秘境駅を訪れてやろうという計画です。宗谷本線の本数の少なさを考えると、同一方向にだけ移動するのは効率が悪いので、豊富→下沼(上り)、下沼→抜海(下り)、抜海→兜沼(上り)、兜沼→稚内(下り)と移動します。

 兜沼駅の近くには、文字通り沼があります[②]。宗谷本線の線路は、沼の近くは通っていませんが、列車内から沼の存在を確認することはできます。「兜沼公園オートキャンプ場」というキャンプ場があるので、必要なものを用意さえしておけば、宿という宿がない兜沼駅周辺でも、駅寝という行為に走らないで済むことができます(私は駅寝には感心しない派です)。

 兜沼と抜海の間にある駅、勇知[③]。「勇」と「知」ということで、なかなか縁起のよさそうな漢字が並んでいます。「勇気を持って臨み知を得に行く」といったような感じに解釈すれば、受験生相手に記念入場券なんかが売れそうな気もするんですが、そう思っているのは私だけのようで、記念入場券などは売られていないようです。徳島線の学駅は、受験生相手の記念入場券を発行していることで有名ですね。

 さて、間もなく抜海です[④]。抜海の次が南稚内、そしてその次が稚内と、日本最北の駅はもう手の届きそうなところにあるんですが、まだそこに辿り着くわけにはいきません。16:33に抜海に到着しました[⑤]


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