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 島内の見学が終了したら、参加者は、順次クルーズ船へと戻ります[①]。この狭い端島に空港やヘリコプターの発着場などあるはずはなく、また、どこかとの間に橋が架けられることもありませんでしたから、島への移動手段は、今も昔も船しかありません。

 ここで軍艦島上陸の正直な感想を申し上げておきますと、ぶっちゃけ「拍子抜け」、これから来訪する方々にお伝えしておきたいのは「期待しすぎてはいけない」。当たり前といえば当たり前ですが、41年以上も前に放棄されたこの島にある建造物は、いずれもいつ崩壊するか分からない危険性を孕んでおり、見学者は、予め定められている安全地帯、つまり「見学通路」にしか立ち入ることができません。

 そのため、テレビや雑誌などによく出てくる「これぞ軍艦島の神髄」と言える部分、つまり「廃墟群の真下」「朽ち果てたマンションの内部」といったところに立ち入ることは、一切できません。ひと1人立ち入っていくのも危ないかもしれませんし、「軍艦島上陸ツアー」などといって大人数で立ち入るのはもっと危ないですが、観光用に整備された「外側」から朽ちた建物を見てもあまり・・・という感じで。

 2009年4月に観光用の立ち入り可能区域が整備され、島の放棄後は禁止されていた上陸が許可されるようになりましたが、それ以前にも、漁船などを借り上げ、非合法に上陸する者はいたようです。本当はいけないことですが、とはいえ、あれはダメこれはダメ世界遺産だの何だのと言われていなかったころに、ここを自由に見て回っていたのかと思うと、正直、羨ましい話です。

 コバルトブルーのごとく青々とした海[②]。端島の周りはまさに海なのに、果たして島内にプールなど必要だったのか?という疑問もあるかもしれませんが、島の近くは潮の流れが速いうえに、周囲が高い護岸で固められていた(浜辺のようにとっさに上がれない)ため、海での遊泳は禁止でした。

 島を離れて帰路に就く前に、島の周囲を船で回ってくれます[④]。こうして見てみると、結構緑が多いということに気が付きますが、島に人が住んでいた当時は、緑はほとんどなかったようです。皮肉にも、コンクリート固めの島は、半ば自然に還されたことで、緑が茂るようになりました。

 参加者の人たちは、島に上陸する前も、しているときも、そしてした後も、ずっと端島に夢中のようです[⑤]。どう足掻いても人の姿が写真に入ってしまいます・・・、と言いたいところでしたが、船の左右のどちら側にいる人も見られるように、船は途中で転回をするので、取り急ぎ端島の遠景を撮りたいわけでないのなら、最初は「反対側」にいておけば、後で端島だけの綺麗な写真を好きなだけ撮れるようになります(6〜10の写真)。

 端島には神社もありました。島民たちの心の拠り所であった神社は、本殿や拝殿は崩壊してしまいましたが、祠はその姿をとどめており、そこに神社があったことを物語っています[⑦]。また、非常に見にくいですが、鳥居も残存しているようです。

 林立する建物を全て解体したうえで離島するということはさすがにできず、それゆえ、半ば放棄に近い形で無人島となった端島。窓ガラスをはめていたと思しき木枠や障子の木枠は、未だに残り続けています[⑧]。こうしたものの存在は、ここに人が住んでいたという事実をありありと伝えます。そして同時に、まだ綺麗な状態の、「住処」と言うに足りるだけの状態のまま放棄されてしまったという事実も伝えています[⑨]

 青空の下に佇む端島[⑩]。「時が止まったかのようだ」という表現は、この端島にはあまりふさわしくないように思います。1年、2年・・・41年と、滞ることなく時が流れたからこそ、あれだけ賑わった島が、紛うことなき廃墟へと姿を変えてしまったわけです。今後、建造物の崩壊が進むのかもしれませんが、台風や高潮による波によってではなく、ある晴れた日の青空の下で、そよ風のせいですらもなく、自然的に最期を迎えることを願います。















 ツアーが終了して長崎駅に戻ってきました[①] [②]。港から駅までは1.2kmほどで、徒歩で移動することも可能な距離ですが、大荷物を背負って歩きたくなかったので、路面電車の大波止駅まで向かい、そこから長崎駅前まで、路面電車で移動しました。

 九州新幹線の西九州ルート、通称・長崎新幹線[③]。山陰新幹線などと同じく、「計画だけはある」という程度の話かと思っていたら、もう着工もしたようで・・・。必要不要の論議は置いておきますが、東北新幹線が320km/hで運転していて、一番ボロの東海道新幹線でさえ285km/hでの運転が実現しているという時代に、スーパー特急区間を挟むとか、フル規格部分は最高260km/hだとか、「退化」もいいところです。

 12:20発の特急かもめ22号に乗車します[④]。「白いかもめ」は、885系で運転されるかもめ号の通称ですが、発車標には、あたかもそれが正式な列車名であるかのように表示されます。乗れば乗るほど得をするフリーきっぷ(アラウンド九州きっぷ)を使おうとしているのに、それを使って乗る最初の列車が12:20発では、正直、「午前中の分を損している」ような気がしてしまいます。

 新幹線並みの流線型の先頭部が特徴的な885系[⑤]。以前は、運転室の窓周りが黄色の編成をかもめ号用、青色の編成をソニック号用として運用していましたが、車両運用の都合上、もう一方の列車に運用されるということがしばしばあったため、色分けをやめ、青色で統一することとしました。しかし、写真の編成は、連結器カバーとその上あたりにかもめ号のロゴとエンブレムがあり、元かもめ号用編成であることが分かります。
















 885系の特徴といえば、普通車・グリーン車ともに、座席が全面革張りのものになっているということでしょう[①](写真は普通車の座席)。見た目の高級感はありますが、別に特別座り心地が良いということはなく、クッションの詰め方が良くないのか、それとも座席の形状が悪いのか、むしろ居心地はイマイチです。特に背もたれに背中を預けると、革製から来る滑りやすさのためなのか、背中が落ち着きません。

 なお、「滑りやすさ」について言うと、以前は、座面も非常に滑りやすく、振り子を作動させたり、うとうとして姿勢が崩れたりしてくると、そのまま腰が前方に滑り落ちそうになることがありましたが、座面の縫い目を増やすことで、その問題を解決しています。座席の写真をご覧いただくと、より理解しやすくなるかと思いますが、座面の縫い目は、以前は一番背もたれ寄りの1本だけでしたが、やや幅の狭い縫い目が3本追加されました。

 ひとつ上の段で、元かもめ号用編成であることの名残についてのご案内をしましたが、車内にも、「元かもめ号用編成」の痕跡がありました。窓下の框部分に、「KAMOM E」と書かれたロゴが刻印されていました[③]。また、背もたれの裏側にある切符入れ(2番の写真を参照)にも、鴎が翼を広げた様子を思わせるロゴ(マツダ車のエンブレム風)が残っていました。

 さて、かもめ22号で新鳥栖を目指しますが、長崎の次の浦上で「反対列車が遅れているため、反対列車の到着を待ってから発車します」などという放送が。昨日はシーサイドライナー号で大幅な遅延を食らいましたが、今日もまた遅延が発生しているようです。お盆でもない平日の真っ昼間に、いったらどうやったら遅れが発生するのやら。それを改善できないなら、とりあえずとっとと複線化してはいかがでしょうか。

 喜々津駅の手前で、長与経由の旧線と合流します[④]。新線も旧線も単線ですが、新線の方は電化されており、特急かもめ号をはじめとする電車の列車が行き来します。合流駅である喜々津は通過するため、浦上の次の停車駅は諫早です。

 長里〜肥前七浦間では、列車は有明海沿いを走り、車窓にも有明海の景色が広がるようですが、指定券で指定されていたのは山側の座席であったため、私は、その素晴らしいであろう眺めを全く見られませんでした。有明海を見られる区間があることをすっかり忘れていた、というより、最初から全く意識していなかったので、昨晩に指定券をとるときも、列車名と区間だけを伝え、どちら側の座席かまでは希望しませんでした。

 佐賀平野の田園地帯を疾走していきます[⑤]。右も左も真っ平らな土地で、ほとんどアップダウンがありません。遠くの方には山が見えていますが、そこまでは、「地上の水平線」が続くがごとくで、一段高くなっているところを見つけることさえ困難です。

 佐世保方面へ向かう佐世保線と、肥前山口駅の手前で合流します[⑥]。昨日は、佐世保線と大村線を経由して長崎を目指しました。「特にJR線の全線乗車を目指しているということはない」という方でも、行きは佐世保線・大村線経由、帰りは長崎本線経由などというようにすれば、行きと帰りで違う経路にすることができ、変化をつけられます(肥前山口〜博多方面は長崎本線だけ)。

 肥前山口と佐賀に停車し、列車は新鳥栖に到着しました[⑦]。列車の遅れについては何も言っていなかったので、「余裕時分と回復運転を使って持ち直したのかな」と思いましたが、実際には、4分遅れの13:50に到着していました。「お急ぎのお客様には・・・」という謝罪まで言う必要はないですが、せめて「4分遅れでの到着です」と、現在の事実くらい言ったらどうなんでしょうか。

 4分程度の遅れに目くじらを立てることはない、と言いたいところですが・・・、実は新鳥栖で、13:50発のさくら553号に乗り継ぐ予定でした。もともと、「4分という短い時間での乗り換えは成功しないかもしれない」と思っていたので、一応、次の列車になっても問題がないような旅程を組みましたが・・・。
 まあ、「JR九州の定時性については、晴天・平日の真っ昼間でさえ信用してはならない」ということを学習できましたね。


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