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 上りのこまち号と列車交換[②]。盛岡〜秋田間は、神宮寺〜峰吉川間を除いて単線なので、列車交換の発生は宿命であると言えます。あまりお金をかけないでこまち号の高速化をするとすれば、箇所を絞った複線化を進めて交換待ちを減らしたり、現在は新幹線区間でしか使用していない車体傾斜を在来線区間でも使ってみたり(1.5度ですが・・・)してみてはどうでしょう。

 45都道府県目、秋田に到着しました[③]。「スーパーこまち」の名と共に颯爽と現れたE6系も、E3系の置き換え完了に伴い、愛称を普通の「こまち」に戻し、秋田駅の新しい顔となりました。「こまち」の3文字をそのままロゴとしていたE3系に対し、E6系では、秋田美人を横から眺めたような図をロゴとしています[④]。こまち号以外にも使われるので、「こまち」の文字を入れなかったのは正解でしょう。

 E2系で「白色(灰色)+細帯+濃い色」という塗り分けを確立して以来、200系更新車〜E5系に至るまで、JR東日本の新幹線車両は、全てその塗装パターンを踏襲していました(E5系で初めて”濃い色→細帯→白色”という、逆順の塗分けが採用)。E6系は、初めてその流れを打ち破り、「濃い色の屋根+白色+細帯」という塗装を纏いました[⑤]。これは、その次のE7系も採用しました。

 EF510形による貨物列車[⑥]。東北本線が貨物列車にとって重要な路線であることは(北海道と本州を結ぶために)、言うまでもありませんが、大阪〜青森間を日本海沿いに走る日本海縦貫線も、物流の大動脈です。東北本線もそうですが、旅客の夜行列車がなくなったため、現在は、貨物列車がそれらの路線の夜を賑わせています。












 ちょっと風が強くなってきました[①]。肌が露出している部分は、やや肌寒さを感じてしまうような風量と冷たさです。日本海沿いの強風は、列車のダイヤを大いに乱れさせる要因でもあり、冬は、そのために 日本海沿いを走る夜行列車が、しばしば遅延しました。冬期にあけぼの号に乗ることも何度かありましたが、その定刻性は、ほぼ信用していませんでした。

 秋田駅で公表されていた「忘れ物ランキング」[②]。第1位がおみやげというのは、ちょっと意外ですね。というのも、お土産って、紙袋に入れるくらいには「大きなもの」になることが多いですから、忘れにくいような気がするもので。そういう意味では、帽子もやや意外かもしれません。携帯電話や財布のような小物なら、忘れるのもよく分かります(私も前科あり)。

 こまち号用の発車標[③]。大曲・角館・田沢湖・仙台方面という表記をしていて、そこに「東京方面」の文字はありません。こまち号は在来線特急でもあるので、大曲や田沢湖までといった短距離の利用も多いということなのでしょうか。この発車標の特徴のひとつとして、列車の入線時刻が表示されるという機能があり、次のこまち20号は、11:57に入線すると案内されています。

 秋田駅中央改札口[④]。少なくとも5年前は、まだ3色LEDの発車標を使用していたのですが、いつの間にか、フルカラーの新しいものに取り換えられていました。また、内装も変化が起こっていて、壁の至るところで秋田杉が使われていました。この1か月後(2018年3月)には、天井から吊り下げる広告に代わってデジタルサイネージ(70インチ×7枚)が導入され、更に変化を遂げました。

 駅舎内から見る西口駅前[⑤] [⑥]。駅のすぐ近くに商業施設や宿泊施設、その向こうにマンションが並ぶという、よくある地方都市の駅前です。見ての通りの「街」ですが、秋田は、県としても市としても、極めて深刻な人口減少に相対していて、県は2017年4月に100万人割れ。市も市で、30万人割れが時間の問題となっています。

 山形駅で、予備校「河合塾」の仙台校の広告を見かけましたが、ここ秋田では、駿台の仙台校の広告がありました[⑦]。山形〜仙台であれば、通うことも十分に可能な距離ですが、秋田〜仙台では、そのようなことは無理です。「秋田の人間に、本当に仙台の予備校へ行けというのか?」と思ったら、どうも”予備校指定の寮”なるものがあるようで・・・。



















 夜になるとライトアップされるのであろう「光の道」[①]。「道」と称してみたはいいものの、除雪は全然されていなかったので、ここまで入るのは一苦労でした。足がだいぶ沈み込みましたよ・・・。ここには、リゾートしらかみ号”ブナ”編成の光る顔出しパネル(パネルでもないと思うけど・・・)というものもありましたが、枠がやたらと目立つので、なんだか骸骨のような雰囲気があります[②]

 1965年の秋田駅前土地区画整理事業の完工を記念する記念碑[④]。「伸びよ愛するわが町・・・幸せと繁栄が生まれる・・・」といった文言に、高度経済成長期には、「夢のある未来」を抱いていたことが読み取れます。当時でも、既に県の人口減少は進んでいましたが、それは、若者たちが「金の卵」と呼ばれ、それこそ希望を持って集団就職をしていた時代でしたから・・・。

 「秋田拠点センター」と名付けられた多目的ビル、アルヴェには、毎度お馴染み東横インが入居しています[⑥]。ホテルの独立した建物を持たず、既存の建物に入居した結果、全国で共通の「あの色とあのデザイン」にならず、とても珍しい「黒い東横イン」が生まれました。まるで景観に配慮した、京都や奈良の店舗かのようです。

 秋田駅前には、これまたよく見慣れた、ホテルアルファーワンも出店しています[⑦]。こちらは”いつもの姿”ですね。個人的に、全国で画一的な仕様のホテルを大量に出店している”チェーン”はあまり好きではなく、地場レベルで展開していたり、あるいはそこにしかなかったりするようなホテルに泊まるのが好きなので、東横インやアルファーワンには、ちょっと縁がありません。

 東西を結ぶ自由通路の内部[⑧] [⑨]。秋田杉を使用した内装に改めることによって、温かみのある雰囲気が生まれました。「木目調の部品」ではなく、本物の木材を使用しているようなので、耐久性や保守性では、幾分辛いところがあるかもしれませんが、”紛い物”には出せない雰囲気や質感が、本物には宿っています。

 秋田駅東口の様子[⑩]。こちらは”裏手側”にあたる出口ですが、マンションも含めて、背の高い建物はほとんど見当たらず、「見通し」が良いです。遠くに見える山々の、その全景を眺められます。駅前すぐの地点から一軒家が集積する住宅街が展開していて、西口の都市的な雰囲気からは一転、郊外に形成された住宅地のような具合があります。

 次に乗るのは、12:41発の特急つがる3号です[⑫]。秋田と青森という、北東北の主要な都市同士を結ぶ列車なのですが、1日に3往復しか運転されていません。ならば高速バスが・・・と思ったら、秋田と青森を結ぶバスなど存在しないとのこと。両都市の距離は200km弱程度であり、絶望的に離れているわけでもないのに、なぜここまで需要が少ないのでしょうか?

 ホームに降りると、やたらと濃ゆい青色が目立つ列車が・・・[⑬]。その正体は、「瑠璃色」とやらに塗り替えられた、いなほ号用のE653系でした[⑭]。存在は知っていましたが、実物を見るのは初めてです。ハマナス色もそうですが、一色塗りをするにしては、あまりにも色合いが濃すぎる気がします。水色一色塗り、桃色一色塗り程度であれば、まだそこまでおかしくはならないと思います。


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