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 小串に14分停車したのち、列車は下関へ向けて再び動き出しました。この旅の中で、さすらいの白鷺たちにもう何羽も会いましたが、今そこで目にした白鷺が、これまでに会ってきた個体のうちのどれかなのではないか、とつい期待してしまいます[①]

 2008年3月に開業したばかりの比較的新しい駅、梶栗郷台地に到着しました[②]。ある程度の利用客が見込めるからこそ設置した新駅ということで、一定量の乗り降りがあります。駅間距離が長いところの隙間を埋めるように設置した駅ではないため、ひとつ前の綾羅木までは1.1km、次の安岡までは1.4kmと、隣の駅までの駅間距離が非常に短くなっています。

 幡生駅の手前で山陽本線と合流します[③]。上り線と下り線に挟まれる形で幡生駅構内まで至ります。幡生は京都から山陰本線経由で673.8km、神戸から山陽本線経由で524.6kmのところにある駅。日本を代表する2つの長大路線が集う駅、それが幡生です。

 12:10、幡生に到着しました[④]。5年前に幡生駅を訪れたときは、「京都からずっと山陰本線のみを経由して終着の幡生を目指す」という旅であったので、幡生に到着したときは、何とも言えぬ達成感がありましたが、今回は、そのような感慨深さはありません。床面が高い電車への乗り降りを楽にするために、ホーム嵩上げ工事が行われましたが、5年前は、このようなものはまだありませんでした[⑤]

 幡生を発車した後、山陰本線の上りの普通列車とすれ違い[⑥]。すれ違いと言う割には、上り線との間にやけに距離がありますが、これは、JR貨物の幡生操車場を抱え込んでいるためです。操車場には、交直流機のEH500形と直流機のEF210形の姿がありましたが、交流電化となる九州島内への乗り入れに備えて、直流専用機は、ここで交直流対応機に付け替えられます[⑦]

 さて、まもなく終点の下関です[⑧]。幅と長さがあり、屋根も広範囲に用意されたそのホームが、かつて在来線の長距離列車が数多く発着していたことを物語っています。そんな長いホームにあっては、たった2両のキハ47形は、つい場違いなものに見えてしまいます[⑨]























 九州には2度行っていますが、いずれのときも新幹線で出入りしました。また、5年前の山陰本線全線乗車の旅では、「日本最長路線の終着駅、幡生で折り返す方が”仕上がり”が良い」という理由で、幡生までの乗車券を購入し、幡生で東京方面へと折り返しました。そのため、下関駅へ訪れられそうな機会はありましたが、実際に下関駅を訪れるのは、今回が初めてです。

 下関駅のホームには、小倉駅の新幹線発車時刻表がありました[①]。自駅以外の発車時刻表があるということにも驚きですが、新下関駅のもののみならず、小倉駅のものもあるというのには驚きましたね。しかし、よく考えてみれば、事実上の新幹線・下関駅が新下関であるとしても、小倉も近いですし、何より、小倉は、全ての新幹線列車が停車します。新幹線を利用しようと思ったら、小倉から乗る方が便利ですもんね。

 さすがは海が近い下関駅。駅のあるあたりからでも漁港が見えます[④]。これは西口側の眺めですが、当然、東口側も港が近いです。東口側の港は、漁業のための船が発着する港ではなく、韓国・中国行きの国際フェリーが発着する、旅客船用の港となっています。写真では分かりにくいですが、下関駅付近は、港が近いために土地が狭く、道路や建物は、その僅かな土地の中に集中しています[⑤] [⑥]

 2006年1月、下関駅の駅舎は、放火によって失われました。それから8年以上が経過した2014年3月、下関駅の新駅舎(駅ビル)が完成し、ついに新生下関駅の新たな歴史が歩み始めました[⑦]。放火で失われた旧駅舎は、大きな三角屋根が特徴的な駅舎でしたが、新しい駅舎の入り口には、かつての三角屋根を思わせる大きな三角形があります。

 下関市の人口は、漸減中ではあるものの、26万人以上の数値があります。これは、県庁所在地にして山口県第2位の人口を擁する山口市よりも7万人以上多く、文字通り、山口県一の都市として君臨しています。駅周辺に立つビル群[⑧]、異彩を放つ建築様式による結婚式場[⑨]、高層マンション・ホテル・ショッピングモールなど[⑩]、都市としての街並みが広がります。

 そんな下関市の街並みの中でもひときわ目立っているのが、高さ153mを誇る展望塔・海峡ゆめタワーです[⑪]。まさにガラスの塊というほどにガラスを多用した塔本体、その頂上に鎮座するガラス張りの球体展望室など、高さのみならず、流麗な造りでも人々の視線を集めます。なお、駅のペデストリアンデッキは、鳩たちの憩いの場となっているようなので、鳩と戯れたい方はどうぞ[⑫] [⑬]

 駅の東西を結ぶ自由通路は、駅ビルの開業に合わせて使用を開始しました[⑭]。しかし、この手が天井に届いてしまいそうなほどの天井の低さは、やや気になるものがありますね。少なからず圧迫感を覚えざるを得ません。





















 13:12発の小倉行きに乗車し、小倉へ向かいます[①]。門司駅構内で直流から交流に変わる、つまり、交直両方の電化方式の区間を走るため、山陽本線・鹿児島本線経由で九州と本州を結ぶ列車は、全て交直両用の415系で運転されます[②]。この鋼製の白い415系は、かつては地元・常磐線でも走っていた車両であり、少し懐かしく思うものがあります。

 回送列車として動いている真っ黄色の115系を追い抜き[④]、下関貨物駅と先ほど乗車した?キハ47形を横目に見ながら[⑤]、九州へ向かって加速していきます。列車は、海峡を渡る橋の手前にあるクロスポイントを通って・・・、なんと上り線に入ってしまいました[⑥]。この列車が本来入るべき下り線は、今、進行方向左側に見えてしまっています。

 しかし、心配することはありません。関門トンネルの前後の区間は、上り線、または下り線を単線として使用することができる「 双単線」となっています。関門トンネルでは、片方の線路を日中に点検するといった理由のために、もう片方の線路を単線として使用し、上下両方の列車を通すということがしばしばあります。恐らく、現在、下り線の点検作業が行われているのでしょう。

 そしていよいよ関門トンネルに突入[⑦]。関門海峡の下を通り、本州から九州へと移ります。ただ、3分とかからずにトンネルを脱出してしまうので、青函トンネルを通り抜けたときのような「いよいよやってきたぞ」という感覚は全くありません。感想としても、ちょっと長めのトンネルだったな、という程度のものです。当たり前と言えば当たり前、意外と言えば意外ですが、関門海峡と津軽海峡では、その幅が全く違います。

 門司駅の構内で、直流から交流へ変わります。設計の古い415系では、交直転換の死電区間を通過するときは、非常灯を除き、車内の照明がいったん消えます[⑧] [⑨]。消えた照明が再度点灯すれば、それは、交流区間への進入に成功した証ということになります。

 小倉駅の手前で、新関門トンネルを抜けてきた山陽新幹線の高架橋が現れます[⑩]。列車は13:25、終点の小倉に到着しました[⑪]

 「関門トンネルは3分もかからずに抜けた」と言えば、たしかに、あっけない九州上陸だったかもしれません。しかし、普通は東海道新幹線・山陽新幹線、または東海道本線・山陽本線・鹿児島本線という、せいぜい2つか3つの路線だけで移動する東京〜小倉間を、私は、JR西日本のローカル線を中心としたいくつもの路線を経由し、途中で6泊もするほどの時間をかけて移動しました。

 経由した路線は、東北新幹線・上越新幹線・北陸新幹線・北陸・小浜・山陰・福知山・加古川・山陽・姫新・因美・山陰・(境)・木次・芸備・福塩・山陽・芸備・三江・山陰・山口・山陽・美祢・山陰・山陽・鹿児島となります。これほどの路線の数と時間をかけて小倉までやってきたわけですから、そのように考えれば、一種の感慨深さがないはずがありません。


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