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 先ほどの新見行きの折り返しである東城行きに乗車します[①]。芸備線の備後落合〜東城間は1日に3往復しかありませんが、それは、このような東城折り返しの列車の設定があるためです。東城〜新見間は、備後落合〜東城間と比較すれば、まだ需要が多い区間です。

 今回もまた別途購入した普通乗車券を使用します[②]。最寄り駅→長崎までの乗車券に収まらないような移動をするごとに律儀に切符を買い、かつそれらを全て出発前に用意しておき、更に特急券もあるため、今回は、膨大な枚数の切符を持ち歩く羽目になりました。これまでの旅では、切符は全てひとつの切符入れにまとめていましたが、この旅では、切符入れを日数の分だけ調達し、日付ごとに整理することにしました。

 布原を発ちます[③]。この写真を見てみても、布原という駅がいかに小ぢんまりとしたものであるか、よくお分かりいただけるかと思います。次に停車する駅、伯備線と別れる備中神代で貨物列車と遭遇しましたが、コンテナこそ満載であったものの、貨車は僅かに2両しかありませんでした[④]。お盆期間中で工場などの操業が停止していたためでしょうか?

 日本は狭い、と言う人がよくいます。しかし、私は必ずしもそうは思いません。地域ごとにそれぞれ違う、様々で多様な街並み、人の姿、気候、風景、生活、言葉、雰囲気・・・。「初めて来たところだけど、この場所はこんな感じなのか」というのを分かるたびに、私はまたひとつ、この日本の知らなかった部分を垣間見たような気分になります。

 岡山県、芸備線・坂根〜市岡間はこんな風景なのか・・・[⑤]。なんだよ、あれだけ旅をしてきたのに、未だに「初めて出会う景色」があるなんて。自分はまだ日本の全てを知り尽くしてはいない。この国にはまだまだ知らない線路があるんだ、日本は底なしに広いじゃないか。

 16:39、矢神に到着しました[⑥]。たった1人の降車客だけを降ろして、列車は東城へ向かって走り去る・・・[⑦]




















 矢神駅にやってきました[①]。しかし、特別な目的を持ってやってきたわけではなく、ただ単に時間潰しと新見行きの列車の出迎えをしに来ただけです。別に矢神以外の駅でも良かった(ひとつ前の市岡やひとつ先の野馳など)んですが、矢神だと、次の新見行きまでの待ち時間が、長すぎず短すぎずでちょうど良い感じだったものですから・・・。

 布原と同様に、ホームは互いにずらして配置されています[②]。やはり列車交換の際に通票などの受け渡しをしていたからでしょうか。もちろん、今では通票の受け渡しなどしていませんが、芸備線の備後落合〜備中神代間(岡山支社管轄の範囲)で1日に1回しか起こらない列車交換は、ここで矢神で行われています。実は明日、その1日に1回しか見られない列車交換の目撃者となりますが、その様子は、明日ご覧に入れましょう。

 矢神駅が無人化されたのは、1983年10月末のことでした。駅舎とホームの間に残る「フネ」が、ここに駅員が配置され、フネに入って改札を行っていた時代があったことを証言しています[③]。誰もおらず、静けさが漂う駅舎の中に、太陽の光を受けたフネが、印象的な影を残していました[④]

 駅舎は旧家の入り口を思わせる木造駅舎[⑤]で、筆を執って書いたかのような力強い書体による「矢 神 駅」と書かれた木板が、木造駅舎の味わいを引き立てます。有人駅から無人駅になった後、駅員が詰めていた事務所の部分が解体され、待合室の部分のみ、即ち今の矢神駅駅舎が残されたとのことです。現在の駅舎は「正方形に近い箱型」という印象を受けますが、昔はもう少し横方向にも広がりがあったんですね。

 乗り場の案内をする琺瑯板に「東城広島方面」と書かれていました[⑧]。東城は1本の列車で行けますが、広島は1本の列車で行くことは不可能であり、少なくとも2回の乗り換え(備後落合・三次)が必要となります。「広島方面」と言われたところで、なんだかピンと来ないような気もしますが、よくよく考えてみれば、芸備線は、備中神代〜広島間を結ぶ路線です。芸備線とはどんな路線であったかということを今一度思い出させてくれます。

 上りホームにのみ、待合室が設置されています[⑨]。そこにネジで打ち込まれていた「建物資産標」のプレートを見てみると、「待合所 1号 昭和3年10月」とありました[⑪]。しかし、矢神駅が開業したのは昭和5年、つまり1930年のことです。駅が昭和3年で待合室が昭和5年なら頷けますが、駅が開業する前から存在する待合室とはいったい何者なのか!?



















 17:19発の新見行きがやってきました[①]。先ほど乗車した東城行きが折り返してきた列車です。そのため、運転士も同じ方。まあ、素っ気ない素振りを見せていれば良いわけなんですが、内心は、ちょっと気恥ずかしいような思いはあります(「またこいつか」って思われているんだろうな〜と)。

 17:27に坂根に到着します[②]。そういえば、木次線には、出雲坂根という駅がありましたね。向こうは「出雲」を冠するものの、「坂根」の部分は共通していますから、どちらの駅も、「坂根」の名の由来は同じものなのかもしれません。ちなみに、この駅では、どういうわけか縦長の駅名標がやけに低い位置に取り付けられていました[③]。取り付け先の柱は、まだ上の方に余裕があるように見えますがね。

 線路が左へ向かって大きく振れた・・・と思ったら[④]、今度はすぐに右に振れ、左手に現れる伯備線と合流します[⑤]。芸備線の列車は、伯備線の備中神代〜新見間においては、同区間の増発列車のような存在でもありますが、布原に停車するのは、芸備線からの列車だけです[⑥]。そういう意味では、「新見まで直通してくれて便利だ」というより、「新見まで直通しなければならない」とも言えます。

 17:42、列車は終点の新見に到着しました[⑦]。今日の移動はここまでで、これより宿へ向かいます。

 本日宿泊するのは、駅から歩いて1分程度、駅前からもその建物を確認できるエキチカなホテル「新見グランドホテルみよしや」です[⑨]。新館のシングルルームに泊まりましたが、空気清浄機が用意されていました[⑩]。部屋の空気の浄化に役立ったのはもちろんですが、それ以上に、消臭スプレーを吹きかけた服を乾かすのに大いに役立ってくれました(綺麗な空気を当てるわけですから、自然乾燥より仕上がりが良いはず)。


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