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 ホームから見る景色に広がる青い海、その大海原に点在する瀬戸内海の島々[①]。風も波も穏やかで、空はまた飛びきりに澄んでいます。2011年4月以来の約7年ぶりに、下灘駅にやってきました[②]。「海に近い駅」として青春18きっぷのチラシに採用されたことで名が知られたこの駅は、その後の「夕暮れ時の美しさ」の周知なども相まって、今や四国でも有名な観光地となりました。

 それでも、前回の訪問時(2011年4月)の頃は、まだ「一部の人だけが知る駅」という具合で、私が下車したときも、駅には他の人は誰もいませんでした。しかし、今では、その存在が一般の人にも広く知れ渡るようになり、2月の平日だというのに、卒業旅行中と思われる大学生や、台湾辺りから来たと思われる外国人観光客等がたくさんいました[③]

 駅前の様子[④] [⑤]。郵便局などもある下灘の集落は、駅からはやや離れたところに位置していて、駅の周辺には、民家は僅かにしかありません。また、駅前の道路も、2台の車が満足にすれ違うことは難しいであろうという細いもので、下灘駅が、間近に迫る山と海の間にある狭隘な土地に何とか建てられたものであることが分かります。

 下灘駅の”観光地化”を受けてか、2017年4月、駅のすぐ向かいの砂利に、「下灘珈琲」なる簡易コーヒーショップが出店しました[⑥]。土・日・祝日と不定期な平日の11時〜日没頃まで営業しているそうです。が、「観光地化前夜」を知る者としては、平日の昼間なのにやたらと人がいる(まあ、自分もそのひとりですが)点も含め、”落ち着かない”場所になってしまったのはやや残念に思います。

 駅舎は、基本的には、2011年4月に訪れたときと変わりありませんでした[⑦] [⑧]。目に見えて気が付いた変化はといえば、老朽化したポストが新しいものに取り換えられたことと、同じく朽ちかけていた駅名看板が新調されたことくらいでしょうか。駅舎の入り口越しに見る駅名標と海は[⑨] [⑩]、まさに下灘駅を象徴するものですが、これも以前と変わってはいません。

 「下灘」の駅名標と瀬戸内海[⑪]。”海に近い”と言える駅はいくつもありますが、駅名標と海がこれほどまでに一体化して写せるほどに海が近い駅は、そう多くはありません。ちなみに、「なぜ駅舎側に駅名標の”オモテ”が向いているのか?」と思われた方、鋭いです。
 元々は、件のチラシ用の写真を撮影するために、一時的に駅名標をひっくり返しただけであったのが、「あの写真と同じ構図を見たい」という声が高まったことを受けて、駅舎側にもホーム側にも内容を印刷した、特別仕様の駅名標を使う運びとなりました。

 最近、JR四国で流行っている(?)「らぶらぶベンチ」[⑫]。下灘駅のほか、坪尻駅、江川崎駅、安和駅などに設置されています。いずれも観光地的な要素を持つ駅であり、その流れの高まりに乗じて設置してきているようです。












 瀬戸内海に面する駅ということで、日没時には、海に沈みゆく夕陽を眺めることができるという下灘駅[①]。もっとも、今回は日中の時間帯での訪問となったため、夕焼け時の様子は、頭の中で想像するほかありません。ホームの屋根下には、ベンチが2組設置されていて、それこそ夕暮れ時には、水平線に消えていく夕陽を、このベンチに座りながら眺める恋人たちも多いとか[②]

 それにしても、今日は良い天気です[③] [④]。それだけでなく、今日は気温がだいぶ上がっていて、本日の愛媛県の最高気温は、14度〜15度ほどとのことでした。四国といえども、2月にこれくらいの暖かさになるのは例外的であり、たしかに全く寒くありません。穏やかな気候に、穏やかな空模様、そして何より、穏やかな海[⑤]。久しぶりの下灘駅訪問は、まずまずのものとなりました。

 ”海に近い駅”であることは、今も昔も変わりませんが、以前は、線路と海の間には道路(国道378号線)はなく、まさに「海―線路―ホーム」だったそうです[⑦]。海岸線を埋め立てて建設された国道378号により、下灘駅と海の距離は離れてしまいましたが、逆に言うと、この道は「海の際を走っている」わけであり・・・。ううむ、ここをドライブしたくなってきました。











 戻りの列車がやってきました[①]。下灘駅への訪問は、同一方面の列車のみで行おうとすると、その列車間隔の長さから、滞在時間がやたらと長くなってしまう場合も多いですが、上下の列車を組み合わせて”行って帰る”にすると、”長すぎず短すぎず”にしやすくなります。

 海沿いの区間を走ります[②]。以前は、この海岸線の国道がなかったというのですから、列車からのその眺めは、まさに絶景中の絶景だったのでしょう。もちろん、今でも素晴らしい車窓であることは、疑う余地もありません。山間部を突き抜ける短絡線が完成する以前は、この海沿いの経路が大動脈であったため、この美しい車窓を、特急や急行から見ることもできたわけです[③]

 高野川の手前あたりで内陸に入り、それ以降は、海は見られなくなります[④]。「JR西日本なら、間違いなく25km/hくらいの速度制限をかけるに違いない」というような険しい個所もありますが、JR四国では、そこまで極端な徐行運転は行いません。

 終点の伊予市に到着しました[⑥]。伊予市〜伊予大洲間で旧線を経由する普通列車は、基本的には松山が始終着となりますが(下灘に行くときに乗った列車はそうでしたね)、一部に伊予市行き・伊予市始発の設定があります。


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