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 宗谷本線ほどの路線になると、駅員を置くだけの価値があるくらいに利用客が多い駅が非常に限定されるので、無人駅無人駅無人駅<有人駅>無人駅無人駅<有人駅>無人駅無人駅・・・といったように、無人駅が大半を占める中に有人駅が混じるような感じになります。

 ですから、宗谷本線の終わりの稚内駅が有人駅となると、その隣の南稚内駅は無人駅ではないかと予想してしまいそうになりますが、実際には、南稚内駅は、稚内駅と同程度の利用客がある有人駅で、みどりの窓口もあります。その結果、「日本最北端の無人駅」の称号は、南稚内駅ではなく、ここ抜海駅が拝命することになりました。

 ホーム上には花壇が整備されています[⑤] [⑥]。最北端の無人駅とは言いながらも、この花壇があるおかげで、「最北の・・・」から想像されるような殺風景さは、あまりありません。駅でたまに見かける、琺瑯製の「名所案内」が、ここ抜海駅にもありますが[⑦]、「抜海岩陰住居跡」や「天然お花畑」を観光するために、鉄道を利用して抜海駅に来る人がいるならば、見てみたいものです。いや、なんせ、本数が・・・。

 ホームと駅舎は木製の扉で仕切られています[⑧]。2枚ある扉の両方に、「JR北海道」と書かれたシールと、JRのロゴが貼り付けられています。ホーム側から見て左側の扉にあるJRマークは、JR北海道の萌黄色そのものですが[⑨]、右側の扉にあるJRマークは、半透明で、JR東日本の緑色に近いものとなっています[⑩]。中小国駅なら分からないでもないですが、なぜ抜海駅でこうなっているのやら・・・。

 無人駅ですが、駅舎は比較的大きく、ホームと待合室の間には”緩衝地帯”もあります[⑪]。抜海駅も、もちろん昔は有人駅で、1984年11月9日まで出札・改札要員の駅員が、1986年10月31日まで運転要員の駅員がそれぞれ配置されていました。やけに広くて余裕のある造りは、有人駅時代の名残と言えます。突き当たりの左には、事務室への扉(があるくぼみ)が見えます。

 待合室の椅子には、駅でよく見かけるプラスチック製のほかに、ソファー型の大きな椅子もあります[⑫]。ソファー型の椅子なんて、どう考えてもJR北海道が直々に設置したものとは思えないんですが・・・。個人が持っていた古いものを持ってきたというところかもしれませんが、わざわざそれをここまで持ってきて設置したその心意気には、ほとほと感心します。

 待合室の中には、様々なポスターが貼られています。「レールは、こころをつなぐ道。」・・・、その通りだと思います[⑬]。「はじめての一人旅を、人は一生、忘れない。」・・・、ええ、初めての一人旅のことは、よく覚えています[⑭]。当時小学3年生だった2005年1月、勝浦と勝田に繰り出しました。あの旅こそが、私のいくつもの一人旅の”元祖”であり、あの旅から全てが始まりました。

 青春18きっぷで旅をすることはない(1枚だけ買って使ったことはある)私ですが、駅に貼り出される青春18きっぷのポスターは、毎シーズン楽しみにしています。なんといっても、あれらの印象的なキャッチコピーが素晴らしい。「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」「前略、僕は日本のどこかにいます。」「空気は、読むものじゃなく、吸い込むものだった、と思い出しました。」 さて、次回はどんなものが使われるのでしょうか?

 三笠鉄道記念館でも見たJR列車百景のポスターの、別種類のものが貼られていました[⑰]。こちらも、やはり旅客JR6社の代表的な車両の内装写真を集めていますが、中央で一番大きく扱われていたのは、北斗星号のグランシャリオの写真でした。

 このグランシャリオの写真は、旧北斗星1号・2号に充当されていたJR北海道編成のものです。現行の北斗星号のグランシャリオは、旧北斗星3号・4号のJR東日本編成に組み込まれていたもので、両車は、その内装に大きな違いがあります<JR東日本車のグランシャリオ>
 個人的には、より高級感と重厚感に満ちているのはJR北海道車の方だと私は思いますが、皆様は、どちらの内装の方がお好みでしょうか?

 利用客が極端に少ない駅が点在する宗谷本線では、普通列車が駅を通過することも珍しくありません。発車時刻表にも、その列車が通過する駅が示されています[⑲]。この名寄行きは8つの駅を通過するようですが、それでも、快速列車ということにはなっていないようです。どうせなら、全て停まるのは各駅停車、1つでも通過するのは快速列車とした方が、より分かりやすくなるような気もしますけどね。






















 抜海駅のホームと待合室の間には緩衝地帯がありますが、駅の外と待合室の間にも緩衝地帯があります。駅舎のアルミ製の扉を開けると、まず赤色の枠をした木製の扉が現れます[①]。この扉を開けた先に待合室があります。このようになっていれば、外の冷たい空気が待合室の中に流入するのを防げますし、また、吹雪のときでも、雪が中に入ってくるのを防ぐことができますね。

 今でこそ「日本最北端の無人駅」ですが、以前は有人駅でした。駅舎は、1924年の駅開業当時からのもので、この駅が有人駅であったころを偲ばせるだけのものがある木造駅舎です[④]。もっとも、無人駅とは言っても、冬季になると除雪作業員が常駐するそうです。駅舎の左上にテレビ用のアンテナがあるのも確認でき、冬、休憩中の作業員がテレビを見ながら一休みをしている姿が想像できます。

 最寄り駅を出発したときから使用していたSDカードが、ここで一杯になってしまいました[⑧]。クラス10のこの8GBのカードを主に使用し、クラス4の8GBのカード2枚を予備として持つようにしています。今回の旅は日数があまりにも長いので、24GB分のカードがありますが、足りるかどうか、全く確信が持てません。もし足りなくなったら、カードの中身をパソコンに移し、そしてそのカードをフォーマットして再度使用するつもりです。

 列車が近づいてくるような音がしたので、ホームに出てみました(抜海駅周辺はあまりにも静かなので、迫りくる列車の走行音が聞き取れます)。しばらくすると、キハ261系のスーパー宗谷4号がやってきました[⑨]。稚内を16:49に発車したスーパー宗谷4号は、終点の札幌には、5時間以上をかけて21:55に到着します。札幌へ向けて走り去っていくスーパー宗谷号の旅路は、まだ始まったばかりです[⑩]

 駅の近くを通る道道510号線を車が走ることは、ほとんどありません[⑪]。たまに車が来たかなと思っても、それらの車は、抜海駅へとやってくることはありません。待てども待てども、北海道らしい道路(車道の一番端を示す矢印の存在など)がそこに見えるだけ。電柱や雑草が作る影が、徐々に伸び、大きくなっていきます。夕暮れ時が近づいてきているようです。

 次の列車に乗るためにホームへ向かおうとすると、待合室とホームの間の緩衝地帯に、「花の水」と書かれたラベルが貼られたバケツがあることに気がつきました[⑬]。文字通り、ホームの花壇用の水なのでしょうが、誰かが当番制で水をやることになっているのでしょうか。それとも、ここを訪れる鉄道ファンに自主的に水をやってもらうことになっているのでしょうか。それが定かでなかったので、勝手に水をやることはしませんでしたが・・・。















 上りホームで普通列車の到着を待つつもりでしたが、発車時刻を誤認していた(もっと遅いと思っていた)ようで、こちらがまだ下りホームにいるときに構内踏切が作動。これはまずいと思いつつ、列車が完全に停車したのを確認した後、駆け足で列車に向かいました。

 あと2つで最北端の駅の稚内であるというのに、上り列車で南下します。すごろくで戻れが出てしまったかのような気分です。昼間の明るさと太陽の高さは既に失せ、夜が迫ってきていました[②]。もちろん、本当に真っ暗になるまでにはまだだいぶ時間がありますが、稚内に着くころには真っ暗になっているのは確定なので、日本最北端の駅に降り立つその瞬間は、夜に迎えることになりそうです。

 勇知駅の駅舎は、ちょっと見慣れない形態をしています[③]。形は車掌車を改造した簡易駅舎そのものなんですが、表面が金属板で覆われています。もちろん、以前は車掌車そのものが駅舎となっていて、クリーム色と水色で塗られていましたが、2013年〜2014年ごろにかけて、このように表面が金属板で覆われてしまったそうです。綺麗さと親しみやすさ(見慣れた車掌車の形)を兼ね備えた、新しいタイプの車掌車改造駅舎です。

 17:38、兜沼に到着[⑤]。すぐに発車しないどころか、前照灯を消してしまいましたが、どういうことなんでしょうか・・・?


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