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 姫沼へと通じる小さな吊り橋を渡ります[①]。想い出橋という名前がつけられているようですが、その由来はいったいなんでしょうか[②]。ただ、私にとっては、こんなただの吊り橋でも、旅先で見た光景のひとつとして記憶されます。そういう意味では、たしかに「想い出橋」かもしれません。

 姫沼も、先ほど訪れたオタトマリ沼と似て、背後に森と利尻山が聳え、逆さ富士を湖面に映します[⑥]。利尻島にいると、利尻山が見えないところを見つけ出すのは困難です。島の中央に聳える利尻山は、まさに利尻島の象徴です。

 原生林に囲まれた静寂な環境にある姫沼は、一見、自然が造り出した素晴らしい絶景のように思われますが、3つの小さな沼を合体させたものというのが、その正体です。つまり、本当は人造湖なんですね。「姫沼」という沼の名前は、3つの沼を合体させた際にヒメマスを放流したことがその由来となっていて、アイヌ語などは特に関係がないようです。

 姫沼の周囲には、約1kmの木道が整備されています[⑨]。残りの滞在時間の関係上、ここを歩くことはしませんでしたが、小鳥のさえずりを聴きながら姫沼を周回できるということで、なかなか惹かれるものがありました。木道を歩かず、姫沼を眺めているだけでも、姫沼は十分楽しめますが、秋になれば、姫沼は紅葉に彩られます。秋の利尻島では、姫沼の紅葉の中を歩くという楽しみが加わりそうです。

 利尻島を車で巡る方に是非お勧めしたいことがあります。もし車内が暑いと感じたら、冷房を使うのではなく、車の窓を開けてみてください[⑩]。夏で気温が高くても(利尻島と言えども、夏に外で立っていれば暑いと思うことはある)、窓を開けて取り入れる外の空気はほどよく冷たいです。せっかく都会を離れて北海道の離島まで来たわけですから、人工的な冷風ではなく、利尻島の自然の冷風で涼みたいものですね。

 姫沼を訪れたことで、訪問を予定していた観光スポットは一通り見終わりました。ただ、フェリーの出航までちょっと時間が余っていたので、いったんフェリーターミナルの前を通過して(これで島を一周)、再度島の外周の道路に出て、夕日ヶ丘展望台を訪れました[⑪]。島の他の展望台は道路の近くにあるのに対し、夕日ヶ丘展望台は、下に車を停めて山を登っていく必要があり、訪問はちょっと面倒です[⑫]

 一面に広がる海を眺められる・・・というところは、他の展望台と同じですが、他の展望台と比べると、視界に入ってくるものが少なく、本当に海だけを視界いっぱいに入れられるという印象を持ちました[⑬]。しかし、「夕日ヶ丘展望台に上って良かった」と思わされたのは、その海の眺めのためではありません。ここに至って、ようやく雲が立ち去り、頂上の造形も含めた利尻島の全貌を眺めることができたからです[⑭]

 なお、夕日ヶ丘展望台は、いわば小さな山のてっぺんにあり、車で近くまで行くことはできません。車は下に駐車して、階段や坂を上っていくことになります。これがまたちょっとやそっとで上り切れるものでもなく、頂上の展望台への到達には、なかなかの体力と時間を消費します。頂上から下の方を見ると、自分が停めたレンタカーが、こんなにも小さくなっていました[⑮]。展望台への距離とその高さがお察しいただけますでしょうか。





























 約5時間30分の利尻島への滞在でしたが、その終わりのときがやってきました。そろそろ帰りのフェリーの出航時間です。鴛泊フェリーターミナルの前にあるレンタカー屋に相棒を返却し、鴛泊フェリーターミナルへ向かいます。

 14:25発の稚内港行きに乗船します[①]。その次は17:10 発。5月21日〜9月30日の夏季は、8:30発、14:25発、17:10発の3便が、鴛泊から稚内へ向けて運航されます。便数が一番多くなる時期は4月1日〜5月20日と10月1日〜30日で、この時期は1日4便が運航されます。最も少なくなる時期はやはり冬季で、冬季は2便のみの運航となります。

 帰りも一等船室に乗船します。ただし、和室を利用した行きとは異なり、帰りはラウンジ席と呼ばれる座席タイプの一等船室を利用します[②]。金額が記載された乗船券の本券のほかに、座席番号を記載した座席整理券が発行され、添付されます。

 フェリーの”1階”に位置する一等和室や各種二等船室と異なり、一等ラウンジ室は、階段を上がった先の”2階”に位置しています。その2階に上がると、入り口が待ち受けていました[④]。その横には応接室風のエリアも[⑤]。1階と2階という点でも、既に他の船室の利用客と隔離されていますが、2階に上がったすぐそこをラウンジ室とするのではなく、更に別に仕立てた部屋にラウンジ室を設けることで、より一層の隔離が図られています。

 ラウンジ室の中に入ると、そこには、鉄道車両のグリーン車を思わせる、横幅のある座席がずらりと並んでいました[⑥]。緑色の座席と茶色の座席の2種類があり、前者は客室の中央寄りにある座席で、後者は窓に近い座席でそれぞれ配置されていました。

 それにしても、鉄道車両で使われているものにそっくりな座席です[⑨]。このような視点で眺めたとき、瞬時にこれがフェリーの座席であると判断することができるでしょうか。何も言われなければ、私は「なんかの車両のグリーン車だろう」と判断しているかもしれません。座席の裏面も鉄道車両のそれにそっくりで、背面テーブルがなく[⑩]、足置きがついている[⑪]という点は、まさに鉄道車両のグリーン車そのものです。

 しかし、そのぶん、鉄道車両のグリーン車の悪いところもよく真似ているという印象です。一等運賃に加えて更に座席指定料をとっておきながら、ちょっとばかり大きな座席に足置きがついているだけ、というのもどうなんでしょう。それほどのお金をとるなら、ドリンクサービスやオーディオサービス、電動リクライニング、読書灯などを完備する豪華仕様でないと、とても釣り合わないような気がしますが・・・。
 (これなら、ゆったりと横になれる和室の方が、物としては、より安くて優れていると思います。というか、もっと言えば二等船室で十分かと)

 一等船室という時点で二等船室よりだいぶ高いのに、ラウンジ室は、更に530円の「座席指定料」をとられます。当然、そんなお高いものは敬遠されるわけで、出航時間が近づいても、他のお客は一向にやってきませんでした。「定員78名の一等ラウンジ室を稚内までひとり占めできたら、まあ4400円も高くはない」と思っていましたが、出航間際になって、お年を召した方々の団体が入ってきました。残念。

 行きに利用した一等和室以上に高い一等ラウンジ室を利用しているといっても、出航の瞬間は、やはり甲板で迎えたいものです[⑭]。甲板には、一等ラウンジ室の利用客しかいられないエリアが設けられていて、この点でも、他の船室の利用客との隔離がなされています。先ほど上った夕日ヶ丘展望台を見つつ[⑮]、フェリーは14:25に鴛泊港を離れまし。こうやって見ると、地上部との高さの違いがよく分かりますね。

 行きのフェリーでは、利尻島がだんだんと大きくなっていきました。帰りのフェリーでは、利尻島がだんだんと小さくなっていきます[⑯]。今回は、島の方々の見送りなどはありませんでしたが(団体客がいたので、あってもよさそうでしたが)、徐々に小さくなっていく利尻島の姿は、島の方々の見送りに取って代わる”見送り”と言え、それはそれで涙を誘うものです。

 時々、カモメがフェリーの近くにやってきます[⑰]。なんというか、海上を航行するフェリーならではの出来事ですよね。航空機はもとより、鉄道でもこのような出来事には遭遇できません。餌付けを期待してやってきているのか、それとも単に人間に興味を示してやってきているのか・・・は分かりませんが、フェリーの船内には、「カモメへの餌付けはやめてください」という注意書きのポスターが貼り出されています。

 利尻島では、基本的に車を運転してばかりいた(1人なので代わってくれる人もいませんから)ので、それなりに疲れてしまったようで、船内では、1時間ほど眠ってしまいました。わりとぐっすりと眠れたのは、大きくてゆったりとして座席を持つ一等船室だからだったのでしょうか。

 稚内港への着岸が近づくと、稚内港を出港したときと同様に、ダ・カーポの「宗谷岬」が流れます。行きにこの曲を聴いたときは、ただ単に「良い曲だな」程度にしか思いませんでした。しかし、この帰りでは、3番の歌詞にある「幸せ求め 最果ての地に それぞれ人は 明日を祈る・・・想い出残る 宗谷の岬・・・」といった歌詞が、今の私の心情に見事に合致していて、人知れず涙を流してしまいました。

 やがてフェリーは稚内の港に着岸[⑲]。今朝7:15発のフェリーで発って以来、約9時間ぶりに稚内に戻ってきました[⑳]




















 約9時間ぶりに稚内の街に戻ってきました。私はあくまでも旅人ですが、利尻島をフェリーで発って稚内に来て、そしてこれから鉄道に乗るのだと思うと、島を出て上京する若者になったかのような気分です。もっとも、本当に上京する若者には、稚内空港から航空機で羽田空港へ行くのが一般的でしょうか。鉄道で稚内から東京まで行くのは、現代では酔狂と言えます。

 昨晩に稚内駅にやってきたときに見た車止めをもう一度見てみましょう[③]。その隣に建てられている「日本最北端の線路」の碑によれば、駅舎を新築・移設する前の先代稚内駅で使用されていた車止めとレールを、新築・移設前の先代駅舎のときの位置に復元したものということです[④]。車止めとレールはもちろん本物で、列車が通らなくなったレールならではの錆がしっかりと残されています。

 新しい車止めと線路は、駅舎の中から眺めることができます。そして、その車止めの前に鎮座する「最北端の線路」の木造看板[⑦]。コンクリート造りの車止めから”生える”2本の線路は、日本最北端の線路として稚内を発ち、北海道はもとより、本州や四国・九州へ至り、やがては日本最東端、最西端、最南端の線路に変化します。ときには、JR最高標高の線路や最低標高の線路にも変化します。線路は無限の可能性を秘めていますね。

 これから乗車するのは、稚内16:49発の特急スーパー宗谷4号です[⑧]。もちろん札幌行きです。個人的には、旭川で特急料金を通算できる制度があれば、スーパー宗谷号やオホーツク号は別に旭川発着でも構わないのではないかと考えていますが・・・、これはさすがに部外者の戯れ言でしょうか。道内完結の特急列車は、臨時列車も含め、全て札幌発着となっているのが特徴です。

 稚内駅のホームに停車するキハ261系が見つめる先に、無限の広がりを見せる線路が伸びています[⑩]。生まれてからかれこれ19年と5か月、どんな旅でも、私を目的地に導いてくれたのは線路でした。今のところ、空路に浮気はしていません。線路が示した道筋を辿れば、まだ見ぬどんな地にでも行くことができます。その線路が示す道筋(今のところはJR線に限る)を全て知ることが、私の大きな夢です。


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