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 稚内行きの普通列車に乗車します[①]。目的地の糠南駅は隣の駅なので、3分で到着します[③]

 よりによって平日水曜日の朝7:13、こんな駅で降りるのは私だけです。乗る人がいるとすれば、定期利用の高校生くらいでしょうが・・・、乗る人はいませんでした。1両編成の列車ですら収めない板張りのホームを持つ糠南駅は、疑う余地のない秘境駅です[④]




























 駅だと言えばたしかに駅ではあるんですが、どうもそれを信じきれない自分がいます。単式1面1線の構造で、屋根すらないホームは板張り[②]。しかも、そのホームは、1両編成の列車でさえ後部がはみ出すという短さです。駅の近くに何があるかと言えば、草地と牧草だけ[③]。民家という民家はなく、およそ「人を乗り降りさせるためのもの」としての駅とは思えません。信号場か何かかと思ってしまいます。

 北海道には、車掌車を改造したものを駅舎と称して置く駅がいくつもありますし、道内初日で訪れた北秩父別駅のように、板張りのホームを持つ駅もあります。そういった駅は、本州からやってきた私には、なかなか衝撃的なものとして映りますが、糠南駅は、そういった駅をはるかに超える衝撃を訪れる人たちに与えます。ただの物置を駅舎(待合室)として置く駅が、他にどこにありましょうか[④]

 わざわざ採光用の窓を取り付けている点に関しては、「駅舎らしい」と言えなくもないんですが、それ以外は、まさに物置です[⑤]。扉を引いたときの感触、横方向に入れられたビード、壁にくっつくマグネット(つまり、これは金属製ということ)など、いかにも物置と思わせる要素がいくつもあります。

 この駅を訪れる人たちによって残されたものが散見されます。黒いごみ箱があり、その中に本が入っていますが、これらは、高校で使用する化学の教科書などです[⑦]。例えば土讃線の坪尻駅では、鉄道を取り扱った漫画が置かれていますが、教科書を閲覧できる駅は、糠南駅くらいしかないでしょう。そして毎度お馴染み駅ノート[⑧]。これの有無が、ある意味、秘境駅であるかどうかを決めているようにも思います。

 プラスチック製、あるいは木製のベンチがあって、その上に誰かが製作した座布団が敷かれているというのはよくあります。糠南駅のベンチは、プラスチック製の”カゴ”で、その上に座布団があります[⑨]。これもなかなか例のないものでしょう。

 物置内に掲示されている発車時刻表には、上りは2本、下りは3本の列車しか掲載されていません[⑩]。宗谷北線という路線の性格上、絶対的な列車本数自体がかなり少ないわけですが、このような駅ですから、普通列車でも通過する場合があります。その結果がこの本数です。鉄道だけで上手に行き帰りするのは難しく、糠南駅を訪れる人の中には、隣の問寒別駅から歩いてやってくる人もいるようです。

 「なんだかんだ言って、実は物置にそっくりな駅舎なのではないか?」という疑問をあえて抱いてみました。残念ですが、その疑問に対する答えは、もうこの場に出ています。扉の右上にあるプレートに入れられた4文字「ヨド物置」[⑬]。誰が何と言おうと、これは物置なんです。その昔、敗戦直後に、軍馬輸送用の家畜車を旅客輸送に使用したことがありますが、「物置で列車を待ってもらう」のは、現代人の基準ではどうなのでしょうか。

 これが糠南駅の全貌です[⑯]。本当にホームと物置しかありません。糠南駅は、1955年に仮乗降場として設置されたことがその始まりですが、1926年には、現在の宗谷本線に相当する部分(旭川〜名寄〜幌延〜稚内−稚内港)が全通しています。利用があると見込んだからこそ、路線の全通以降に追加でこの駅を設けたのでしょうが・・・、今の糠南駅を見る限り、本当に利用があると見込んでいたのか、かなり疑問に思えてきます。

 駅の近くに、コカ・コーラの瓶が捨てられていました[⑱]。缶やペットボトルならともかく、いまどき瓶?と思ってしまいますね。見るからに古臭いデザインをしていますが、それもそのはず。ちょっと調べてみましたが、このデザインの瓶は、1972年に登場したもののようです。もし本当にそうなら、そのときに飲まれて捨てられた瓶が、40年以上にも亘ってこの地に存在し続けているという可能性が浮上してきます。

 駅名標を見てみると、「おのっぷない」のところが、何やら不自然な状態になっています[⑲]。そうです、シールで何かを上書きしているような感じに見えます。現在、糠南駅のひとつ幌延寄りの駅は雄信内駅となっていますが、かつては、糠南〜雄信内間に、上雄信内という駅が存在していました。あまりの利用客の少なさのために、2001年6月30日の営業を最後に廃駅となりました。そのため、「隣の駅」がシールで修正されたんですね。















 糠南駅の利用客がほとんどいないことは、わざわざ詳細な記録を調べようとしなくても、もはや感覚で分かることです。そのような利用客僅少の駅は、本来ならば、上雄信内駅のように廃駅となる運命です。宗谷本線においても、上雄信内駅と同時に、下中川、芦川という2つの秘境駅が廃駅となりました。2006年には、智東、南下沼の2駅が廃駅となりました。

 糠南駅も、JR北海道の内部では、恐らく次の廃駅候補に挙がっていることでしょう。秘境駅の存続と消滅は紙一重のことです。秘境駅の魅力と美しさは、そんな儚さの上に成り立っています。いつかやってくるそのときに後悔しないように、私は、できることを今のうちにやっておきます。

 さて、7:29発の普通列車がやってきました[①]。8月30日のダイヤ改正による普通列車の時刻変更のせいで、7:13に着いて7:29に出るという、滞在時間わずか16分の短い訪問になってしまいました。そのダイヤ改正が行われる以前であれば、糠南に7:00に着いて7:51に出ることができた(旅程ではそうなっていたのに・・・)だけに、このダイヤ改正による時刻変更は、かなり恨めしいものがありました。

 上り列車も、やはり車両の後ろ半分がホームからはみ出ます[②]。前乗り前降りのワンマン列車であることを考えると、究極的には、最低限片開きの乗降扉1枚分の長さのホームさえあれば良いわけですから、車両1両分の長さすらないホームというのは、ある意味、駅としての「最小限」を極めたものと言えるのかもしれません。

 普通列車を天塩中川で下車します[④]。この後やってくる特急スーパー宗谷2号に乗り換えるためです。この普通列車は名寄行きで、音威子府で特急スーパー宗谷2号を先に通しますが、音威子府での停車時間は、なんと1時間38分にも及びます。音威子府から先は列車番号も4328Dとなり、事実上の別列車となりますが、時刻表では、稚内から名寄まで「1つの列車が列車番号を変えつつ直通運転している」ことになっています。


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