◆8月21日◆
Page:41

※各画像はクリックすると拡大します。










 日付は変わって8月21日です。今日最初に乗る列車は、6:10発の鹿児島中央行きです[①]。枕崎21:05着の列車で使われた車両がそのまま夜間滞泊し、翌朝の6:10発の列車となります。18:30前に日本最南端の始終着駅に到着し、翌日6時過ぎの列車で出発するというのは、来た場所が場所ですから、なんだかもったいないような気もしてしまいますが、到着列車の折り返し便でとんぼ返りするよりはマシです。

 枕崎〜鹿児島中央間には、他のJR線の接続は一切ありません[③]。つまり、指宿枕崎線全体が盲腸線となっており、バスなどに逃げない限り、昨日と全く同じ経路を辿って鹿児島中央まで戻っていくことになります。その退屈さを少しでも軽減する術があるとすれば、それは「枕崎で泊まって、心身をリセットしたうえで翌日に乗る」ということでしょうか。

 片手でも数えられる程度の乗客を乗せて、列車は枕崎を発ちました。絨毯のごとく広がる緑と、その向こうに水平線をなす東シナ海。そして爽やかな朝を予感させてくれる晴れ空など、このあたりの様子は、時計の針が約12時間進んだというだけで、昨日に同じ区間を通ったとき(もっとも、そのときは「爽やかな朝」ではなく「迫る夕暮れ」でしたが)とほとんど変わりません[④] [⑤]

 鹿児島中央まで一気には進まず、3つ目の薩摩塩屋で下車[⑥]。キハ40系が車体を上下左右に揺らしながら、木々の間に消えていきました[⑦]























 薩摩塩屋という駅にやってきました。本来なら赤色の三角形が2つ印刷される駅名標(白沢駅のものを参考に)も、太陽の光をずっと浴び続けてすっかり色落ちしてしまったのか、三角形があったという痕跡だけが残っていました。印字されている文字も、上側にあるものは色が薄くなってきており、この駅名標を見てみただけでも、ここがどのような駅であるのか、なんとなく想像がつこうというものです[①]

 単式1面1線で幅の狭いホーム[②]。4人すらも1度には来ないであろうというのに律儀に4人分が用意された椅子が漂わせる哀愁[③]。その椅子に座って見える眺めとは、夏空に映える畑、大空の下ではその大きさが霞んでしまいそうなヤシの木、遠くに稜線を描き出す山々、そして、どこまでも限りなく広がる大きな空[④]。朝方の静けさとも相まって、この眺めは、見る者の心を和ませます。

 駅舎という駅舎はなく、駅前は、舗装もされていない砂利と芝生があるだけ[⑥]。こちらを向いた駅名標の裏側にある「さつましおや 薩摩塩屋」という文字だけが、訪れた人たちに、ここが薩摩塩屋駅であることを伝えています。砂利と芝生を起点として始まる駅前の道が導くその先は、生い茂った草木に遮られてしまっていて、よく見えません[⑦]

 そして、この駅の1日平均の乗車人員は、多い年でも1人程度であり、1を割ってしまう年も多々あります。このような記録と現地の状況、雰囲気などを総合して、薩摩塩屋駅を、いわゆる秘境駅のひとつとして見る向きもあります。

 ・・・とは言ったものの、砂利道のすぐ先はもう開けており、更に進めば、信号機や白線もあるようなそれなりの道に出ることができます[⑧] [⑨]。また、それなりの道=国道226号線の向こう側には住宅街が形成されており、「人気(ひとけ)のない、奥まったところにある駅」といった雰囲気は、実はほとんどありません[⑩]。それでも、せめて東シナ海のさざなみの音が聞こえれば・・・、と思いますが、遠すぎ。

 あてどもなく駅の近くを歩き続け、ふと、枕崎駅寄りの踏切のあたりにやってきたときです[⑪]。私が足音を立てるたびに、何か赤いものが動いていきます。コンクリートの隙間に逃げ込み、そこからこちらを見つめるその生物とは、蟹・・・、えっ、蟹?[⑫] これは予想外の出来事です。まさか道端で蟹に出会うことになろうとは。

 浜辺やその近くで蟹に出会うのならば、まだ合理性を感じますが、ここは、東シナ海の海岸から直線距離で600mほどは離れたところです。道の形状に従って移動すれば、もう少し距離がありますし、ここに来るまでには、車に轢かれる危険性も大いにあります。それでも、海から上陸した後、ここまで歩いてやってきたというのでしょうか? 沢蟹か、と思いましたが、見た目があまりにも違いすぎます。

 次に乗る列車がやってきました。7:07発の枕崎行きです[⑬]。いったん引き返す形となりますが、現在使用している切符は、「アラウンド九州きっぷ」であるため、どのような移動をしようとも、追加の乗車券などは必要ありません。3分で下車駅の白沢に到着します[⑭]




















 薩摩塩屋の1つ枕崎寄りの駅、白沢[①]。ここも1日平均の乗車人員は1人程度で、薩摩塩屋と同じような状況下にあります。

 住宅などはホームのない側とホームの山川寄りの方に集中しており、ホームの枕崎寄りは、建物などもほとんどなく、非常に開けています。綺麗に区画整理がなされた畑の向こう側には、向こうにある陸地が全く見えず、水平線だけが横切る東シナ海が見えます[②]。そんな東シナ海の近くを、指宿枕崎線が、南の果てを目指して通っています[③]

 単式1面1線。利用客の数は非常に少ないながらも、やはり薩摩塩屋駅と同様に、椅子と雨除けの屋根は用意されています[⑤]。破線で引かれている白線も共通項です。いや、もっと言えば、指宿枕崎線の戦後延伸区間(山川〜枕崎間)は、戦前〜戦中時の終着駅・山川と、主要駅の西頴娃、そして終着の枕崎を除き、基本的に「駅舎なし・単式1面1線・椅子と屋根あり・破線の白線」という造りになっています(一部「椅子だけない」などあり)。

 ホームから東シナ海が見えたので、「もしかしたらかなり近寄れるのでは」と思い、海の方を目指して歩いてみました[⑥]。主は昔からこの地に住んでいると思われるような一軒家が多数集っています。頑張って歩き、海がより大きく見えてきましたが[⑦]、それでも海岸まではなお距離がありそうで、このまま進んだ場合、次の列車に間に合わなくなってしまう可能性を予感したため、ここで引き返すこととしました。

 東シナ海を行く3隻の船[⑧]。大きさから考えると、やはり漁船というところでしょうか。写真の左側が指宿方面、右側が枕崎方面ですが、これらの漁船は、いずれも枕崎方向(右)へ進んでいます。枕崎駅から歩いて600mほどのところに漁港があるので、そこへの帰還途中なのでしょう。

 「線路に雑草が生えてきた」のか、「雑草があるところに線路が敷かれた」のか[⑩]。後者と言ってもあながち間違いではないくらいに、指宿枕崎線の線路には雑草が生い茂っています。レールもお世辞にも綺麗な曲線を描いているとは言えず、かなり「カクカク」しています。その線路上にある、警報装置がなく、踏み板だけを設置した第4種踏切。「ローカル線」って感じですねぇ。

 白沢駅を見守るように聳える1本のヤシの木[⑪]。仲間はなく、ただ1人で、雨の日も風の日も。葉は風にそよそよと揺れ、時間は流れる・・・。


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26
27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49
50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ