宮崎カーフェリーの船舶が航行している姿が見えました[①]。宮崎港を19:10に出航し、神戸港に7:30に入港します。関西〜九州間にはフェリーが多数運航されており、大阪〜志布志航路のほかにも、大阪〜別府、神戸〜大分、神戸〜宮崎、大阪・神戸〜北九州、大阪〜北九州といった航路があります。いずれも夜行便なので、使い方次第では、旅をする上での強い味方となるでしょう。
コスモタワーこと大阪府咲洲庁舎などが見えるところまでやってきました[②]。建物が多数林立する光景は、ここから陸地が広がっていることを思わせます。窓越しに見える景色は流れなくなり、テレビに表示される航海速度は、もはや停止中といっても差し支えない0.1ノットになりました[③]。志布志港を17:00ちょうどに発ってから約10時間30分、さんふらわあ きりしまは、ついに大阪南港に入港しました。
タラップの接続や自動車の車止めの解除といった諸々の作業が終わった後、車を伴わない利用客の下船が開始されました。エントランスホールを抜け、6階から1階へと降りる長いエスカレーターに乗って出口へ。その先に見えたのは、関西・大阪の大地(大げさか)です[④]。
いよいよ下船のときです。タラップを降り切れば、それがフェリーさんふらわあでの船旅の終わりです[⑤]。わざとらしく飛び降りてみようかとも思いましたが、あえて感慨深くなさそうにして、平静を装って降りました。時は8月24日7:45、11日間にも及ぶ壮大な旅は、実質上の終わりを迎えました。
志布志港と同様に、大阪南港もまた気持ち良く晴れ渡っていました。爽やかな夏空の下で、長い船旅を終えたさんふらわあ きりしまの白い船体が、無事に安全運航を終えたことを誇らしく思うかのように、その体躯を伸びやかに浮かべていました[⑥]。17:55に志布志行きとして出航するまで、しばしの休息。今日の夕方には、また新たな人と夢を乗せて、志布志を目指す船旅が始まります。
人の下船が行われている最中ですが、その一方で、フェリーで航送されていたトラックも順次下船してきています[⑦]。鹿児島から大阪へやってきたトラックたちは、この先どこへ向かうのか。旅行客、出張客、団体客、トラックの運転手、自家用車、大型トラック。様々な人と車がひとつの船舶に一堂に会し、同じ場所で一夜を過ごしました。今、それぞれは散り散りになって、目指すべき場所を目指していきます。
さて、私も目指すべき場所を目指さねばなりません。かもめふ頭7:56発の市営バスに乗車し、地下鉄玉出駅へ。玉出駅から地下鉄、新大阪から東海道新幹線で東京へという経路を辿って、帰路へと就きました。夜行列車で上野や東京に着く場合と異なり、新幹線で大阪〜東京という長距離を移動したうえで自宅に帰るので、なんとなく、「キレ」の悪い旅の終わり方でしたが・・・。
こうして、8月13日〜8月24日にかけて行った、かつてない規模の旅が終結しました。「今後、これよりも長い期間で旅をすることはもうないだろう」というくらいの気持ちで旅程を考案していった結果、このような旅が出来上がりましたが、いかがでしたでしょうか?
計61ページという規模になった今回の旅日記でしたが、1〜61までの全てをつぶさにご覧いただいた方々、お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。あまりにも長すぎていくつか読み飛ばしてしまったという方々、それは致し方ないことです。実際、旅日記を作っている張本人も、1〜61ページの全てをじっくり読むということはできていませんので(笑)
旅をしている最中にはそのようなことは考えませんでしたが、いざ自宅へ帰着し、撮影してきた写真や車内録音してきた放送をパソコンに取り込んでいると、「これほどにも長い旅の旅行記をまともに書き上げてことなんてできるのだろうか?」と思わずにはいられませんでした。
8月13日開始、8月24日終了。計12日間にも及ぶ旅をすれば、当然、書くべき内容も膨大なものとなります。それを普段の旅日記の様式に従って旅日記を作っていたら、いったいいつ書き終えられるのか? どれだけの時間を割かなければならないのか? どれだけの負担を体に強いねばならないのか? そう思うだけでもしんどいものでしたし、実際、この旅日記を作っている最中も、幾度となく「これは辛すぎる」と思いました。
ただ、私はこう思いました。「今回の旅が”我が旅の頂点”、”乗り鉄活動の集大成”であり、”かつてない規模の旅”であるならば、そのときの様子をまとめた旅日記もまた、”頂点”、”集大成”にして”かつてない規模”でなければならないのではないか」と。その結果、文章や写真の量をいたずらに減らすことなく、普段通りの品質を維持した旅日記の制作に努め、最終的に61ページにも及ぶ旅日記が完成しました。
途中で投げやりになることなく、61あるページの全てを真剣に書き上げたことに対しては、私としても、かなりの誇りを持っているつもりです。
なお、念のために申し上げておきますが、いくら「集大成の旅日記」と言っても、これが最後の旅日記になるということはないので、その点はご安心ください。今後も、「旅」と称するに値することをしてくれば、旅日記は制作する心づもりでいます。
さて、今回の旅を振り返ってみると、正直なところ、「物凄く壮大ではあったけど、物凄く楽しかったかといえばそうでもない」というのが感想です。もちろん、つまらなかったわけではありませんが、2014年8月〜9月にかけての北海道旅行の完成度があまりにも高すぎたため、規模ではそれを上回っても、楽しさや思い出深さでは、それに及ぶことはできませんでした。
2014年夏の北海道旅行では、7日間有効の北海道フリーパスの有効期限を目いっぱいに使い、北海道への出入りには大好きな夜行列車を利用。未乗車の路線の乗り潰しに励みつつも、クロフォード公園や三笠鉄道記念館、小樽市総合博物館を訪れるといった”鉄道的”観光も楽しむ。また、サロベツ湿原の見学、利尻島への上陸・同島のレンタカーでの周遊、登別温泉の足湯の利用など、本当の北海道観光もすることができました。
それだけでなく、特急ヌプリ号、フラノ紅葉エクスプレス号、富良野・美瑛ノロッコ号への乗車など、夏の北海道ならではの臨時列車への乗車にも成功。北秩父別駅、抜海駅、糠南駅、大狩部駅など、北海道らしさを感じられる秘境駅もいくつか訪問することができました。往復ともはまなす号になってしまう予定が、乗車3日前になって突然上りのカシオペア号の寝台券が取れた、という”サプライズ”もありました。
そういった意味では、あらゆる方面において抜かりがなく、2014年夏の北海道旅行は、まさに最高の完成度を誇る旅でした。それと比較すると、今回の西日本攻略大作戦は、どうしても「ただ長かっただけ」という印象が拭えません。九州や北陸方面へ行く夜行列車がないことなど、諸々の条件の違いを考慮する必要はありますが、やはり、総合的な完成度では及ばなかったことは事実です。
自ら「乗り鉄一辺倒になってみよう」としたことが悪いわけですが、列車に乗りまくったことはたしかでも、それだけで終わってしまったという感が否めませんでした。朝から晩までとにかく列車、列車、列車・・・。列車に乗ること以外で時間をたくさん使ったのは、8月20日の午前中に、軍艦島の上陸ツアーに参加したときくらいでしょう。
ただし、終わったときの「達成感」のようなものは、今回の旅の方が大きいように思われました。日数的な長さもそうですが、新規に乗車できた路線・区間の多さ、攻略の難易度が高い中国地方のローカル線にも立ち向かったことなども、最終的な達成感の高さに繋がっているのかと思います。
今回の旅によって、JR線の未乗車区間は、また一段と減りました。予定通りに事が進めば、JR線の全線乗車は、2016年の春には達成できる見込みです。私が見続けてきた壮大な夢は、もしかしたら、21歳になる前に達成できてしまうかもしれません。
今後は、JR線の全線乗車のために行う旅は、未乗車の路線の位置と量の関係上、いずれも今回の旅より小さな規模になるでしょう。長い期間のものでも、北海道新幹線の新青森〜新函館北斗間と東北地方の各種路線(仙石線、大船渡線、山田線など)を一度に乗ってくるとして、3泊か4泊する程度だろうか、と見込んでいます。
今回の旅では、最後に夜行フェリーに乗車するという、これまでにない行動をとりましたが、これには2つの理由があります。
ひとつは、盲腸線である日南線をそのまま折り返していきたくなかったからです。盲腸線の攻略にあたっては、どうしても「一度通ったところをまた引き返していくときの退屈さ」が敵となりますが、志布志〜大阪間にフェリーが就航していることを知った私は、日南線とこのフェリーを組み合わせれば、日南線を片道乗車に留めつつ自宅へ帰ることができるではないか、と考えました。
二つ目は、旅における新たな可能性を探求したいと思ったから。夜行列車を愛する人間である私にとっては、昨今の夜行列車の削減は由々しき問題です。「夜行フェリーは夜行列車の代替になるうるか」ということを検証するために、今回、志布志〜大阪間においてフェリーを利用しました。
なお、結局のところ、「夜行フェリーは夜行列車とはまるで別物である」という結論に至りました。列車ならではの小気味良い走行音や眠気を誘う揺れがなく、何より、深夜に窓の外を見ても何も見えないということは大問題でした。無人島や灯台のひとつもない深夜の海原では、本当に何も見えません。陸上を行く夜行列車であれば、例え周りに何もないとしても、そこにある樹木や山くらいは見えますが、海にはそれすらもないです。
それは、「今自分は乗り物で移動している」という感覚を奪うことでもありました。いくら時間がたくさん流れても、外に何も見られなければ、自分はどのくらい移動したのだろうか、ということが分かりません。鉄道ならば、停車したり通過したりする駅の駅名を見ることで、ここまでやってきたのか、ということが分かるものですが・・・。
また、ここまで行くとこじつけ臭いものがありますが、フェリーの場合、あまりにも広すぎる(行動範囲がありすぎる)ため、「夜行の乗り物で移動しているという気分があまり得られず、どこかのホテルにいるという感覚でした。夜行列車ならば、鉄道車両の限られた空間が「乗り物」感を演出するものですが、そのようなものはありませんでした。
・・・というわけで、「夜行列車の代替をするつもりで夜行フェリーに乗る」ことは無意味である、と分かりました。夜行列車の旅情と感覚は夜行列車でしか得られない、ということか。もっとも、「交通機関としての夜行フェリーの利便性」は理解できました。私は茨城県民ですから、北海道へ行くときに、いずれは大洗〜苫小牧間を結ぶフェリーを利用するということもあるかもしれません。
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