江津行きの426Dに生まれ変わったキハ120形に乗車します[①]。1時間30分以上も待たされた、と言いたいところですが、三次〜江津間を通しで走る列車であった場合、3時間21分〜3時間46分かはかかるので、途中で気分転換ができたと思えば、そんなに悪い時間でもありません。それほどの長い時間をキハ120形に乗り続けるというのは、正直、拷問に近いものがあるかと・・・。
石見川本13:41着の浜原行き425Dの到着を待ってから出発します[③]。ここから先は、終着の江津まで、全て1面1線の駅となっており、列車交換ができる駅は存在しません。そのため、425Dが到着しないことには、こちらも動けません。
川戸駅で見た掲示。「祝 三江線全線開通 平成26年7月19日 おかえりなさい、三江線。これからも、ずっと一緒に。」[④]。橋梁損傷、土砂崩れ、土砂流入、橋脚流出、築堤崩壊、線路陥没、ケーブル損傷など、三江線は、何度も災害の被害を被り、不通になりました。しかし、そのたびに復旧工事が行われ、見事に復活しています。それはまさに「不死身」の体現で、不死鳥のローカル線と言っても過言ではありません。
日本屈指のローカル線が、何度でも立ち直るその理由。それはひとえに、地元自治体に鉄道への理解があるからでしょう。大赤字のローカル線の復旧費用など、鉄道会社が全額を持ってくれるわけがありませんが、そうとなれば、島根県は、復旧にかかる費用の一部をきちんと負担します。また、平時からも、三江線活性化協議会が組織され、回数券購入費の補助を行うなど、三江線の利用を促進するための努力が行われています。
それだけではありません。同協議会は、JR西日本と共同でバスによる増便社会実験を試みたり、神楽にちなんだ駅名愛称を制定したり、地酒や特産物を振舞う特別列車を運転したりと、様々な試みを行っています。もし、こういった鉄道に対する理解がなければ、三江線は、災害で不通になった区間がそのまま廃線になったり、あるいは既に全線で廃線になっていたりしたかもしれません。
復旧費用の負担や利用促進があったところで、別に三江線が黒字になるわけではありません。とはいえ、こういった「いざというときには真摯に協力してくれる」という姿勢は、三江線を運営するJR西日本にも、少なからず良い影響を与えているのではないでしょうか。同じ大赤字でも、鉄道への理解と協力をしてくれれば、JR西日本としても、運営と維持に前向きになろうというものです。
どこのどいつと名指しするつもりもありませんし、今後そういう事例が出るぞと言いたいわけでもありませんが、利用促進や路線運営への協力を一切しないでおきながら、いざ廃線にするという話が持ち上がると「絶対反対」と声だけ上げるような場合があるならば、そんなものは、廃線になって然るべきでしょう。普段はマイカーを使いまくりながら、廃線になりそうになってようやく反対の声を上げるのも同様です。
川平駅は、かつては相対式2面2線の駅でした。しかし、列車本数の減便に伴い、駅舎とは反対側にある線路が剥がされ、1面1線の構造となってしまいました[⑥]。石見川本〜江津間には、川平を含め、列車交換ができる駅が4駅ありましたが、いずれも1面1線の駅となり、列車交換を行うことができる駅が消滅しました。増便社会実験の際には、これが列車増発の妨げとなり、列車ではなくバスでの増発となりました。
夏空の下を走る三江線[⑦]。三江線というと、ついつい横か下の方、つまり「江の川」に注目してしまいますが、上を見上げて、その美しい空にも注目したいものです。沿線の建物が少なく、青々と生い茂った緑と空が織りなす見晴らしの良い展望は、三江線のもうひとつの魅力です。
トンネルを通って、また一歩江津へ近づいて[⑨]。江津本町は、426D最後の途中停車駅です[⑩]。本町と言いつつも、江津市街地の外れの方にありますが、その代わりに、江の川に面した駅という立地を得ています[⑪]。ホームの端からは、眼前を流れる江の川が見られることでしょう。
山陰本線の橋梁、国道9号線、そして日本海が見えてくると[⑬]、まもなく終点の江津です。三次〜江津間は、三江線で108.1kmの距離ですが、速度の低さと石見川本での待ち時間が相まって、4時間52分もかかっての到着となってしまいました[⑭]。また、長谷以外の全ての駅に停車するという進み方であったため、「一歩一歩」「じわりじわり」という感じが強く、なんだか、妙な達成感がありました。
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