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 場所が飛んでいますが、南宮崎12:25発の快速日南マリーン号に乗車しました。にちりん14号は南宮崎12:24着なので、接続時間は僅かに1分しかありません。きちんと乗り換えができるかどうか心配であったので、旅に出る前に南宮崎駅に電話をして確認をとっておきました。

 まずは田吉に停車します[①]。1面2線の駅ですが、ホームの幅はとても狭いです[②]。ここから田吉〜宮崎空港間を結ぶ宮崎空港線が分岐していますが、同線を走る特急列車は、接続駅である田吉を通過してしまうため、田吉〜南宮崎間には、分岐駅通過の特例があります。

 木花で列車交換を行います[③]。南宮崎〜青島間は比較的列車の本数が多い区間ですが、それでも、2時間程度の間隔が空いてしまう時間帯もあります。南宮崎〜田吉間は電化がなされ、空港へ向かう特急列車も往来する区間となっていますが、日南線は、全体的にはローカル線の域を出ません。もっとも、2009年からは、非電化区間に新たなる特急列車・海幸山幸号が誕生し、非電化区間にも優等列車が走るようになりました。

 遊園地「こどものくに」の最寄り駅として、日南線にこどもの国駅が設けられています[④]。駅名標の、その地を象徴するものを描いた挿し絵を入れる部分には、海ではしゃぐ子供の図が入っていました。なるほど、いかにもこどもの国駅らしい。

 扉への手の巻き込みを注意するステッカーに、「くらしの窓 ふれあいの道 JR九州」と書かれていました[⑤]。JR九州生誕時のキャッチフレーズのようですが、九州5日目といえども、これを見たのは初めてです。JR西日本の「ハート&アクション」(トワイライトエクスプレス号のカードキーにはずっと入っていたとか)もそうですが、新進気鋭のころに作られたものというのは、大抵、自然消滅していきます。

 相も変わらず美しい日向灘[⑥]。雲が少なくなってきたからなのか、それとも太陽の位置がちょうど良いところなのか、にちりん3号の車内から見たときよりも、一層鮮やかで美しい青色をしているように見えます。海水の色も、濃い青色から淡い青色まで、複数の色合いをした「青色」が混ざることにより、その豊かな階調が描き出されています。波が作り出す泡は、一切の穢れを知らない純白を極めています[⑦]

 12:58、小内海に到着[⑧]。山の斜面と海に挟まれ、駅の両端はトンネルになっているという、なかなか厳しい立地条件のもとに造られました。一方、「海」を名前に含む駅にふさわしく、ホームからは、日向灘が見られるようです。

 内之田を通過します[⑨]。この日南マリーン号は、一応快速列車となっていますが、始発の宮崎〜終点の志布志間にある計27の途中駅のうち、通過駅は6つのみです。また、「1つ通過したら停車」という走り方であり、2つ以上の駅を連続して通過することはありません。上りの日南マリーン号は南郷始発ですが、こちらは3駅連続での通過があるなど、下りよりも快速列車らしくなっています。

 13:36に到着した油津には、特急海幸山幸号用のキハ125形が停車していました[⑪]。2つ先の南郷が始終着駅の列車ですが、同駅は1面1線で車両の留置ができないため、油津まで回送されるようです。内装のみならず、外装にも木(飫肥杉)を使っているのが特徴ですが、まあ・・・[⑫]























 油津〜大堂津間では、線路が日向灘の際を走る区間があります[①]。海岸線の形状が線路を作ったのか、線路が海岸線の形状を作ったのか。そんな迷いが生じてしまうほどに、線路は海岸線のギリギリを通り続けます。穏やかな波が優しく打ち寄せる砂浜の辺りにやってくると、まるで海水浴場の脇をかすめているかのような気分になってきます[②]

 南郷川が引き込む付近の様子[③]。深さの違いのためか、あるいは透明度の違いのためか、沖合とは水の色がまるで違います。当然、緑色とも青色ともつかない川の水よりも、奥の方に見える、鮮やかな青色をした海の水の方が綺麗に見えるわけですが、2つが混ざり合ったような色の部分は見られず、見事に2色に分かれています。

 14:14、日向大束に到着しました[④]。海の青色に見惚れるのも良いですが、夏空の青色にも見惚れておきたいものです。ここでは、列車交換を行うために3分の停車時間が設けられているので、いったん列車から降りてみましょう[⑤]。列車は1両編成での運転ですが[⑥]、南宮崎寄りの区間こそ混雑していたものの、この辺りまで来るとガラガラと言って差し支えない程度になっていたので、編成長はこれが適切なのかも。

 日向大束の次の駅、日向北方は通過です[⑦]。下りの快速日南マリーン号は、通過駅が非常に少なく、速達輸送のために快速運転をしているというよりは、「乗り降りがなさそうな駅でのブレーキングや扉の開閉が面倒だから」快速運転をしているという印象さえ受けます。ただ、あえて良い方向で解釈してみるならば、どの駅も平均的に利用客数があり、通過しても構わない程度の利用客数の駅は少ない、と言えるかもしれません。

 福島高松に停車します[⑧]。1日平均の乗車人員は2人程度という駅で、その立地も相まって、秘境駅のひとつとして扱われることもある駅ですが、通過ではなく、営業停車を行っています。その次の大隅夏井は通過・・・ということで、次はいよいよ終点の志布志です[⑨]

 日豊本線から日南線にかけて、もう随分と長い間、日向灘とのお付き合いをしていますが、ついに最も玲瓏かつ鮮烈な眺めに出会いました[⑩]。手前から奥に至るまで、全域にわたって広がる色鮮やかな海原。何もかもが透き通って見えそうな高い透明度。空と海面を分かつために現れた水平線は、淡い青と濃い青の違いを瞭然とさせ、見る者の目を刹那のうちに惹き付けます。

 南の果ての駅、枕崎駅へ向かうときも、このような感じのところを通ったような覚えがあります[⑪]。色鮮やかな緑の間を抜けて、列車は少しずつ前へ。1秒、2秒と時間が流れるにつれて、1067mm幅の線路が、次々と後ろへ流れていきます。見える景色も、聞こえる音も、列車の動きも、全ては延々と続く鉄路がもたらすもの。鉄路を歩むたびに、私は新しい何かに触れていきます。

 14:47、列車は終点の志布志に到着しました[⑬]。それと同時に、JR九州線の全線乗車が完了しました。ある会社の全線乗車を盲腸線の終着駅で達成すると、「攻略の終わり」と「路線の終わり」の相乗が発生し、何か別の路線と接続する駅で終わるときよりも高い達成感を得られます。





















 車体全体が黄色一色に塗られ、「MIYAZAKI NICHINAN LINE」と書かれたり、「The cape of DOLPHIN」のロゴが貼り付けられたりしている日南線色のキハ40系は[①]、現在、2両が在籍しています。運用範囲は、基本的に日南線と南宮崎〜宮崎間に限定されていますが、共通運用となっています。即ち、今日の下り快速日南マリーン号はたまたま日南線色の車両でしたが、いつもそうであるとは限らないわけです[②]

 とはいえ、車体側面に大きく「NICHINAN LINE」と書かれた[③]、いかにも”日南線専用車両”という雰囲気を漂わせている車両は、路線名を冠する快速列車にはぴったりの存在です。日南線の定期列車では最も”偉い”列車である日南マリーン号は、日南線色の車両が充てられてこそ輝きます。

 かつての志布志駅は、日南線・志布志線・大隅線の3路線が集う駅で、そればかりか、機関区・車掌区・保線区・転車台・貨物の操車場なども擁していた、まさに交通の要衝でした。さあ、日南線のみが残った今の志布志駅はというと・・・?[④] 1面1線という必要最小限の構造で、機関区をはじめとする主要な機関や設備は、全て取り払われました。駅構内に残る側線と雑草の生えた空き地が、かつての栄華をにわかに思わせます。

 現在の日南線は、たしかに盲腸線です。線路はここで途切れ、これ以上の乗り継ぎはありません[⑤]。しかし、かつては志布志〜国分間を結ぶ大隅線、西都城〜志布志間を結ぶ志布志線が接続していました。九州で廃線になったり、あるいは第三セクターへ転換されたりした路線の数は計り知れません。今、車止め越しにキハ40系を見て思います[⑥]。大隅線や志布志線が残っていれば、とてもまだ帰路に就くことはできなかっただろう、と。

 線路の行く手を阻むように、線路に対して直角方向に設置された駅舎は、無人駅ではあるものの、それなりの規模を持ち、一路線の終着駅としての風格を備えています[⑧]。現在の駅舎は、1990年の駅移転(60mほど移動)に合わせて建設されたもので、駅の内容や規模のみならず、そもそもの位置に至るまで、志布志駅は大きく変わってしまったようです。全盛期の時代を目撃していないのは、果たして幸か不幸か・・・。

 さて、JR九州線の全線乗車を果たしましたが、この後の日南線の列車で折り返していくのかというと、そのようなことはありません。駅を離れて、駅前を横切る道路を歩いていきます[⑨]。そして向かう先はと言えば・・・、志布志港・さんふらわあフェリーターミナルです[⑩]

 志布志駅から歩くこと約1450m、船体側面に描かれた太陽が特徴的なさんふらわあシリーズの大型フェリーが見えてきました[⑪]。フェリーというと、去年の北海道旅行において、稚内〜利尻島の移動で乗船していますが、あのときに乗船したものとは比べ物にならないほどの大きさを誇る船体は、陸に停まっている車やトラックがおもちゃに見えてしまうほどです。

 さらに150mほど歩いて、フェリーの旅客待合所に到着しました[⑫]。しかし、別にフェリーを見物しに来たわけではありません。私は、本当にフェリーに乗るためにこの場にやってきました。今回の旅の最後を飾るのは、鉄道の列車ではなく・・・、なんとフェリーなんです。


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