◆8月22日◆
Page:47

※各画像はクリックすると拡大します。










 今日は8月22日です。正直、自分でも「まだこの旅は終わってねぇのか」と思ってしまいます。だんだん感覚が麻痺してきて、「自宅を離れて旅行中」というより、「家を失ってずっと流離っている人」なのではないかと錯覚してしまいます。

 ホテルをチェックアウトして、朝の新飯塚駅にやってきました[①]。福岡県第4位の都市である飯塚市の玄関口は、ひとつ隣の飯塚駅ではなく、こちらの新飯塚駅であるとされています。駅の利用者数で比較しても、約3.6倍の差があるようです。病院やマンション、雑居ビル、ホテルなどが立ち並ぶ駅舎側は、中都市の玄関口らしく発展しています[②] [③]。駅舎の裏側にも、昨年5月に完成したばかりのマンションがあります[④]

 攻略率が0%である筑豊本線を乗っていきたいところですが、今日はまず、再度後藤寺線に乗車します。乗車する列車は、8:00ちょうど発の田川後藤寺行きの快速列車です[⑤]。後藤寺線には、1日に1往復だけ、線内無停車という快速列車が設定されています。普通列車ばかりが走る後藤寺線においては「紅一点」とも言うべき列車で、そのうえ上り快速は8:00定時という発車時刻になっており、まさに「特別な列車」という扱い。

 車両はキハ31形でしたが、昨日乗車した後藤寺線の列車とは異なり、2両編成となっていました[⑥]。サボはきちんと「快速」入り[⑦]
















 2両目の車両に乗車しました[①]。乗客は2両とも少なく、「利用客が少ない時間帯だからこそ途中駅での乗降は一切割り切っている」とか、「そもそも列車設定の意図と実際の需要に齟齬があるのでは」、「いや、高校が夏休みならこんなものだろうか」などと考えましたが、発車間際になって、「土曜日の行楽に出かけます」という雰囲気で満々の人たちがたくさん乗り込んできました。

 新飯塚を出ると、筑豊本線との並行区間が一切ないままに、すぐに同線と分かれます[②]。後藤寺線は地味な路線ですが、福岡県東部の田川地方と福岡市を新飯塚経由で短絡する、という役割を担っています。毎時1〜2本はあるので、短絡路線としての実用性もあります。

 最初の通過駅は上三緒[③]。「最初の」と書きましたが、この快速列車は、後藤寺線内の途中駅は全て通過してしまうという列車です。始発の新飯塚を発車したら、終点の田川後藤寺に到着するまでの16分間、運転停車も行わずに、一度も停まることなく走り続けます。

 下鴨生〜筑前庄内間に、後藤寺線唯一のトンネル、入水トンネルがあります[④]。全長は553mほど。これが例えば全長5000mであるならば、路線距離の約37.5%はトンネルである・・・などという話が展開できますが、553mという至って普通の長さでは、正直、これ以上コメントのしようが・・・。

 船尾駅の周辺には、麻生セメント田川工場が展開しています。石灰石や粘土の採掘場の脇を走ったり、幾重もの鉄骨が物々しい工場施設が眼前に迫ったり、工場の通路が線路の上を通過していたりと[⑤]、まるで工場の専用線内に入ってしまったかのような車窓が繰り広げられます。船尾駅自体も、公道と工場の私有地の境目くらいに位置しており、あたかも工場に勤務する社員の専用駅かのような雰囲気を漂わせています。

 中元寺川を渡ると、終点の田川後藤寺はまもなくです[⑥]。新飯塚から16分で、列車は終点の田川後藤寺に到着しました[⑦]。これの折り返しは普通列車ですが、この後、9:50発の新飯塚行きの快速列車があります。1日1往復のみの快速列車は、上下とも午前中の運転です。























 城野〜夜明間を結ぶ日田彦山線は、昨日、城野〜田川後藤寺間を乗車しました。というわけで、久大本線直通の日田行きの列車に乗車し、未乗車のまま残された田川後藤寺〜夜明間を攻略していくこととしましょう[①]。後藤寺線の快速列車との接続を考慮した、8:19発の日田行きがあります。

 次の池尻でさっそく列車交換[②]。この写真では分かりませんが、日田彦山線を貨物列車が走っていたころの名残であるのか、池尻駅構内の複線区間は非常に長くとられており、一方の分岐器からもう一方の分岐器までの距離で見てみると、約530mの長さがあります。また、ホームの長さは、約160mとなっています。いずれの長さも、2両編成のキハ40系にとっては、「余り」がたくさん出る長さです。

 曲がった線路の先にキハ125形と添田駅のホームが見えます[③]。日田彦山線において自分が乗車した列車、そして行き違った列車は、これまでのものは全てキハ40系でしたが、ここに来て、初めてキハ40系以外の車両(キハ125形)を見かけました。昨日の夕方に小倉から乗車した列車が添田行きであったなど、添田駅は、始終着となる列車も多数設定されている駅です。

 8:40に到着する豊前桝田は、現在は1面1線ですが、かつては島式1面2線という駅でした。現在も使われている側は、アスファルトできちんと舗装されていますが、使われなくなった側は、砂利や雑草が占有してしまっています[④]

 8:45に彦山に到着[⑤]。英彦山への最寄り駅ということもあってか、登山の装備をした人たちがここで下車していきました。赤い屋根が特徴的な駅舎は、無人駅の駅舎としてはたいそう立派なもので、英彦山山頂にある英彦山神宮を模した造りも取り入れられていると言われています。

 日田彦山線でキハ40系の列車に乗車されたときは、乗降扉の上に注目してください。「日田彦山線 停車駅案内」と称した沿線案内のポスターが貼り出されています[⑥]。最初から全線を乗り通すつもりであったり、あるいは下車する駅が決まっていたりする場合には、あまり役に立たないかもしれませんが、「特に下車駅は定めずにひとまず乗ってみた」というときには、この案内が活躍するかもしれません。

 宝珠山駅は、「九州で唯一、県境の上にホームが伸びる駅」であるとのこと[⑦]。ホーム上を右へ左へ移動するだけで、福岡県と大分県を簡単に行き来できます。その次の大鶴駅は、駅全体が大分県日田市内にあり、今度こそ胸を張って「福岡から大分へやってきた」と言えます[⑧]。ただし、大鶴とそのひとつ先の今山は、共に福岡近郊区間内にあるため、なおも「福岡成分」が僅かに残ってしまうようです。

 久大本線との接続駅、夜明に到着しました[⑨]。もっとも、2つの路線が接続する駅と言っても、その実態は、三隈川を眼前に控えている山間の小さな駅、というところです。1日平均の乗車人員は50人にも満たず、久大本線の特急列車も、基本的には全て通過してしまいます。

 深い緑色を湛えた川水が印象的な三隈川ですが[⑩]、そこから分岐した花月川は、至って普通の色をしていました[⑫]。日田市は水源が豊富な街で、市内を三隈川、大山川、玖珠川、花月川、中野川という5つの川が通っています。

 狭隘な山間を抜け、久々に面積のある平地にやってきました。日田市中心部の街並みが見えてきて[⑬]、列車は終点の日田に到着します[⑭]


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26
27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49
50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ