Page:48

※各画像はクリックすると拡大します。

















 日田駅までやってきました。日田彦山線の終着駅は夜明ですが、夜明には特急列車が停車しないため、そこで降りてしまうと、その後の移動に支障をきたします。そのため、特急列車が停車する日田まで乗ってきたというわけです。

 黒を基調とした駅舎は、2015年3月下旬に改装が完了したばかりのものです[③]。待合室の扉に木が使われているところを見てしまえば、誰が監修したものであるのかということについては、もう言うまでもありませんね。駅舎の建て替えではなく、色の塗り替えをはじめとする簡易的な改装なので、2014年11月に着工して翌年3月下旬に完成したという、短い工期でした。

 切り出した木材を使用して「HITA」と表したかったのでしょうが・・・、”I”が抜けてしまっています[④]。「壊れるにしては早いものだな」と思いましたが、裏側にあった説明書きを見てみると、Iは人間が自ら立つことで表記せよとのこと[⑤]。2人以上で旅行しに来たときはともかく、一人旅のときは、誰に撮られるということもなく”I”になっても空しいだけかと・・・。

 来訪当時、大分県では、おおいたデスティネーションキャンペーンが行われていました[⑥]。観光情報に疎い私でも、大分県が温泉王国であるということくらいは知っていますが、私の性分上、なかなか観光までには手が回りません。まあ、かねがね言っていることではありますが、JR線を全線乗車し、「乗るべきところ」がなくなったら、観光を中心に据えた旅行らしい旅行ができるようになるかもしれない、と思っています。

 日田市は、人口約6万7000人の街です。「意外」と言っては失礼かもしれませんが、人口はもっと少ないと思っていました。人口が予想以上に多かったということは、街並みも予想以上に立派であったということ。駅周辺は、私が想像していた日田市を超えていました[⑦] [⑧] [⑨]。駅前にショッピングセンターが鎮座していたり、マンションがポンポンと立っているとは思ってもいませんでした[⑩]

 日田からは、特急ゆふ2号に乗車します[⑫]。土曜日の午前中に走る博多行きですから、湯布院から帰るような人たちは、そう多くは乗っていないでしょう。実際、昨日のゆふ3号では、指定席の窓側席は取れませんでしたが、これから乗るゆふ2号では、2号車の窓側席が確保できました。ゆふ号は3両編成で運転されますが、2号車は、指定席と自由席が半室ずつ同居する車両となっています[⑬]

 JR九州の新しい観光列車、「或る列車」は、大分〜日田間と佐世保〜長崎間で運転されます。日田駅のホームには、或る列車から降りてきた乗客たちを歓迎するための横断幕がありました[⑭]。なお、この列車について一言申し上げておきますと、「下品」。






















 特急ゆふ3号がやってきました[①]。指定席、自由席共に日田からの乗車も一定数ありました。観光色が強く、全車指定席となっているゆふいんの森号に対し、普通のゆふ号は、自由席も連結し、久大本線沿線の各駅と博多・大分を結ぶという役割が課せられています。

 今回は2号車の指定席(半室)に乗車しましたが、この2号車は、もともとは普通車・グリーン車合造のキロハ186でした。現在はグリーン車部分が普通車に格下げされ、キハ186となっていますが、元グリーン車の半室が指定席、元普通車の半室が自由席に割り当てられています。

 普通車指定席となった元グリーン車の半室部分は、実は、グリーン車時代の座席がそのまま使用されています(表地のみ張り替え)[②]。足置きも撤去されることなく生き残り[③]、座席間隔も、普通車としては破格の1160mmです。足元は広々としており、荷物を置いてしまっても、まだこれだけの余裕があります[④]。つまり、グリーン料金なしでグリーン車の居住性を手に入れられるという、ちょっとお得な区画というわけです。

 半室ということで、総座席数は20となっており、同居する他の乗客の数も少ないです[⑤]。ゆふ号で指定席を利用されるときは、2号車を指名してみるのも良いかもしれませんね。・・・ただし、2+2配列ということで、座席はそれほど大きくはなく、座り心地も特別に良いわけではありません。普通の車両とは格別の快適さがある、というほどではないので、そこは承知しましょう(逆に考えると、よくこれで昔はグリーン料金とっていたものだな)。

 日田彦山線と接続する夜明を通過[⑥]。城野へ向かって分岐していく線路が見えています。接続する2つの路線というのは、分岐駅を出た後、しばらくの間は並行する、ということが往々にしてありますが、夜明での久大本線と日田彦山線の場合、ホームの端っこの方で既に両線間の隙間が広がりつつあるなど、分かれるのが非常に速いです。

 河童の形をした駅舎が特徴的な田主丸[⑦]。ホーム側、駅前側ともに河童形をしているため、列車の中からであっても、その特徴的な造形を見ることができます。なお、ゆふ2号は、うきは、筑後吉井、田主丸と3駅連続で停車しています。

 九州新幹線の高架橋を支える脚が見えると[⑧]、列車はほどなくして久留米に到着します[⑨]。「昼間、在来線の特急列車で久留米に到着した」。こんな平凡なことも、今となっては、ゆふ号・ゆふいんの森号でしか実現しません。九州新幹線の博多開業により、あれだけ走っていたリレーつばめ号は全て姿を消してしまい、僅かに残った有明号は、朝と夜にしか走っていません。

 久留米を発車すると、筑後川を渡って、福岡県から佐賀県へと入ります[⑩]。しばらくの間、九州新幹線と並行しますが、久留米10:48発のさくら548号がゆふ3号を追い抜いていきました[⑪]。新幹線であるにふさわしい圧倒的な速さで追い抜いて行った・・・と言いたいところですが、新鳥栖への停車を控えているので、そこまで飛ばして走ってはいませんでした。

 サッカーチーム・サガン鳥栖の本拠地、ベストアメニティスタジアムが見えると[⑫]、列車は鳥栖に到着します[⑬]。先ほどのスタジアムは、駅から徒歩3分という素晴らしいアクセス性を持っていますが、鳥栖という比較的大きな駅の至近にあのようなものを建設することができたのは、ひとえに、そこが鳥栖機関区と鳥栖操車場の跡地であったからです。
















 「なかなか発車しないな」と思っていると、隣の番線に、885系の特急かもめ号がやってきました[①]。そして、しばし停車した後、なんと先着していたゆふ3号を差し置いて先に博多方面へ向けて発車してしまいました[②]。そりゃあ885系と比較すれば、キハ185系など鈍足そのものでしょうが、だからと言って、ゆふ号がかもめ号に抜かれるダイヤになんて存在していたでしょうか?

 そう思って調べたところ、鳥栖10:53着10:54発のゆふ3号に対して、鳥栖10:51着10:52発のかもめ12号という列車がありました。なるほど、本来ならばかもめ12号が先着・先発するはずであるが、遅延により後着となってしまった。しかし、動力性能の関係上、キハ185系が885系から逃げ切ることはできないので、後着したかもめ12号を先に行かせた、というわけですか。

 これ、何が最大の問題かっていえば、特急同士の追い越しをさせたことではなく、今日も息をするようにかもめ号が遅延していることなんじゃ・・・。

 遅れているかもめ号を先に行かせたことを知らせる放送などがないままに、列車は鳥栖を数分遅れて発車しました。原田を通過した後に分かれていく線路は、筑豊本線の線路です[③]。かつては筑豊本線・原田を経由するあかつき号があったことは有名ですね。

 博多のひとつ前・竹下は、新幹線の高架橋がすぐそばに控えている駅です[④]。ここを通過すると、まもなく終点の博多に到着します。最後は新幹線の高架橋と並行しながら進み[⑤]、築堤を上って新幹線の線路と同じ高さになり、博多駅構内へと滑り込んでいきました[⑥]


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26
27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49
50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ