次なる列車は、佐用行きの普通列車です。今度もキハ127系ですが、キハ127系のうち、両運転台・単行型のキハ122形と呼ばれる仕様の車両が充てられていました[①]。先ほどは2両編成でしたから、やはり、この先は需要が減るということなのでしょう。
発車の5分ほど前に車内に入ると、乗客はほとんどおらず、座席も選び放題でした。「なるほどこれは通りで1両編成で運転されるわけだ」と思いましたが、15:27、姫路からの普通列車が到着すると[④]、そこからの乗り換え客が大挙して押し寄せてきて、座席は満席、立ち客も多数発生するという状況になってしまいました。たまたまなら良いですが、もし普段からこうなら、姫路からの2両編成をそのまま佐用まで行かせるようにした方が・・・。
多くの乗客を乗せた状態で、列車は播磨新宮を発ちました。播磨新宮から先は平地が狭くなり、山と山の間にある僅かな平地を選びながら走るような環境に変わります[⑤]。「中国地方を横断するローカル線・姫新線」らしさが出てきたというところでしょうか。もっとも、「ローカル線」とは言ったものの、かつては陰陽連絡線として機能しており、大阪〜津山・新見・鳥取などを姫新線経由で結ぶ急行列車も走っていました。
15:54、播磨徳久に到着[⑥]。ホームはあるのに線路がない、という反対側ホームの状況は、今は1面1線であるものの、かつては向こう側にも線路が敷設されていて、この駅が2面2線であったことを教えてくれます(これも陰陽連絡線としての役割を失い、列車の本数が減ってしまったからなのか?と書こうとしましたが、播磨徳久は、陰陽連絡線としての使命もとっくに終えていた1994年になって2面2線化されたとのこと。はて?)
列車は15:59に終点の佐用に到着しました[⑦]。ここから更に津山行きの列車に乗り換えます。
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