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 今でこそ山間の小さな無人駅となった備後落合駅ですが、かつては有人駅で、最盛期には100人以上の職員がここで働いていました。優等列車も往来し、機関車交換、分割併合、スイッチバックなどを行っており、職員が宿泊する駐泊所もありました。車庫、転車台、給水塔、貯炭場なども設けられ、まさに重要な駅でした。もちろん、今でも列車運転上は重要な駅ですが、その面影は、ここを始終着とする列車があることくらいです。

 備後落合駅は、1997年に無人化されるまでは、有人駅として駅員の配置がありました。ブラインドが下ろされ、もう二度と営業することもないこの窓口ですが[②]、板を打ち付けて塞ぐといったことは行われておらず、今はただ営業時間外であるだけで、いずれブラインドが上がるのではないかという雰囲気があります。その一方で、日中にも関わらず大きな蛾が鎮座しているなど、今となっては人が寄り付かない駅であることも感じます[③]

 山間の小駅にしてはやけに立派な駅舎が、かつての栄華を感じさせます[④]。旅客に待合室の機能を提供するだけであれば、ここまで立派なものにする必要は全くないわけで、多くの職員がここに詰めていた時代を思わせます。もっとも、この駅舎は、現在でもなお最終列車を運転してきた運転士の寝泊まりに使用されており、業務上の機能を全て喪失してしまったわけではありません。

 駅は山に囲まれており、その周辺には、数軒の民家と簡易郵便局があるのみです[⑤]。昔は旅館や商店、食堂、床屋、酒屋などがあったと言いますが、いずれも廃業してしまっています。空の青さは昔と変わらなくても、駅とその界隈は、大きく変わってしまいました[⑥]

 備後落合駅は広島県庄原市にありますが、駅前には、ここが西城町だったころからの周辺案内図がありました[⑦]。この地図を見てみただけでも、この駅の立地がどのようなものであるのかがよく分かります(ふつう、駅前の地図は「駅周辺の案内」ですが、これはどう見ても「広域案内図」)。また、西城町は、2005年3月末に合併により庄原市となったため、この地図は、少なくとも10年以上は前のものということになります。

 ホーム上に洗面台の残骸が残されていました[⑧]。既に蛇口は取り払われており、洗面台としての用をなすことはできませんが、蒸気機関車が走っていたころ、顔についた煤などを洗い落とすために使われていた時代が偲ばれます。

 往年は列車運転上の重要な駅として栄えた備後落合駅。今、この駅には、どれくらいの列車が発着しているのでしょうか。ホームに立てられた発車時刻表を見てみると、この駅を発車する列車の数は、定期列車では、1日に僅か11本しかありませんでした[⑨]。もちろん、場所が場所ですから、昔は100本はあった・・・ということはないでしょうが、この程度ではなかったはずです。そのスカスカぶりが哀愁を漂わせます。
















 今日はこの後、芸備線の備後落合〜備中神代間を攻略し、新見で宿泊する予定です。しかし、次の芸備線新見方面の列車は、14:34発の新見行きまでありません。1つの駅で2時間以上も列車を待つというのは、見どころや物に溢れている大都市の駅でさえ厳しいものがありますが、何を隠そう、ここは山間の秘境駅・備後落合。このような駅で2時間以上も列車待ちをするというのは、ちょっと無理があります。

 そこで、私は、折り返し木次行きの奥出雲おろち号に乗車して三井野原へ向かい、そこから再度備後落合へ戻ることによって時間を潰すことにしました。今しがた降りたばかりですが・・・、再び奥出雲おろち号へ乗車しましょう[①]。先ほどの下り列車で備後落合にやってきた人たちも、私と同じように、皆この折り返しの上り列車に乗車していました。まあ、駅の環境と乗り換えの事情を考えれば、するべき行動はこれしかないですよね。

 私は2つ目の三井野原で下車します。所要時間は25分。短いと言えば短いですが、2つ隣の駅であるということを踏まえると、比較的長いと言えます。トロッコ車両は十分に楽しんだので、ここはあえて控車に乗車し、「客車列車の旅」を楽しむこととしました[②]

 客車列車で夜汽車の旅を楽しむことは、今となってはもはや困難ですが、「昼汽車」であれば、この奥出雲おろち号を始めとして、SL列車など、まだ機会はあります。客車列車独特の雰囲気、音、加速、減速、走りの質感など、ありとあらゆるものを五感で体感しておきます[③](味覚はないか)。個人的には、座席が特急型車両から回してきた簡易リクライニングシートではなく、正規のボックスシートだと嬉しかったんですが・・・。

 窓の外を緑が流れます[⑤]。冷房がキンキンに効いたガラガラな控車でゆったりと過ごす時間・・・、良いものですね。せっかくの奥出雲おろち号ですから、もちろんトロッコ車両を何よりも楽しみたいものですが、この控車も、また違った視点からの楽しみを提供してくれます。

 備後落合から25分で三井野原に到着しました[⑥]。上り木次行きの場合、スイッチバック区間を除き、機関車が先頭になります。「半室未満で狭苦しい客車の運転室より運転しやすそう」と思いたいところですが、入換での使用を前提に造られたDE10形は、運転席を移ることなく機関車を前後へ動かせるよう、運転台がレール方向に設置されています(運転席に座ったまま首を左右に向けて運転すればよい)。

 頻繁に進行方向が変わる入換には良いかもしれませんが、奥出雲おろち号の場合、旅客列車であり、スイッチバック区間を除き、ずっと同じ方向へ動き続けます。となると、運転士は首をずっと回したまま運転するか、あるいは、顔はほぼ正面を向きながらも(運転席は一応回転する)、腕が運転台へ向けて斜めに行ったまま運転することになります。これ、結構運転しにくいような気が・・・。



























 三井野原駅にやってきました。標高にまつわる駅の話をすれば、JR最高標高地点の駅である小海線・野辺山駅が名高いですが、この三井野原駅は、地味ながら「”JR西日本”最高標高地点の駅」の称号を与っています。

 木次〜三井野原間の各駅には、古事記や日本書紀にちなんだ愛称名が付与されており、三井野原は「高天原」の名を与えられました[②]。奥出雲おろち号の運転区間は、通常は木次〜備後落合、そして三井野原まで乗ってもらう前提(あの団体を見ればJR西日本の意図が分かる)。まるで奥出雲おろち号のために用意されたものかのようです(行き先が備後落合なのは、単に「折り返せる駅だから」ということなのかも)。

 「木次線トロッコ列車 奥出雲おろち号」と書かれた幟が立っていました[④]。この奥出雲おろち号ですが、何せDE10形と12系なものですから、車両の老朽化が進んでおり、もう5年も持たないと言われているようです。後継の車両が導入されるかどうかでさえ不確定ですが、代替車両があるとすれば、もしかしたら、キハ120形やキハ40形をトロッコに改造したものになるかもしれません。

 この駅は、木次線の最閑散区間である出雲横田〜備後落合間にあり、列車の本数は、定期列車では僅かに3往復しかありません[⑤]。臨時の奥出雲おろち号を加えたとしても4往復のみです。公共交通機関として一定の利便性を保ち、「使える」鉄道であるためには、個人的には、最低でも毎時1本はなければならないと考えていますが、この3往復という本数では、公共交通機関としての体を成していると言えるかどうか・・・。

 駅舎は2014年12月に完成した新しいもので、内外ともに非常に綺麗でした(虫はいますが)[⑧]。木造建築で「小屋」という表現が合うこの駅舎では、木材のある空間が織り成す心地良さを感じられます。なお、物が物なので、さすがに写真は撮っていませんが、三井野原駅の便所は、従来の「駅の便所」の概念を覆すような、綺麗で清潔なものになっています。是非お試しください。

 駅の近くにバス停がありました。その本数は、平日6往復、土曜・休日5往復で、どちらの場合も、木次線の列車本数より多いものでした[⑩]。地方の路線バスよりも本数が少ないということで、木次線の出雲横田〜備後落合間の深刻さが分かろうというものです。また、同区間は、冬季になるとよく「冬眠」をし、雪解けの時期まで全列車が運休・バス代行輸送になります。それでも何とかなってしまうというのが・・・。

 野良猫と出会いました[⑪]。人それぞれ、何らかの「旅先での楽しみ」を持っていることであろうと思いますが、私の場合、それは「その地にいる野良猫との出会い」です。もっとも、野良猫の場合、人見知りな性格をしている場合が多く、近寄って撫でることなどは滅多にできませんが、このように「にらめっこ」をするのが楽しいんです。向こうが根負けするまで視線を送り続けます。

 「三井野原スキー場」と書かれた看板がありました[⑫]。駅のすぐ近くにある山には不自然に木が生えていないところがあり[⑬]、なるほど、たしかにスキー場があるようです。しかし、正直言って、「こんな辺鄙なところにスキーをしに来る人などいるのか?」と思ってしまいます。スキーブームの頃ならいざ知らず、今はスキー場の経営も厳しく、スキー場の閉鎖が相次いでいます。

 しかし、「三井野原スキー場」で検索をかけると、その公式サイトが存在し、2014年度冬季は普通に営業していたことが記されています。駅周辺にはスキーヤー向けの旅館が何軒かありますが、いずれも営業しているのかどうか怪しい廃れよう。まあ、冬季のみ営業であればそんなものか?

 さらに駅周辺を探索すると、線路上に木板だけが置かれた非公式の踏切があり、そこに「スキーでの線路横断はしないでください」と書かれた看板がありました[⑮]。駅のすぐ近くにスキー場がある三井野原駅ならではの警告と言えましょうか。スキー場は駅のすぐ近くにあり、駅からの距離だけで言えば、抜群の立地を誇ると言えますが、何せ列車の本数が・・・。しかし、昔は三井野原行きのスキー臨が走ったこともありました。

 スキーリフトの装置と思われる機械がありました[⑯]。もう放置されて朽ちかけているのではないかと思いたくなる錆びつきようですが、スキー場自体は今も営業しているようですから、この装置も現役ということなのでしょうか。・・・と思って調べてみたところ、他にリフトが2か所に設置されていますが、この錆びついたリフトに関しては、さすがに現在は使用していないようです。

 列車の本数が少なかろうとなんだろうと、この地に居を構え、生活する人たちがいます。「三井野自治会」[⑱]。ここには人の営みがあります。


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