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盛岡にやってきました[①]。東北新幹線の次の駅はいわて沼宮内で、いわゆる秋田新幹線の次の駅は雫石です。ところで、こまち号は1997年に運行を開始し、東北新幹線は2002年に八戸まで延伸開業しましたが、その間は、「雫石←盛岡→新花巻」という駅名標だったのでしょうか?もしそうなら、在来線の駅と新幹線の駅に挟まれるという、非常に珍しい駅名標だったことになりそうですが。 下り方にこまち号がいて、上り方にはやぶさ号がいるという連結状態なので、盛岡では、まずこまち号が先に発車します[②]。連結器を開放して、こまち号が発車していきます[③] [④]。E5系と手を組むことにより、ここまでは320km/hで走行してきたこまち号も、この先は在来線区間のため、速度は130km/hに落ちます。更になる高速化を目指すためには、在来線区間における改善が必須です。 連結器カバーを閉じて、はやぶさ号も発車の準備を行います[⑤] [⑥]。こちらも、この先は整備新幹線区間となるため、速度が260km/hに制限されます。盛岡までは320km/hで走れても、その先の盛岡〜札幌間が260km/hではどうしようもない・・・と思っていたら、JRも、さすがにその点は問題だと思っていたようで、盛岡以北も320km/hで運転できるように改良する方針が立てられました。 ホームは全面的に屋根に覆われていますが、雪を纏ってやってきた列車が、足回りにつけた雪を、駅構内に落としていきます[⑦]。盛岡駅に限らず、冬季になるといろいろな駅で見られるこの現象は、冬を感じさせる出来事のひとつであると言えます。 盛岡駅の新幹線ホームでは、13番線と14番線は、下り列車のホームとされています。しかし、実際には、盛岡よりも先に行く列車(はやぶさ号、こまち号、はやて号)は、全ての列車が14番線を使用していて、13番線は、盛岡止まりの列車と、その折り返しの列車にしか使われていません[⑧]。13番線の発車標に出る、回送・回送・回送の文字。下り方面の列車が表示されることはありません。 本州と北海道を結ぶ交通手段は、新幹線と青函フェリーだけではありません。八戸からは苫小牧に、宮古からは室蘭に、それぞれフェリーが就航しています[⑨]。「旅客の移動」という観点だと、どちらも、正直なところ、かなり微妙な区間というように思われますが、物流のトラックにとっては、運転しないで移動できる区間が長くなるという点において、結構な意味があるようです。 今日の上りの新幹線は、あと2本です。20:50発のはやぶさ・こまち38号と、21:51発のはやぶさ・こまち96号です[⑩]。東京口だと、夜の時間帯になり、長距離を走る列車が店じまいになっても、仙台行きや那須塩原行きといった短距離の列車の運転が続きますが、こちらは、東京行きとそれに続く仙台行きの運転をもって終了します。 在来線各方面の発車標[⑫]。山田線は、19:31発の川内行きをもって既に運転を終了しています。左下にある「いわて銀河鉄道線 直通」という発車標の意味がよく分かりませんでしたが(IGR線そのものではないようで・・・)、恐らく、IGR線を経由して花輪線に乗り入れる列車を表示しているものかなと思います。その列車も、20:40発の荒屋新町行きで終了しています。 盛岡地区における、鉄路を守る人々の奮闘を紹介する掲示物[⑬]。2013年8月の豪雨では、田沢湖線に被害が出たようですが、もしこれが本当の”秋田新幹線”であれば、路盤流失や土砂崩れはなかったことでしょう。東北新幹線では、320km/hでの安全な運転を支えるための努力が日夜なされていますが、360km/hになったら、更に手間がかかるかもしれません[⑭]。 |
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当初は福島で移動を終えるはずだったのが、なんやかんやと言って、結局盛岡まで来てしまいました。ただ、今日はもう移動しませんよ。21:00も近いですしね。駅前のロータリーでは、圧雪されたアイスバーンが誕生していましたが・・・、うーん、これは素人は運転したくない環境です[①]。最近は、ドライブの旅もよくやるようになりましたが、いずれも冬期は避けています。 なんとなく、盛岡は、それほど多くの雪は降らないという印象がありましたが、このときは、まずまずの雪が積もっていました[②]。しかし、路上や歩道の除雪は行き届いていたので、意図的に圧雪地帯を歩こうとしない限りは、普通の運動靴でも支障はなさそうな感じでした。 駅の北東方向に流れる北上川[③] [④]。盛岡駅は、北東方向に北上川が流れ、南西方向に雫石側が流れるという地形の、その三角形の先端にあります。市内には、それらの川を越えるための橋が何本も架けられています。対岸までの距離は、北上川の方が短く、そのせいもあってか、市街地は、北上川を越えた先に重点的に形成されています。 穏やかに流れる北上川[⑤] [⑥]。今は冬なので、雪の下に隠れてしまっていますが、川沿いには遊歩道が整備されていて、土手をずっと散歩していくための環境も整えられています。川面に反射する街明かりは、都市の煌びやかさを引き立てるようなものがあり、大きな川がない都市ではまず見られない”下からの光”を生み出して、その華やかさを強めます。 駅前から伸びる道を進んでいくと当たる橋が、この開運橋です[⑦]。長さは短いのですが、市内にある主要な橋の中では、唯一、トラス構造が採用された橋であり、その点において少々目立っています。 |
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駅前のホテルルイズに宿泊します[①]。この旅日記を編集していたときの段階になってようやく気が付いたのですが、盛岡駅の方向を示す青い案内看板で使われている新幹線のピクトグラムは、今でも200系が使われているようですね。まあ、駅=JRの持ち物ではないので、「現実と合っていない」ことを理由に変更する必要もありませんしね。 シングルルーム室内[②] [③]。特に飾り気はなく、お洒落でもなく、そして小奇麗でもなく。まあ、悪く言ってしまえば、「だいぶ年季が入った代物のようで・・・」という感想でしたが、これは強ち間違いでもなかったようで、私が宿泊した後の2019年2月をもって、老朽化のために、ホテルルイズは閉館してしまいました。1982年に前身の「ホテルリッチ」として開業して以来、約37年後のことでした。 浴室内部[④]。こちらは、より一層、その歴史を感じさせるものとなっています。正直なところ、今どきのホテルで、未だに浴室の壁がタイルになっているところなど、そうそう見かけるものではありませんよ・・・。なお、ホテルルイズは、解体作業と整地が進められていて、その跡地には、2021年に新しいホテル(ダイワロイネットホテル)が誕生する予定となっています。 深夜3時、どうにも寝つきが悪くて目が覚めてしまいました。ふとカーテンを開けて外を見てみると・・・、さすがに深夜3時ともなれば、人も車も、ほとんどありません[⑤]。信号機だけは、時間の経過とともに自動的に変わりますが、それによって整理”される”側の交通は、非常に少ないです。時折通過する車は、いったいどこへ向かうのか。そんな想像をしながら、再び寝床へ・・・[⑥]。 |
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