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 桂川からは18:00ちょうど発の快速列車に乗車し、筑豊本線を進んでいきます[①]。乗る人はほとんどいませんでしたが、降りる人はまずまず見られました。福岡市の東25kmにある桂川町は、人口は減少傾向にありますが、福岡市のベッドタウンにもなっています。

 飯塚を出ると、列車は複線区間に入ります[②]。飯塚〜若松間(折尾駅構内の若松方面への連絡線を除く)は複線区間となっており、特に電化されている飯塚〜折尾間では、地方交通線とは思えないような立派な状態になっています。飯塚の次は新飯塚に停まり[③]、今朝の8:00ちょうどに新飯塚を出発して以来、約10時間ぶりの帰還を果たしました。

 続いて浦田に停車[④]。博多始発の快速列車ですが、柚須〜筑前大分間で隔駅停車を行った後は、筑前大分を発車した後、18:20に到着する小竹まで、7駅連続で停車します。「もう区間快速で良いのでは」と思った矢先、終点の直方のひとつ前の勝野を通過し、「区間快速」や「準快速」ではなく、「快速」である理由が証明されました[⑤]。このような停車駅設定なら、もういっそ勝野に停車した方が良いのでは・・・。

 直方駅の手前で、線路は複々線になります[⑥]。さすがは石炭輸送で栄えた筑豊本線・・・なわけはありません。奥の複線は、平成筑豊鉄道伊田線の線路です。第三セクターに転換されてしまう程度の路線でありながら複線になっている伊田線は、やはりかつては石炭輸送で賑わっており、今なお全線が複線となっているのは、その名残であるとも言えます。

 桂川から27分で終点の直方に到着しました[⑦]。桂川〜直方間で通過したのは勝野のみであり、所要時間は、普通列車と大差ありません。























 2+2=4両編成で運転されていた快速列車ですが、直方到着後、2つの編成が分割されました[①]。どちらの編成も817系ですが、その番代の違いにより、片方はステンレス無塗装の車体、もう片方はステンレス製ながらも白いシートで全体が覆われた車体を有していました。

 直方を越えて直通運転を行う列車もありますが、先ほどの快速列車が直方行きであったため、ここで列車を乗り換えます。8分で接続する折尾行きの普通列車が隣のホームに停車していました[③]。「水戸岡製車両」ですが、座席のヒョウ柄の模様が特徴的であるくらいで[⑤]、木を使いまくったり、座席に本革を使ったりはしていないため、内装は、全体的には至って無難です[⑥]

 直方を発車して、折尾を目指していきます[⑦]。折尾まで終始複線区間が続くため、列車交換のために待たされることがないうえに、列車との「走りながらのすれ違い」が可能です[⑧]。筑豊本線の電化区間は、石炭輸送が衰退した後も旺盛な旅客需要に支えられており、電化工事が行われたとともに、複線の線路が大いに活躍しています。各駅に停車しながら、地道に折尾を目指していきます[⑨]

 筑前垣生〜中間間で遠賀川橋梁を渡ります[⑩]。線路が架けられていない橋脚部分だけがありますが、これは、現在走っている線路(上り線)の架け替え前の名残です。また、残された橋脚と下り線の間には隙間がありますが、かつては、ここに上下が共有する橋梁が架かっていたそうです。石炭輸送の全盛期は、複線化をしても輸送力が足りず、それゆえ「上下兼用線」が設けられたと言われています。

 東水巻駅は、ハの字型に広がったホームが特徴的な駅です[⑪]。左右に分かれる線路の間に駅舎が設置されており、駅を俯瞰して見た場合、いわば「A」の字型をしています。東水巻を発車すると、下り線が遠く離れたところへ行ってしまいますが[⑫]、東水巻駅の構造とこの上下線の別離は、その昔、筑豊本線に折尾〜中間間が複々線であったことが大きく関係しているようです(詳説はWikipediaにある「東水巻駅」に譲ります)。

 18:56、列車は終点の折尾に到着しました[⑬]。この先、黒崎まで筑豊本線からの列車専用の単線が敷設されており、黒崎・小倉・門司港まで直通する列車もありますが、この列車は、篠栗線経由の博多行きとして折り返してしまいます。
















 次に乗る列車は、19:03発の若松行きの列車です[①]。今私が降り立ったのは2番線であり、ひとつ隣のホームへ行くわけですが、事はそう簡単にはいきません。両ホームは跨線橋や地下通路で直接結ばれてはおらず、仮設感溢れる通路を歩き、階段を上って3番線ホーム(鹿児島本線)に上がり、そこを通り抜けて階段を下り、2度90度に折れ曲がる通路を進んで、ようやく1番線に到着します。隣のホームへ行くだけなのに200mほど歩きます。

 1番線ホームとキハ40系が見えてきました[②]。ひとつ隣のホームへ向かうだけだというのに200mも歩かされる駅がどこにあるでしょうか。この他、5番線以下と6・7番線間を移動するには、いったん改札の外に出て屋外で連絡する必要があるなど、折尾駅の構造は非常に複雑です。現在、高架化工事が進められており、これが完成すると、3か所に分散している出口には1つになり、各ホームは高架下で結ばれるようになります。

 非電化である折尾〜若松間を、キハ40系の普通列車に乗って移動します[③]。原田〜桂川が非電化、桂川〜折尾が電化と来ましたが、残された折尾〜若松はまた非電化となります。もっとも、いかにも「取り残されてしまった」感のある原田〜桂川とは異なり、折尾〜若松は複線となっているほか、毎時2〜4本程度の列車が運転されています。

 夕暮れの折尾駅を後にします[④]。終点の若松まで、住宅地や工業地帯の中を走っていくので、非電化で気動車が走っていると言っても、寂れているという印象にはなりません。折尾から2つ目の二島を出ると、進行方向左側に国道199号線が現れ、終点の若松に至るまで、間にカーディーラーや商業施設などを挟みながら、ほぼずっと若松線の線路と平行していきます[⑤]

 19:17、藤ノ木に到着[⑥]。筑豊本線の盲腸線区間ですが、北九州市内にある駅ということで、長距離乗車券における「北九州市内」の駅になっています。若松線の駅では、最も利用客の少ない駅となっていますが、数人の降車がありました。

 藤ノ木の次は終点の若松です[⑦]。これにより、若松〜原田間を結ぶ筑豊本線の全線乗車が完了しました。また、福岡県北部を中心に形成されている、JR九州の入り組んだ路線網を攻略することに成功しました。


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