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 その内装は、この車両がキハ40系であることをすっかり忘れさせてしまうような変貌ぶりですが、ひとつだけ、「(古めかしい)キハ40系」を強く思わせる要素が残っています。それが、天井に取り付けられた扇風機です[①]。扇風機の直下に目隠しのスリットをつけているくらいなので、JR西日本としても、”邪魔なもの”という認識はあるようですが、なぜか撤去していません。

 長門市を発車した後、「今日のおもてなし」として、乗車した全員に萩焼が贈呈されました[②]。旅の途中だったので、開封せずに持ち帰りましたが、その中身は、○○のはなし号のロゴが入った見事な萩焼でした。今回の○○のはなし号では、520円の指定席券で乗れる快速列車だというのに、萩焼、手旗、記念乗車証×2などと、総計すれば520円以上の価値となろう様々なものを入手できました。

 飯井駅が近づいてきました[③]。この駅は、入り江の近くにある駅で、石州瓦を使用した赤い屋根の家が集う長閑な環境の下、良き意味での”田舎感”や、日本海に山々の景色を楽しめます。私にとっては、約7年半前に途中下車し、「途中下車」の楽しさを教えてくれた、思い出の駅でもあります。今は2月ですが、雪は全くなく、かつて8月に訪れたあのときのことを思い出しました[④]

 萩に到着しました[⑤]。しかし、この列車(他の普通列車もですが)が次の東萩を終点としているように、萩市の本当の中心駅は、ここではなく東萩駅です。そのため、かつてここを通っていた特急いそかぜ号も、萩を通過して東萩に停車するという停車駅をとっていました。

 そして12:57、新下関から約3時間の道のりで、列車は終点の東萩に到着しました[⑥]。ここから萩市の観光に出てもらう・・・というのが、この列車の真の設定目的(狙い)でしょうけれども、残念ながら、私は何もせずに列車を乗り継いでいきます・・・[⑦]



















 東萩には、もうひとつの観光列車がやってくるようです。それは、トワイライトエクスプレス瑞風[①]。ホームには、それを歓迎するための横断幕が掲げられていました。なお、かつての24系トワイライトエクスプレス号も、山陰本線を走行した実績があり、東萩駅にやってきた実績も持っています。

 「洋風」の2号車の車内を、外から窓越しに観察[②]。こちらは、全ての座席が2人掛けの革張りソファーとなっているほか、同じく全ての座席が海側を向いています(「和風」の1号車は、むしろ向かい合わせのボックスシートが中心)。なお、この写真の正面に写っている9A・9Dのソファーのみ、他のものよりも少し幅が広く、2人掛けにしてはかなりゆったりとしています。

 ホームには、○○のはなし号の幟が立てられていて、下車する乗客を出迎えています[③]。この幟の暴れ方からも分かるように、ちょっと風が強くなってきていて、これまで使う必要性を感じていなかったネックウォーマーと手袋が、ここ東萩駅で初めて解禁されました。気温そのものは、特別に低いということはないのですが、やはり風が強いと寒いです。

 東萩駅には、発車標はありません。その代わり、列車の接近(だけ)を知らせる装置が設けられています[⑤]。しかし、分かるのは「上り」か「下り」かだけで、種別や時刻は一切分かりません。それどころか、何か列車が来ているとしても、それが「通過する場合があります」などと言い放つ、ある種の無責任ぶり。単純に接近しか検知できないようです。

 駅前の様子[⑥]。タクシーが常駐しているのはもちろんのこと、路線バスのほか、新山口駅とを結ぶ高速バスも発着しています。また、駅のすぐ近くに、このような大きめのビジネスホテルもあります[⑦]。駅舎も、主要駅にふさわしい相応の造りのもので[⑨]、山陰本線のこの辺りでこれに匹敵する駅舎に出会おうと思えば、益田駅や長門市駅まで行かねばなりません。

 駅の近くにある、1/6サイズの萩城の模型[⑩]。全体的に錆びつき、石垣の一部が剥がれてしまっているあたり、あまり手入れはされていないと見えます。7年半前に訪れたときは、まだそこまで朽ちてはいなかったので、風月と風雨の影響は大きかったようです。

 市内を流れる松本川。太陽の位置の綾かもしれませんが、橋から南東方向を眺めたときは、くすんだ色合いをした川にしか見えないのに[⑪]、反対の北西方向を見たときは、すぐそこで日本海へと至る川らしく、青〜緑のグラデーションを描く水面が広がっています[⑫]。視点を180度変えるだけで、川の色がここまで大きく変わるのです。

 東萩駅周辺を適当にぶらついて、駅舎内に戻ってきました[⑭]。40分ほど時間潰しをしていたというのに、○○のはなし号は、まだ1番線に停車し続けていました。折り返しの下り便は、東萩14:13発ですが、どうやら、いったん留置線に引き上げるといったことはなく、ずっとホームに留まり続けるようです。まあ、発着する列車も少ないですものね。



















 引き続き山陰本線を上ります。ここから乗車するのは、13:54発の益田行きで、キハ120形1両編成による運転です[①]。東萩〜益田間は、山陰本線の中でもとりわけ需要の少ない区間であり、1日8往復しか運転されていません。

 方向幕の一覧表[②]。6番は「白」となっていますが、白という駅はないので、何も書いていない空白のコマということでしょう。ただ、端の方ならともかく、なぜ6番という”中ほど”に空白コマがあるのでしょうか? このほかに目を惹くものとしては、24番の「木与」があります。木与行きは、2016年3月のダイヤ改正で誕生した新しい行き先で、それゆえ、快速を挟んで最後のコマに設定されているわけです。

 めぼしい席は埋まっていたので、「まあ益田までの1時間10分ちょっとなら、別に立っていても・・・」ということで、キハ120形における私のお気に入りスポット「運転室の反対側」に陣取り、後面展望を楽しみつつ移動することにしました[③]。東萩〜益田間も、日本海沿いに線路が敷設されている区間が少なくないので、随所で海景色を見ることができます[⑤]

 木与で下りの普通列車と行き違います[⑥]。相手はタラコ色のキハ40形1両編成でした。「普通」とだけ表示され、行き先の駅名が表示されていませんが、向こうの列車は長門市行きです。益田発の下り普通列車は、たいていが長門市行きで、東萩止まりの列車は少数派。それは上りも然りで、この列車は東萩始発でしたが、それはむしろ珍しいものです。

 宇田郷に到着[⑧]。向こうに情緒のある木造駅舎が見えますが、山陰本線でも屈指のローカル輸送区間となる東萩〜益田間の途中駅は、利用客が少ない小さな駅ばかりで、それゆえ、昔からの木造駅舎を持つ駅が多いです。単線・非電化・単行・木造駅舎・・・と、その要素は、いかにもローカル線のそれなのですが、ここが一大幹線・山陰本線の一部であることを忘れてはなりません。

 宇田郷〜須佐間に架かる惣郷川橋梁は、橋そのものの特徴的な構成に加え、すぐ脇に日本海が控えるという絶景の中に織り込まれているということも相まって、かねてより撮影ポイントとして有名です[⑨]。特急いそかぜ号が廃止される直前は、ここが随分と賑わったようです。現在は、トワイライトエクスプレス瑞風号を山陰本線内で捉える際によく使われる撮影地となっています。

 JR西日本のローカル線では、線路への負担を減らして保守費を低減させたり、万が一落石等があってもすぐ止まれるように(=落石対策をせず、例え本当に落石が起こったとしても)したりするために、原付未満の速度で列車を走らせることがあります。「なんかやたらと遅い・・・」と思ったら、そこには25km/h制限がかかっていました[⑩]。ここ、”山陰本線”なんですけどね、一応・・・。

 飯浦[⑪]、戸田小浜[⑫]と停車していきますが、今ではすっかり普通の途中駅となっている両駅も、それぞれ一時的ながら、山陰本線の終着駅として機能していた時代がありました。しかし、それらしき面影はもはやありません。

 高津川を渡って[⑬]、列車は終点の益田に到着しました[⑭]。元々は普通の青い駅名標でしたが、山陰本線(米子〜益田)へのラインカラーの導入によって、朱色の帯を巻く駅名標となりました。しかし、費用の都合か、全体を作り直しはせず、色の部分にシールを被せるという対応をとったようで、おかげで「下の字」が浮き上がっています・・・。


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