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 待合所で乗船手続きを行い、しばし待機。出航1時間前の16:00ごろに乗船の許可が下りたため、私も早速船内へ向かうことにしました。港に接岸しているフェリーを改めて見てみると、本当に大きいです[①]。ジャンボジェットが空を飛ぶのも不思議に思われますが、こんな「でかすぎる」ものが水の上に浮かんで航海できるというのも不思議に思われます。巨大な壁のように佇む姿は、まさに「聳える」が如し[②]

 タラップを使って乗り込み、更にエスカレーターを使ってエントランスホールへ向かいます。そうしたら、船内における総合窓口とも言えるカウンターで所定の手続きを行って、いざ今日の宿へ[③]。この長々とした通路を見てみても、ここが洋上を駆けるフェリーの内部とは思えません。地上にあるホテルかのようです。私が立ち止まったところは、「ファーストシングル 334番室」[④]。シリンダー錠で扉を開錠して、室内へ入ります[⑤]

 さあ、こちらが今日の宿です。いかがでしょうか[⑥]。フェリーさんふらわあにも様々な客室がありますが、今回選択したのは、1人用個室のファーストシングルです。「雑魚寝(相部屋)にするつもりはないが、スイートの類にするつもりもない」という姿勢でいた結果、このファーストシングルが選択されました。鉄道車両で言うと、B寝台個室に相当するところであろうと思いますが、いわゆる「ソロ」や「シングル」よりは遥かに広いです[⑦]

 寝台としては、ごくごく普通のシングルベッドが設置されています[⑧]。地上のホテルだと、シングルルームなのにセミダブルサイズ・・・といったことを売りにしているホテルが多いですが、さすがにそこまでの好待遇はしてくれません。

 液晶テレビの設置もあります[⑨]。基本的には衛星放送と船内放送のみが視聴可能ですが、寄港中は地上波の放送も映ります。ただし、航海中であっても、その場所によっては、地上波の放送が映ることもありました(ただ、やはりなかなか継続しては映らない)。

 救命胴衣入りの箪笥も用意されています[⑩]。ファーストシングルには、冷蔵庫や風呂・便所などはついていませんが、総じて、一般的なホテルのシングルルームに近いように思われます。コンセント、茶器、ポット、衣類の消臭スプレーなどもありますしね。

 机と椅子があり、その近くにやや縦長の窓がついています[⑪]。その窓越しに見える景色は・・・、ああ、なんと素晴らしいものか[⑫]。快適な個室にいながらにして、船旅を象徴する大海原を独り占めすることができます。個室を選択すれば、その部屋の主のためだけに用意された窓が、その部屋の主だけが楽しめる絶景を絶え間なく提供します。

 それぞれの客が自分の席へ行って散り散りになっているのか、エントランスホールには、乗務員以外の一般客はあまりいませんでした[⑬]。フェリーに乗ったならば、とりあえずあそこに行かなきゃならんだろう・・・、ということで、螺旋状の階段を上がり、上の階を目指します[⑭]。赤い絨毯が敷かれた床、階段を彩るひまわりの飾り、記念撮影用の制服、志布志周辺の市町村の広告など、船内は娯楽性が強いです。























 階段を上って屋外デッキに出ました[①]。部屋についている窓は、正直なところ大きいとは言えず、見晴らしという点ではイマイチですが、屋外デッキに出てくれば、もう視界を遮るものはありません。柵のそばまで来ればこの通り。無限に広がる大空からさざなみが揺らぐ大海原までを一度に視界に入れて、まるで海上のど真ん中に浮かんでいるかのような気分です[②]

 屋外デッキから志布志の街並みが見えます[④]。別にこの街に長居したわけではないので、志布志を離れるのはなんだか悲しい・・・ということはありませんが、志布志を離れるということは、即ち、九州を離れるということです。更に言い換えれば、旅がいよいよ終焉に向かいつつあるということ。終わりなき旅のごとく長いものだと思っていたこの旅も、気が付けばもう8月23日。出発から10日が経過しています。

 ビット(係留柱)にかけられたホーサー(ロープ)[⑤]。大型のフェリーを係留するものですから、ホーサーの太さもかなりのものです。日本船主協会いわく、「大型船用には直径10cm以上のものもある」とのことですが、ビットにかかっているホーサーは、10cmどころでは済まないように見えます。

 先ほどから、ワイヤードラムが自動でワイヤーを巻き取り続けています[⑥]。いったい何をしているのだろうかと思ったら、車の搬出入用の渡り板を収納している最中でした[⑦]。ということは、もう自家用車やトラックの搬入は終了したということですね。それに加えて、フェリーの心臓部たるエンジンがかかって、煙突から黒煙が吹き上がり始めました[⑧]。さあ、出航はもうまもなくです。

 17:00、船舶独特の重低音が響く汽笛を合図に、大阪南港行きのさんふらわあ きりしまは志布志港を出発しました[⑨]。実家に帰省中だった親戚を見送りに来たのか、港から手を振り続ける人たちがいました[⑩]。フェリーは哀愁を誘う別れの舞台ともなりますが、日によっては、さんふらわあでは紙テープ投げが行われるようで、「離郷」や「連絡船最終日」の雰囲気を楽しめそうです。

 今日も明日も疑いようがない晴天ですが、台風が接近していることが問題なようで、8月23日志布志港発・8月24日大阪南港着の航海では、出航後の屋外デッキは閉鎖とされました。フェリーの醍醐味のひとつと言えば、屋外デッキで浴びる潮風と広がる絶景だと思うんですが・・・。天気が良いですから、是非日の入りと日の出を屋外デッキから眺めたいと思っていたのに・・・。

 展望デッキから締め出されたので、自室へ戻り、案内のバインダーを見ていると、「運航ルート上の見所」なるページがありました[⑪]。志布志湾に浮かぶ枇榔島の付近は、17:20頃に通過するとのこと。そんなに長く待たなくても見られるならば、ちょっとその姿を見ておこうか・・・ということで、しばらく窓に張り付いていると、枇榔島が見えてきました[⑫]。学術的には価値がある島だそうですが、外から眺める分には「島だなあ」と。

 まだ17時台ですが、ここでレストランに向かいました。本当の夕食時にかかると混雑するかもしれないと思ったこと、まだ外の景色が見えるうちに食事をしたいと思ったことがその理由です。支払いは食券方式で、大人は1人1540円です[⑭]
















 交通機関の食堂=鉄道の食堂車しか見てこなかった私は、この広々とした空間を持つレストランには、ただただ圧倒されるばかり[①]。鉄道の車両と船舶を比較すること自体がおかしいですが、今思うと、食堂車というのは、相当に限られた空間に作られていたものだったんですね。

 夕食時のレストランは17:30に開場し、20:00まで営業します。フェリーさんふらわあは、曜日によって運航時刻が変わるため、船内のレストランの営業時間は、夕食・朝食共に、運航時刻に合わせて変動します。私は17:30の開場前から並び、窓側の座席を確保することができましたが、皆思うことは同じのようで、まだ来場している人は少ないながらも、ほとんどの人は窓の近くの席に座っていました[②]

 フェリーさんふらわあのレストランはバイキング方式です。好きなものを好きなだけよそいます。その結果、今日の私の夕食は、このような献立と相成りました[③]。ソフトドリンクのドリンクバーは料金に含まれていますが、生ビールは別料金で500円です。というわけで、全てを合計した今日の夕食代は、1540+500=2040円です。まあ、正直、1540円というのはいかがなものでしょうか。別に旅行中くらい、なんとでも散財はしますが・・・。

 窓側の席で食事をすると、このような感じになります[④]。レストランは船体の端にあり(あるいは張り出している)、窓の外は一面の大海である、という状況であれば最高ですが、デッキや柵を挟んでの「オーシャンビュー」であるため、海を眺めながらの食事と言っても、期待しすぎるとややがっかりしてしまうかもしれません。もっとも、夕暮れ時になれば、このような景色を目にしながらの食事が楽しめます[⑤]

 迫りくる夕闇、そして山の影に消えようとしている太陽[⑥]。テレ側にしたレンズ越しに観察してみると(非推奨行為!)、1秒ごとにじわりじわりと位置を下げているのが分かります。フェリーさんふらわあを守る太陽とは、まもなく一時の別れを迎えます。そうなれば、今度は夜空でひときわ美しい光を放つが新たな守り神。さんふらわあ さんふらわあ 満月に守られて さんふらわあ さんふらわあ 満月に守られて行こう―――。

 部屋にあるテレビでは、船内の独自放送を視聴することもできます。現在位置の案内も行っており、19:00過ぎに見てみると、日南海岸沖を航海中とのことでした[⑦]。この地図で見てみると、フェリーさんふらわあでの船旅は、まだまだ始まったばかりというところでしょうか。

 なお、夕食を食べ終えた後のことですが、持ち歩いているパソコンでのインターネットはできず(大阪〜志布志航路は有料で、エントランスホールなどでは使えるが、客室内は電波が来ない。大阪〜別府・神戸〜大分航路は客室内での利用が可能で、しかも無料)、テレビは衛星放送しか映らない、展望デッキも立ち入り不可、ゲームセンターで遊ぶ年頃でもないし、おみやげは既に長崎で購入済み(=売店に用事がない)。

 どうやって時間を潰すべきだろうかと思いながらベッドに横たわっていたところ、いつしか眠ってしまっていたようで、気が付いたら23:00を過ぎていました。その後、散歩をするつもりで特に意味もなく船内をうろついていたら、中途半端な酒酔いと眠気を持つ体にはフェリーの揺れがまずかったのか、吐き気を催して嘔吐専用便器のお世話になる始末。さっさと床に就こうということで、歯を磨いた後、日付が変わる前に就寝しました。


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