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四国3つ目の都道府県は、高知です[①]。非電化の駅ですが、2008年2月に高架化を果たしたこの駅は、高松・松山・徳島が地上駅のままとなっている中では、飛び抜けて立派な造りをしているとも言えます[②]。 あしずり4号と接続する、13:13発の南風16号が、発車のときを待っています[③]。先を急ぐのであれば、この列車に乗り継ぐのが最も適当ですが、滞在時間が11分というのは、都道府県の代表駅への下車時には、さすがにお話にならない(13:02着:13:13発)ので、この便は見送ります。それに、昼食だって食べてはいませんからね。 高架ホームから眺める高知市街[④] [⑤]。北海道の旭川駅は、地上駅での営業を邪魔しないように、地上駅設備の真裏に高架駅を造った結果、駅全体の位置が後退してしまい、それが何かと問題とされた(商店街との距離が長くなった、とか)ようです。高知駅も同様の手法で高架化したはずですが、市街地はそれほど遠くには感じられません。 JR四国では、アンパンマン列車が大々的に打ち出されていますが、その起源は、原作者のやなせたかし氏が高知県出身であることに依ります。そんなわけでか、高知駅には、「アンパンマン列車ひろば」があります[⑥]。右側はアンパンマントロッコ。で、左は8000系。「電車が非電化区間に〜云々」以前に、そこは高知駅で見られる2000系にしてあげるべきだったのではと思いますが・・・。 |
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高架化以前の高知駅は、南側にしか駅舎(出入り口)がありませんでした。というわけで、その反対側(北側)というのは、どうしても「駅裏」にならざるを得ないところがありました。せっかくなので、メインとなる南口よりも先に、北口に出てみました[①]。まあ、高知駅に限った話ではありませんが、「駅裏」は、一般的に閑静なものです。なお、駅舎のデザインは、南北で少し異なります(9番と比較してください)[②]。 北口から延びる道路にあった案内標識[③]。左が松山・四万十市、右が高松って、いくらなんでも大雑把すぎはしませんでしょうか? もっと近所の・・・、例えば左なら、いの・須崎、右なら南国・香美ぐらいが適当なのではないかと思うものですけれども。この内容だと、「高松はどっちですか?」と聞かれて、指で「あっち」と返しているようなものだと思います。 駅舎内[④]。この写真の遠くに見えているように、高知駅は、自動改札機が導入されています。今、JR四国の駅で自動改札機が入っているのは、高知と高松の2駅ですが、高知は高松よりも先に導入を果たしています。四国グリーン紀行は、自動改札機への投入に対応した仕様の切符(磁気情報付きの85mm)で発券されるので、鞄からサッと出して、シュッと入れて、スッと通過。 一方、こちらは南口[⑥]。こちらが正面口に当たるところなので、その町並みは、北口とは打って変わって都会的です。ただし、土地の余裕度の都合か、バスターミナルについては、北口側に設けられることとなりました。南口の駅前では、とさでん交通の路面電車が発着していて、これが高知県における唯一の「電車」として機能しています(JRと土佐くろしお鉄道は全面非電化)[⑦]。 高知駅から程近いところに、大手家電量販店のケーズデンキが鎮座しています[⑧]。だから何、と言われてしまいそうですが、実はこの店舗は、2011年4月に四国旅行をしたときに、SDカードの補給をするために訪れています。ま、だからといって、別に「思い出の店に、8年ぶりのご来店」をやるというわけでもないのですが(笑) 相当に濃い青色で塗られた信号機[⑩]。これとはまた別の、もう少し薄い水色で塗られた種類の信号機もあるようですが(7年前に目撃)、いずれにしても、高知駅前では、普通の白色ではない信号機を見ることができます。が、水色は南国高知の海、爽やかさ、暖かさに繋がる気がしますが、濃色の青色の方は、高知の何を示しているのでしょうか? 駅前に設置された、土佐と所縁の深い人物3人の像[⑪]。私は今、「像」と書き、「銅像」とは書きませんでしたが、これはその素材が発泡スチロールやウレタンであるためで、実は銅製ではないのです。見た目はそれっぽいのですがね。 駅構内にあるコンビニで腹ごしらえをし(近頃の私は、列車に乗るだけでなく、観光を組み込んだ旅行もするようになりましたが、食については、未だにうまくやれず・・・)、次の列車に乗車します。これから乗るのは、13:43発の琴平行きの普通列車です[⑬]。特急列車ではなく、普通列車に乗るということは、それなりに意図があるわけですが・・・、さて、向かう先は? |
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琴平行きの普通列車は、1000形1両編成で運転されます[①]。まあ、平日の真っ昼間で、高校生が帰宅する時間帯でもありませんから、これでも混雑するということはないでしょう。もし混み合うとしても、それはせいぜい土佐山田まででしょう。 セミクロスシートの座席配置をとる1000形ですが、今回は「座りながらセミ後面展望ができるクロスシート」を選んでみました[②]。1人掛けの席が2つ続いていて、通路を挟んだ反対側は、便所となっています。なお、窓割りと座席の位置からも明らかなように、今回私が選んだ座席は、前面・後面展望はいくらかできますが、横の車窓を見るという点においては、極めて絶望的です。 高知を発車しました[③]。駅を出ると、線路は直ちに単線になってしまいます。「2面4線の高架駅、非電化、それなりの都市、両側はすぐに単線」というところから、どことなく帯広駅に似たような雰囲気を感じます。 土佐一宮〜布師田間にある高知運転所[④]。元々は、高知駅に併設されていましたが、高架化工事が始まるのを機に、2002年に現在地に移転しました。高知運転所が明け渡したことによって生まれた土地に、現在の高架駅が建設されたというわけです。なお、布師田駅は高架となっていて、国分川のすぐ脇に位置することから、川に架かるトラス橋に隣接してホームが設けられています[⑤]。 後免に到着しました[⑥]。ここでは3分停車します。この琴平行きは、目的地の新改には停車しますが、坪尻は通過します。そのため、発車標にも、「坪尻駅には停車いたしません」という案内がしきりに流れます[⑦]。新改と坪尻。どちらも四国を代表する秘境駅ですね。 その駅名から、一般界隈でも取り上げられることのある後免駅。「ごめん」という駅名を押し出していくためなのか、後免駅の駅名標では、通常は上から「小さな読み仮名・大きな漢字・ローマ字」で駅名を表記するところを、「大きな読み仮名・小さな漢字・ローマ字」としています[⑧]。その結果、文字の大きさとしては、ひらがなの「ごめん」が最も大きくなっています。 山田西町に停車[⑨]。ひとつ先の土佐山田との駅間距離は、僅かに800mしかなく、1952年という時代に開業した駅であること(近頃の宅地化を受けた新設駅ではない)や、土讃線という路線(大都市の路線ではない)の性格を踏まえると、これはなかなか異例のことと言えます。 津波が発生した際の列車からの避難方法を示した図[⑪]。これから進んでいくところは、もう山も山なので、大規模な地震があった際に心配したくなるのは、津波よりも土砂崩れであると言えます。南海トラフ地震では、太平洋側に津波が押し寄せることが想定されていて、太平洋に面する区間がある土讃線と牟岐線が、その危険があると言われています。 土佐山田を出ると、高架や平野を走っていたこれまでとは一転して、山間部の険しい地帯を進んでいくようになります[⑫]。車窓に見えるのは草木だけとなり、途端に人の気配のようなものが消え去ってしまいます。 そんな山あいに位置する駅が、目的地の新改駅です。このような地帯に駅を設けるために、普通の本線上にホームを置くのではない、いわゆるスイッチバック構造の駅となりました。駅の手前にあるクロスポイントを渡って[⑬]、列車は新改に着きました[⑭]。 |
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