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 アンテナ部分も含めると134mという高さに達するドコモ大分ビルを見つつ、大分駅を後にします[①]。大分駅が高架化されたことで、駅周辺の土地利用のあり方は、大きく変わるはずです。写真右下に広い空き地が写っていますが、いずれは、ここにも何かが建設されるのでしょう。

 大分川を渡ります[②]。写真には写っていませんが、久大本線の単線の線路もここを渡っています。単線の日豊本線、単線の車両センターへの回送線、単線の久大本線と、都合3本の橋梁が架かっています。大分川を渡り終えると、久大本線はすぐに南へ向かって分かれていきます。

 鶴崎〜大在間で、今度は大野川を渡ります[③]。線路が通過している部分の川幅は約265m、川岸も跨ぐ橋梁の長さは約400mと、なかなか立派な川です。大分から先は全区間が単線であり、振り子機構を持たない787系は、単線の路線をゆっくりと進んでいきます[④]。日豊本線の小倉〜佐伯間は振り子に対応していますが、振り子を使いながら全力で飛ばさない分、乗り心地は、883系や885系より良いと言えるかもしれません。

 8:35、列車は幸崎に到着しました[⑤]。大分市内最後の駅であり、大分方面から来た普通列車の多くは、ここで折り返していきます。また、このにちりん3号のように、朝と夕方には、特急列車の停車もあります[⑥]

 列車交換を行うために5分間の停車時間が設けられており、息抜きも兼ねて、ちょっとホームまで出てみました。こうして見てみると、787系は、BMWの車に似ているように思われます[⑦]。数分後、中津行きの815系の普通列車がやってきました[⑧]

 小倉発宮崎空港行きという列車ですが[⑨]、まさか北九州市や大分市の人が宮崎空港へ行って航空機に乗るはずはありません。博多・小倉〜宮崎空港間を通して走る特急列車は、1日に2往復しかなく、基本的には大分でソニック号とにちりん号を乗り継ぐことになります。こうした区間を通して乗る人は、それほど多くはないでしょうし、大分での分割も時間の問題ではないかと思います。

 青色の壁があるデッキは、どことなく未来的な印象を与えます[⑪]。宇宙的と言っても良いかもしれません。改装工事を受けた編成は木目調の壁となっているようですが、近頃は内装に木目調の部品を使う車両が溢れていることを考えると、この「青いデッキ」の方が個性を感じられます。

 5分間の停車を終え、扉が閉まります[⑫]。終点の宮崎空港までは、まだ3時間以上あります。























 普通の座席でやろうものなら憚られることですが・・・、「自分1人しかいない個室」ということで、ソファーの上に寝っ転がってみました[①]。L字型のソファーなので、体を伸ばして寝るというわけにはいきませんが、体を曲げれば、全身がソファーの上に載ります[②]。また、体を伸ばして寝たければ、毛布を枕にして床に寝るということも、別にできないわけではありません。何せ「個室」ですからね。

 かつては、博多〜西鹿児島間に、787系を使用した夜行特急・ドリームつばめ号が運転されていましたが、その列車でグリーン個室を利用すれば、「疑似個室寝台」のようなこともでき、さぞかし快適な移動ができたのでしょう。試してみたかったものです。

 8:55、臼杵に到着[③]。佐伯発着のソニック号が1日に2往復のみ運転されており、臼杵駅にも停車しています。臼杵の次の津久見〜佐伯間では、津久見湾や佐伯湾の景色が垣間見えます[④]。海岸線ぎりぎりというところは走りませんが、突き出た陸地が織り成す入り江の景色が楽しめます。

 佐伯を出ると、列車は、日豊本線の中で最も閑散とした区間に入ります。佐伯〜延岡間は、大分県と宮崎県の県境を越える区間であり、人口希薄地帯です。同区間を走る列車は、途中駅には一切停車しない特急列車が大半で、普通列車は、なんと1日に3往復しかありません。佐伯の次の上岡までは、一応住宅地などが続きますが、上岡を出ると、直川以外の駅は、民家もまばらという駅ばかりになります。

 海沿いから内陸へと進路を変え、列車は山深いところを走るようになります[⑤]。トンネル通過が頻発するようになり、山間の険しいところを走っていることがうかがえます[⑥]。佐伯〜延岡間は、ローカル線並みの最高速度85km/hとなり、特急列車でさえ、その走りはのんびりとしたものです。途中駅は全て通過でありながら、にちりん3号は、同区間を1時間1分もかけて走り、表定速度は57km/h程度となっています。

 重岡駅を通過します[⑦]。山と山に挟まれた僅かな土地にある小さな駅ですが、ドライブ中(峠攻め?)と思われるクラッシックカーやスポーツカーが集っていました。続いて秘境駅として名高い宗太郎駅を通過[⑧]。上岡−直見、重岡−宗太郎と、佐伯〜延岡間は、2駅の駅名を続けて読むと人名のようになる駅があることでも知られています。

 山間を突き進む単線の橋梁[⑨]。新幹線であれば、山間部を走るということになれば、もうひたすらにトンネルで突き進んでしまうのでしょうが、古くに開通した在来線・日豊本線では、右へ左へ彷徨いながら、まさに「縫うように」線路が敷設されています。

 日向長井を通過します[⑩]。この辺りまで来ると、辺りが少し開けてきます。もっとも、民家はまだまだ少なく、人口希薄地帯であることには変わりありません。ただし、市棚〜延岡間には、区間運転の列車が1往復運転されているため、本数は、佐伯〜市棚間よりも1往復だけ多くなっています。10:27に宮崎県内最初の停車駅・延岡に到着し、山越えの区間が終了します[⑪]

 日向灘が見えてきました[⑫]。南延岡〜日向新富間では、日向灘の近くを走る区間も多いため、海景色に期待ができます。適度に発展した街並みを見ながら高架区間に入っていくと[⑬]、ガラス張りの壁を擁した高架駅・日向市に到着します[⑭]



















 日向灘の近海には、ひとつの小島すらもありません[①]。海面に露出している岩がありますが、その向こう側には、もう何も見えません。邪魔するものは何もなく、とても美しい水平線が広がっています。地球の裏側までずっとこのままなのではないか、と思わせるまでに広大で駘蕩(たいとう)とした海原は、思わず見とれてしまう名車窓。日豊本線の線路が「陸の果て」にあることを感じます。

 美々津を通過すると、鉄道の高架橋のようなものが現れます[②]。右へも左へも行かず、上へも下へも行かないこの高架橋は、日豊本線の線路とほぼ平行し続け、東都農駅を通過するときにも、ホームの向こう側で相変わらず高架橋が伸び続けています[③]

 この高架橋の正体は、かつてのリニアモーターカー・宮崎実験線です。リニアの実験線というと、現在の山梨にあるものがよく知られていますが、それが完成するまでは、宮崎のものを使用して各種の試験を行っていました。1977年の完成から1996年まで、約20年にわたって使用され、使用が終了した後も、実験線は解体されずに残存。現在は民間企業により[④]、実験線の一部で太陽光発電などが行われています[⑤]

 どこまでも広がる大海の風景[⑥]。大きなものには大きなものをと、無限に広がる青空が、この海原の雄大さを引き立ててくれます。どこからともなく押し寄せてくる小波は、いったいどこからやってきたものでしょうか[⑦]。あるところで吹いている風によって起こされた波は、海面を伝わり続け、非常に遠くまで届きます。その発生源を辿れば、とんでもないところにまで行き着くかもしれません。

 宮崎のひとつ前の駅、宮崎神宮を通過します[⑧]。駅名の通り、宮崎神宮に近い駅であり、ホームの柱は、その鳥居を模したかのように赤く塗装されています。それだけでなく、駅の入り口にも、鳥居風の「門」が設置されているようです。

 宮崎神宮駅付近まで来ると、列車は既に宮崎市の市街地に入っており、マンションなどが聳えている市中心部へと進入しつつ[⑨]、単線の高架橋を進んでいきます。11:34、列車は小倉から約5時間をかけて、宮崎に到着しました[⑩]


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